□ | ||||||||||
□ | ||||||||||
INAX出版 新刊好評発売中! |
田島則行 |
|||||||||
□ |
|
.□ |
80年代にはあれほど活発であった都市論も、90年代には背景に退いて、われわれの耳にはあまり届かなくなった。その理由は、情報化とグローバリゼーションが大きく展開し、思想家や建築家や都市計画家たちの手の届かぬところで、都市が変わり始めたことが原因かもしれない。 実際、インターネットやマスメディア、あるいは携帯メディア等によって、われわれの生活環境やコミュニケーション・スタイルは大きく変化した。また、都市の経済活動はローカルとグローバルに区分けして考えられるようなものではなくなり、グローバルな経済活動があらゆるローカルな場の形成に影響を与えている。 「MUTATIONS」やその他のプロジェクトでレム・コールハースが指摘しているように、90年代は巨大な世界経済が地域の壁を乗り越えて広がった一○年だった。そしてその結果、人々の都市に住む割合が飛躍的に増大し、グローバル都市と言われるような新しい都市と環境が、現在、生まれつつある。 この都市環境の変容は一見するところ、90年代以前の都市—建築「ハードウェア」を引きずっているように見える。しかし、その背後で人々の都市への関わり方は刻々と変化しており、新しい都市の「ソフトウェア」はいたるところで顕在化しているだろう。 とすると、「家族」「コミュニティ」「社会」といった従来の人間関係にもとづいて、われわれは現在の都市を語ることができるのであろうか? あるいは、潜在する都市の「ソフトウェア」に相応しい「ハードウェア」(都市・建築)を、われわれは使うことができるのだろうか? 残念ながら答えは否である。都市の現在は、われわれの理解を超えて日々更新されている。したがってわれわれは、感覚的には新しい都市環境に存在しながら、いったいこの都市が何処に向かっているのか、あるいは何を成し遂げようとしているのかが見えない。それどころか、われわれの誰もがコントロールできないまま、都市が暴走し続けているのではないかという実感を持たざるをえないのだ。 あたかもインターネット上に張り巡らされた網の目のように、さまざまな出来事や欲望や意志が錯綜しながら増殖する都市の現在に、いま、われわれはなすべき術を知らない。 本書『都市/建築フィールドワーク・メソッド』が編集された背景には、以上のような都市に対する現状認識がある。 われわれがここで構想したのは、不透明に折り畳まれ、あるいはさまざまに曲折して表象されるかに見える都市の現在に対して、全体を律するような新たな方法を紡ぎ出すのではなく、具体的な現実のフィールドワークを通して、都市や建築の現在を認識すること、である。こうしたフィールドワークの実践から、新しい都市や建築のモデルを描き出すことは可能かもしれない。しかし、その「モデル」とは、20世紀的なユートピアンの夢見る理想郷ではなく、都市の現実に有効に対応するソフト——そのプロトタイプ——ではないか。 われわれは都市については何も「知らない」ことを知る必要がある。われわれはなにもわかっていないのだ。誰も都市を見たことがないし、触れたこともない。都市はいつも抽象的な概念で、地図でしか把握できない俯瞰的な概念であり、また都市を歩き回る時には、都市はいつも断片でしか視界に現われてこない。地図や地理を理解することが都市を知ることにはならないし、都市の現実はいつもそういった俯瞰的な理解を超えたところで進行する。 都市に対するわれわれのスタンスは、未知の都市に飛行機で着陸するときのプロセスにたとえることができる。たとえばロンドンに向かう旅客機の小窓から徐々に見えてくる都市の全貌。少しずつ高度を下げながら、都市の姿が明らかになっていく。最初は地図のようなグラフィックとして現われてくる道路網やエリアの違いが、さらに高度が下がるにしたがって、ミニアチュアの街のように街路や家々の様子が見えるようになってくる。われわれは、都市を把握した、あるいは都市を見た、と思う。まるで模型の都市を見ているようだ。そしてさらに高度が落ちてきて着陸態勢に入ると、徐々に俯瞰的な視点は失われていき、旅客機の速度にしたがって街が後方へと流れ出す。街路を歩く人の姿や看板が過ぎ去っていく。そしてランディング。周りには飛行場しか見えない。都市を見失う。そして旅客機のドアが開き、都市へと第一歩を踏み出すとき、その都市の空気、臭い、ノイズ、ざわめきが飛び込んでくる。その土地の人々の顔、姿、振る舞いが目に飛び込んでくる。それは明らかに機上から見た都市とは別物であり、リアルで刻々と移り変わる。そして都市が生き生きと呼吸をし始めると同時に、都市はわれわれの理解からは手の届かないものになってしまう。 繰り返そう。都市と建築を巡るフィールドワークとは、けっして都市全体を把握するために行なうものではない。都市とはそもそも把握できるものではない。たとえミニアチュアの模型を目の前にして都市全体を一望し分析しようとも、そのときに都市はするりとくぐり抜け、掌握しようとする手から滑り落ちてしまう。つまり都市には全体がない。都市の全体性はすでに過去のものであり、都市を律する原動力は、さまざまな部分の集合体として都市を突き動かしている。ここでいう部分とは、地域のことではなく、経済だったり個人だったり、集団だったり、メディアだったりと、さまざまなレヴェルの都市活動を指す。 都市と建築を巡るフィールドワークは、だから都市の小さな一断面を切り出すために行なうべきだと思う。それはそんなに大上段に振りかぶったものである必要はない。限りなくパーソナルで、限りなくナイーヴで、限りなく繊細な視点で都市を切り取ってみる。そして多様な切り口で都市の断面を切り出していくなかで、都市のさまざまな部分の構造や仕組みが見えてくる。そういった部分の集合体こそが都市全体を律しているのであるならば、フィールドワークこそが、都市をあぶり出す大きな原動力となるであろう。 本書では、「方法」や「概念」、「観察」や「変換」といった、都市を測るためのツールや武器をもって、刻々とその姿を変えてゆく「生」の都市の行方を見極め、現在進行形にうごめく今日の都市のある姿を描き出し、新しい二一世紀の都市をPROJECTION(=投影)していく術を考えていきたい。そしてそれが、読者が都市へとダイヴしていく原動力になれば、幸いである。
『都市/建築フィールドワーク・メソッド』「イントロダクション」より
|