松原弘典/建築家

『川合健二マニュアル』 『北京再造──古都の命運と建築家梁思成』
1──『川合健二マニュアル』
2──『北京再造──古都の命運と建築家梁思成』

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川合健二『川合健二マニュアル』(編集出版組織体アセテート、2007.12.26)
こういう本をつくってくれた人(中谷礼仁)に感謝したい。現代建築の紹介本などで川合のコルゲート住宅はよく小さく紹介されてくるけれど、建築のメインストリームから外れているからか、この不思議な作品、人物についていままでなかなかよく知ることができなかった。歴史が一回りした今、このクレイジーな設備設計者/ある種のマジシャン(詐欺師か?)/社会運動家が多角的に紹介されたのはとても意義のあることだと思う。これでようやく川合さんのことは、知っている人は知っているという石山修武的なベールからは解放され、彼から私たちが何を得られるのか、本質的に問われることが可能になった。
とても危険な本だ。私の周りにいる学生にも薦めていて、人生を転換するような子が出てこないか密かに期待しているんだけど……。その危険に反応する若者はなかなかいない。実務を少し経験したくらいの若い建築家はぜひ読むべき本。実務で忙しい人は土曜の夜から読んで翌日に休日を確保しておかないと、身のやり場に困るかもしれない。いてもたってもいられなくなり、ほっつき歩いてなにかしたくなる。体温が1度上がって、だれかと川合について話したくなる。翌日朝から仕事じゃないときに、できれば話のわかる友人を確保してから読み始めること。

王軍『北京再造──古都の命運と建築家梁思成』(多田麻美訳、集広舎)
北京オリンピックのタイミングを逃して出版計画上は完全な失敗、カバーがハードすぎて重い、デザインは中国語の原著より垢ぬけない、など物理的な特性はうまくいっていないが、そうしたことはこの本の価値をいささかも下げない。北京について、大変重要な本が出た。しかもこの本は学術的価値が高いということに加えて、中国でベストセラーにもなった書籍であるということも記憶しておくべきだろう。建築都市関連の書籍として結構売れた、というレベルの話でなく、あちこちの本屋で1mの高さくらいまで平積みされて飛ぶように売れた本である。
原題が「城記」というこの本は、近代の北京がどのような過程をへて首都としての威容を備えてきたのか、豊富な図版とともにその歴史を紹介している。原題にはない、日本語版のタイトルに出てくる「梁思成」は、中国の代表的な建築史家だが、この本の中ではエピソードの一角を埋めるのみで、この一冊では中国の首都の近現代の歴史が広く扱われている。新華社の記者が書いた文章は多田の的確な訳とあわさって胸躍る読み物になっている。北京のあちこちの本屋で今でも30センチくらい平積みになって売られているこの本を見ると、北京の人は都市論が好きなんだなと思う。はたしてこういう東京論を今のわれわれは構想できるのか?今の日本社会は都市論をベストセラーとして受け入れるものなのだろうか?


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蔡國強《我想要相信-CAI GUO QIANG: I WANT TO BELIEVE》展 中国美術館/2008.9
MoMAからの巡回で、日本だと広島にも回ったはず。私は北京のしか見ていないのでそれぞれの会場でどれくらい違うのかはわからないけれど、北京の中国美術館でのそれは、普段は上野の東京都美術館のような「貸し館」運営しかしていない(つまり、 ぱっとしない、という意味です)ようなあの場所で、断トツに異彩を放っていた。
蔡国強が北京でまとまった展覧会をするのは、2002年に北京の中央美術学院の旧ギャラリー(もう今は壊してしまって磯崎さんの設計した新ギャラリーに機能が移管された)で「蔡国強のマクシーモフ展」でキュレーションをして以来ではないだろうか。あれは1999年の水戸芸術館のカバコフによる「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」展と平行関係にあるような、センチメントを前面に掲げるような内省的な展覧会だったけれど、今回のこの蔡自身の作品を展示する展覧会では、爆音あり自動車が空を飛び船にも乗れる、五感をすべて刺激するような、より挑発的なものだった。もちろんオリンピックの開会式で彼がしかけたファイヤーワークもこの展示の一環のようなものなわけだけれど、美術館の展示では爆竹をしかける準備段階の様子やそのあとの作品化のプロセスなど、一瞬の前後を映像で追体験できたのも面白かった。爆竹の跡がそのまま万里の長城の風景画になるというのは、現物を見てみないとやっぱりわからないと思う。彼は現代の水墨画をその描き方において発明したのだ。

《石田徹也──僕たちの自画像》展 練馬区立美術館/2008.11
個人的に好きな、夭折した画家の回顧展。区立の美術館でこういうレベルの企画展に出会える東京は、本当にすごい都市だと思う。