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都市の「シェルター」をリサーチするプロジェクト「Shelter Studies」。サンパウロ、カラカス、ボゴタ、ニューヨーク、ジュネーヴ、パリ、ロンドン、イスタンブール……世界の都市を巡り、そこに住まう人々への30のインタヴュー|Shelter Studies is project to research various 'Shelter' by Keisaku Fukuda+Robert Schmidt+Gonzalo Velez. They interview 30 key persons living in vulnerable urban space.|Powered by MT 2.65Syndicate this site

氏名: テオリンダ・ボリヴァー
職業: ヴェネズエラ中央大学 建築・都市学科 教授
国籍: ヴェネズエラ
URL: http://www2.usp.br/publishing/insite.cgi
収録日: 2006年10月21日


テオリンダ・ボリヴァー女史は、小さく、穏やかで、物静かな女性だった。僕らがホリアン・ブランコというバリオに一緒に行ったとき、そんな彼女を見つけると多くの住民たちが笑顔で挨拶をし、話しかけてきた。彼女がここで過ごした30年以上の時間の蓄積と信頼関係のおかげで、僕らはとても快適に、危険な目に遭うことなく過ごすことができた。つねに新しい挑戦と仮説を構築しながら行動する彼女でも、自らの行動がなんの変化も起こせていないのではないかと不安に駆られることがあるという。ここでの学びはこうだ。安全に過ごすためには、地道でひたむきな時間と信頼関係が不可欠であること。そして、続けることは力だということだ。

あなたのお名前とご職業を教えていただけますか?
テオリンダ・ボリヴァーです。すでに引退した研究者であり、また大学の教授です。1969年から1970年の間、近隣地区の改善のために国家公務員として働いた後、1973年に建築学科に入学しました。

なぜ、このような研究テーマを選ばれたのですか?
それを説明するのには少し時間がかかるのですが、まず、わたしが高校を卒業したころ、ペレス・ジメネス政権が崩壊し、その当時の居住環境を見るにつれて、建築家としてこうした状況の改善のために働くべきだと思ったのです。こうしたトピックはとても政治的なものであるため、最終的に、私は大学に避難のための場所を探す必要があったのです。私の研究は住民と共にあり、当初は「investigation-action(調査活動)」と呼ばれていましたが、現在われわれは、それを「into investigation-action-intervention(調査活動的介入)」に変更してきました。これはすべて、それまでの研究手法では行くことのできなかった場所にアクセスするためであり、例えば、コミュニティのサポートなしでは実践することができなかったであろう住宅の改善などを行なうためです。こうした研究のなかではつねに、未知のモデルをつくらなければいけない困難がつきものです。それらは私の予測に過ぎませんでしたが、事実、この地域は、いまなお無視できない複雑な様子を呈しています。

そうした地域で活動するなかで、多くの困難を経験してきたと思いますが、活動を続ける動機付けとなったものはなんですか?
私が行なったことが、ほとんど、あるいはなんの結果も残せていないことがわかったとき、その地域で活動を続けていくことは非常に困難です。昨年、われわれはなんら成し遂げてこられなかったのではないかという思いに駆られました。私が活動してきたこの地域の状況を見れば、例えば、主要な通りから地区の中心街へ入っていったとき、そこに暮らす人々がなんの公共サービスも得られていないことがわかるでしょう。
私の役割は、私自身の考えを、実際に現地に行って学生たちとシェアすることであり、そうすることで彼らは現実を目にし、感じ、またその雰囲気を察することができるのです。私たちの教育方法や個人的な想いによって、こうした住宅のおかれている状況を完全に変えることができているはずなのですが、実際に私たちができたことというのは、常にわずかな改良であり、例えば、窓を開けるくらいのことでしょう。
利益志向の研究とそうではない研究があると思いますが、われわれがやってきたことは利益志向ではないものです。私自身の博士論文を書き上げることができたのは利益ではありません。
丁寧な方法で強い目標を持って活動を続け、そうした活動を権威や学生、新しい世代に伝え、バリオに住んでいる人々について彼らに受け入れてもらうことに関しては、すでに多くの知識を持っています。私の最後の目的は、地元の人々と共に働くことであり、地元の人たちから必要とされる専門的な知識がある一方で、われわれが理解すべき一般的な知識というものもあるのです。例えば、経済的な資源がない状態で、小さな木造の小屋から住宅の建設をはじめるということに関しては、多くの業績があります。われわれはこうした事実を評価すべきであり、こうした人々に敬意を払うべきです。われわれは、自律的コミュニティ連帯のネットワークと呼ばれるネットワークを創設しましたが、われわれのような大学の研究者は、学習のプロセスを通じて地元の人たちと恊働しています。ときどき、希望をなくし、このネットワークでの活動をやめてしまおうと思うこともありますが、ここに来て、地元の人々や学生の持つ可能性、控えめな姿勢を目にする度に、この活動を続けて行くためのエネルギーを感じるのです。

私たちがここで恊働を行なっていくうえで、どのような可能性があると思いますか?
私たちは、以前にも他の大学や研究機関と恊働したことがあります。私たちの活動はつねに過小評価されていますが、国際的なサポート、倫理的なサポートは、私たちが活動を続けていくうえでたいへん重要なものでした。
国内の大学から認知される前に、われわれの活動は国際社会に認知されてきました。国内では、われわれの活動は非学術的、あるいは非科学的なものだと思われていたので、国外の大学との関係は非常に重要なものなのです。この地域に日本人の研究者がいたこともありましたし、地元コミュニティのサポートや敬意があってはじめて、実際に恊働することが可能であると理解できるようになったのです。他の国の人たちと直接の関係を持つことで、すべては等価であるとコミュニケーションできるようになるでしょう。
私たちは、政府に対して、バリオに実際に住む人々が、彼ら自身の経済資源を運用することができるように認めてほしいと思っていますし、それこそが、私たちが小さいスケールでやってきた、地元の組合でお金を管理するということなのです。
私たちは、コミュニティの能力を尊重する必要がありますし、いかにして、こうした地域が都市の一部になれるかということを理解するための研究活動をサポートしていく必要があると思います。