1──『磯崎新の「都庁」』
2──『斜めにのびる建築』
3──『自然な建築』
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2008年の建築本は、ここ数年の傾向同様、読みやすいもしくはヴィジュアル中心の本が多かったように感じられた。また自分も読みやすい本を手に取る傾向にあったかもしれない。一方で、そろそろ分かりやすさを越えた何かが求められているというような空気も感じていた。そのなかで、いくつか印象に残った本とコメントを列記していく。確かに挙げてみると「分かりやすさ」が共通テーマである気もするが、書く側は「分かりやすい」ほど難しいはずである。
平松剛『磯崎新の「都庁」』(文芸春秋)
都庁コンペにおける丹下・磯崎陣営を詳細に追いつつ、磯崎新論にもなっているという、画期的な小説・建築論。コンペの進行と磯崎の生い立ちから現在までという、交互に進む二つの時間という形式が、磯崎自身の重層的な思考ともシンクロして、圧巻の描写力をもって展開していた。平松氏の入念なルポルタージュに敬服する。系譜、権力、パトロネージといった他でも展開可能な問題系もはらむ。またアトリエ系設計事務所の内側が、また一人の建築家が、このように生き生きと描かれている本は、これまで見た記憶がない。もし2008年で一冊だけ挙げるとしたら、この本を挙げたい。
クロード・パラン『斜めにのびる建築』(青土社)
1970年にフランスで出版された古典的な名著の翻訳。水平垂直に対して、第三の軸を提案し、モダニズム建築を乗り越えようとする。2008年というのは、この本が訳される絶好のタイミングだった。SDレビューをはじめ、さまざまなプロジェクトにおいて、若手が「斜め」を建築に用いはじめていたことが気になっていた。なぜなら、筆者自身もその傾向があったからである。そこにこの本が翻訳された。40年前のフランスと現在の日本で何が共通しているのか分からないが、パランが再読されるべき年であったともいえる。
隈研吾『自然な建築』(岩波新書)
場所との関係を断ち切るコンクリートによる20世紀的建築に対し、場所に素材を活かす21世紀的な建築を「自然な建築」と名付け、これまでのプロジェクトとともに紹介。原始的で貧弱に見えるものが、いつのまにか最先端で強固に見えるものに追いつき、追い越すことができる。実際、隈はそれを数々の建築において実践してきた。20世紀建築と21世紀建築の違いが、もっともシンプルな一言で見事に示されている。
松原弘典『北京論』(リミックスポイント)
北京オンピック直前に出版。企画・編集をされた本田英郎氏からいだいた。ガイドでありかつ都市論でもある北京を知るための10章。通常のガイドと決定的に違うのは、「いまそこにしかない場所」を取り上げていること。むしろ、それが取り上げた場所の選定基準だったという。オリンピック直前の北京の熱気そのものが捉えられた、この瞬間にしか生まれなかった本だといえよう。
『藤本壮介 原初的な未来の建築』(INAX出版)
現代建築家コンセプト・シリーズの一冊目。建築家のコンセプトとは何か? 藤本のコンセプトほど、明確で強いものはなかなかないだろう。ページをめくるごとに、抽出されたアイディアの原形が、右脳に訴えかけてくる。ある意味、決して完成度が高いというわけではない。スタディの段階の模型、まだカタチになっていないもの、ちょっとしたスケッチ、ダイアグラム。しかしそれらがコンセプトとして固まる直前の、絶妙の瞬間が捉えられて表現されている。新しい幾何学が生まれる直前の、秩序と混沌の混ぜ合わされた世界がかいま見られる。
磯崎新「AADD/Casabella Japanフォーラム:建築・美術をめぐる10の事件簿」(AADD JAPAN)
2008年、Casabella Japanの763号の日本語版リーフレットからはじまった、磯崎新への連続インタビュー。阿部真弓と新保淳乃が交互にナビゲーターをつとめ、毎回ある時代を切り取る。美術史研究者と建築家によるスリリングな対話が展開しており、相変わらずながら、この建築界の知の巨人のすごさに嘆息。ますます思考が加速していると感じた。
4──『北京論』
5──『藤本壮介 原初的な未来の建築』
6──『Casabella Japan』763号
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