柄沢祐輔/建築家

『哲学者の語る建築』
1──『哲学者の語る建築』

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『哲学者の語る建築──ハイデガー、オルテガ、ぺゲラー、アドルノ』(中央公論美術出版) 
本書は建築批評の水準を超えた、哲学的思惟と建築の関係を根源的に思索した巨人達による建築論である。マルティン・ハイデガー、ホセ・オルテガ・イ・ガゼット、オットー・ぺゲラー、テオドール・W・アドルノらによるこの論考集は、建築という行為と哲学あるいは思惟という体 験の関連を考えるにあたって、重要な示唆に富む知見を惜しみなく与えてくれる。

本書で最も興味深い論考はハイデガーによる「詩人のように人間は住まう」という短い講演録である。広く知られるように、ハイデガーは20世紀最大の哲学書と目される大著『存在と時間』(1927)を上梓した後、ナチス党との関りを契機にその哲学的主張を大幅に変更することになる。いわく後期存在論への転回(ケーレ)として知られるこの転換の後、ハイデガーは一人山奥の山荘に篭り、ロマン派詩人ヘルダーリンの詩作の分析へと傾注し、思索と芸術の根源を問う孤独な探求へと駆られてゆく。

「詩人のように人間は住まう」と題されたこの講演は、ナチス党への関与によって教職追放されたハイデガーのそのような時期に語られた、根源的な思索(彼の言葉によるならば詩作)の成果を建築という行為の分析を媒介に体験することのできる稀有な文章である。同時に、建築と詩の関係、生活と芸術の繋がり、認識することと存在論の関係等々、およそハイデガーの後期の思考が何を目指していたのか、その輪郭がある一点に収束しつつ立ち上がる様を私たちは一種異様な緊張感とともに追体験することになるだろう。

その収束する一点とは何か。本書を読めばそれは明らかなのだが、ここで敢えて一言で述べるなら、自己を超えたものを仰ぎ見つつ、自己の境界を策定する行為こそが建築なのだということだ。そしてそれはいうまでもなく建物を建てるという行為のみならず、人々の思索=詩作の根源として、時間を超えて私たちの文化の根幹を成しているものなのである。


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《磯崎新・七つの美術空間》群馬県立近代美術館/4.26〜6.22
本展は磯崎新の喜寿を祝って企画された一連の大掛かりな展覧会のうち、美術館のプロジェクトに絞って展示品を選定し、彼の公共建築としては初期の代表作とも言える群馬県立近代美術館において催された展覧会である。ここでひときわ印象深かったのは、開館直後に行われた「磯崎新公開インタビュー」だった。レム・クールハース、ハンス・ウルリッヒ・オブリストによる磯崎新へのいわば建築史的「尋問」が展覧会の会場の片隅で行われたのだ。群馬県の高崎という僻地で行われたこのイベントで、しかし繰り広げられた議論は極めて濃密なものだった。「Erased utopia1968-1973」と題された磯崎のプレゼンテーションを聞いた後、レムは執拗に磯崎に問いかける。貴方の師匠のケンゾー・タンゲはどのような人物だったのかと。レムはメタボリズムのリサーチの中で、丹下がひときわ謎めいた人物であったことに触れ、決して本性を明らかにしないカメレオンのような人物だったのではないかと問いかける。磯崎は当時の丹下の人となりを追憶しつつ、内向的だった丹下の人柄に触れつつも、膨大なスタディ群の中から選択を行う彼の審美眼は常に完璧だったと淡々と述べてゆく。そして全ての建築的要素を統合するオーダー、プロポーションの模索が当時の丹下研究室の課題であったと語る。

20世紀中葉のあの時期に、一人の天才が現れて日本の建築史を根底から書き換えてしまった。その天才の営為を乗り越えるべく誰よりも根源的な思考を展開したひとりの弟子、磯崎新のその思考が余す所なく空間として結実した群馬県立近代美術館。その空間の最奥部にて師匠を超える思考の筋道を淡々と異邦のオランダ人建築家に語る磯崎の姿は、近年目撃したどの建築家の営為よりも鮮烈でアクチュアルなものに見えた。