1──『Histories of the Immediate Present: Inventing Architectural Modernism』
2──『Adolf Loos: Works and Projects』
3──『Tony Fretton Architects』
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Anthony Vidler『Histories of the Immediate Present: Inventing Architectural Modernism』(The MIT Press)
建築史家、批評家アンソニー・ヴィドラーが、エミール・カウフマン、コーリン・ロウ、レイナー・バンハム、マンフレッド・タフーリについて書いた本。ヴィドラーは、ロウの高弟であり、またタフーリとも親交があった。近代建築を〈発明した〉これら4人の建築史家の業績を、少し時間をおいた今読み返す試みであり、またそれは彼らと同じ時代の空気を共有したヴィドラーにしか可能ではないものである。まさに、このタイミングでしか成立しえなかった本。この4名の歴史家だけではなく、20世紀後半のさまざまな建築の関係者が登場し、彼らの関係が読み解かれていく。
Ralf Bock『Adolf Loos: Works and Projects』(Skira)
今入手しうるロースのモノグラフで最良のものであるが、そもそもは『建築文化』の2002年2月号のロース特集からスピンオフして生まれた本のようだ。現状のロースの建物の撮影を雑誌社から依頼された写真家フィリップ・ルオーは、この本の著者であるラルフ・ボックに協力を求めた。それが、その後数年を経てこのような本へと発展したのである。東洋のある企画が、この本を産み出したという、なんだか希望の持てるエピソード。私たちは、傑作と呼ばれる建物をすでに撮られた写真を通じてイメージしている。なので、この本のように、すべての写真が撮り直されると、そこに違和感を覚えずにはいられない。ロースとは、このような建築を作っていたのか。それは、時として裏切り行為のようにすら思える時もあるが、時代とともに、人の感受性も変わる。さまざまな解釈に耐えられることが、傑作とされる建物の証しでもあるのであろう。
『Tony Fretton Architects』(Gustavo Gili)
トニー・フレットンについてはどう説明したらいいのだろうか。彼の探求については同意できる気がするが、それが何かがきちんとわかっているとは言えない。寡作の作家とのイメージが強いものの、この作品集では、大きな案件をいくつも抱えていて驚かされる。彼の空間を実際に体験したのは、20年以上も前にできた初期の代表作のギャラリーだけだから、今トニー・フレットンが試みていることがどのようなものか想像してみるのだが、いずれにせよ彼の作品にはどこか惹かれるものがある。
水村美苗『日本語が亡びるとき──英語の世紀の中で』(筑摩書房)
上記三冊は、特に外国の本だけを取り上げようとして選ばれたのではない。昨年発売された建築本を見返していたら、図らずも外国の本だけが残ったという次第だ。もう一冊加える水村美苗のこの本は、昨年読んだ建築以外の本で最も楽しんだものだ。この本をそのまま読んでも十分に楽しむことができる。しかし、建築の状況と重ねてみるとさらに刺激的だ。日本において、今後も建築に関しては日本語で書かれ続けるのであろうか。以前以上に、日本語を使うということは、世界から孤絶することを意味しないか。そして、日本の内向的案傾向をそのことが強化するのではないか。そもそも、世界の潮流の中にあって、ここで水村が問題にしている日本語同様、〈日本建築は亡びるのだろうか〉。日本の伝統建築および現代建築が、さまざまな位相で。などと妄想が膨らむ刺激的な一冊。
4──『日本語が亡びるとき』
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