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アートの現場から[4]
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Dialogue:美術館建築研究[7] |
杉本博司
+ 青木淳 |
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●影の観測装置
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杉本博司──まずはじめにこの空間についてお話しすると、この空間は、当初、東京における自作のアトリエまたはギャラリー空間として考えていましたが、設計していくにつれて影を観測する為の観測装置としてのみ機能する空間となっていきました。ですから、使用目的は観測空間です。施工は私の信頼する職人を集めて「新素材研究所」というどこにも登録されていない集団をつくりました。名前とは正反対に古典技法を現代的に施工する集団です。基本としては素材がすべて無垢であること、既製品は金具も含めて使わないことなどです。 青木淳──今日は、大きく分けて二つ伺いたいことがあってここに来ました。杉本さんは、この観測空間もそうですが、《護王神社再建》プロジェクトのように、もはや「建築」と言っていいような作品をつくっていらっしゃいます。私のように建築のなかにいる人間としては、杉本さんが美術と空間の関係をどう考えていらっしゃるのか、いつもお聞きしたいと思っていました。もうひとつは、杉本さんは、ベルリンのグッゲンハイム美術館や磯崎新さんが手がけたソーホーのグッゲンハイム美術館、ピーター・ズントーのブレゲンツ美術館をはじめとして、建築家が設計した独特な空間を持った世界中の美術館で個展を開かれています。これほどの経験をお持ちの日本生まれの作家の方は、そうそういらっしゃらないと思います。そこで、世界中の美術館を等価に見ることができるそうした立場から、いまどのように美術館というものについて感じられているのだろうか、これも気になっています。こういうわけで、申し訳ありませんが、今日は杉本さんの作品そのものからは、だいぶ離れた話しになってしまうかもしれません。 とはいえ、いまはじめてこの観測空間を拝見して、かなりの衝撃を受けてしまいましたので、ちょっと頭が混乱しています。この空間は、少なくとも私が建築をつくっているときの関心とまったく違う関心からできているように思われます。空調の吹出口が床から飛び出していて、それがジャッドの作品かと思えるようなものになっている。透明ガラスと漆喰が合わせ目なく一体化したように見える引き戸がある。床が壁にぶつかるところでは床側に一定の隙間があって、離れて見ると床と壁が厳密に隣り合っているように見える。壁の小口はときどき斜めになっている。こうした眼につく細部すべてが、あるひとつの美意識につながっている。逆に言えば、その美意識にモノを統一するためには、標準品はすべての細部において採用できない、そこですべての細部をこの空間のためにつくりあげなければならない、という徹底があります。きっと多くの時間と労力はその細部の開発のために費やされたことだろうと思います。これは、空間を完全に統御するという意味で、まさしく「建築」的思考だと思わざるをえません。しかし同時に、こうした姿勢でいま、空間をつくる建築家は、私にはたとえば中村好文さんのような、「日本建築」をつくるわずかな建築家くらいしか思いつきません。 でも、この空間自体が作品かというと、私たちが実際に見ることができるのは、この空間をつかった写真シリーズ「COLORS OF SHADOW」のほうなのですね。となると、この空間は写真のための壮大なセットとも言えます。作品という軸をとると、私にはここでの空間と写真との関係がまずよくつかめなかった気がします。 |
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●写真に撮るための空間 | 杉本──写真に撮られたときのことを考えて、こういったコンポジションの空間が欲しいという事からこの空間をつくっていますから、空間をつくっているのか写真に撮るために空間をつくっているのか、僕にとっては両方同じ事です。ただし、僕の場合は経済的な問題で、バジェットなしではじめて、仕上げ水準に至るまで妥協しませんから、作品にしないと建築費が戻ってきません。ある程度、作品化しないと困るということです。この空間も写真に写るであろうかたちを予想してかたちを考えました。基本的には、35度、55度、90度の3つの角度で空間を構成して、素材は漆喰です。漆喰の光の反射率は非常に面白いですから、非常に柔らかい影ができます。作品名は、影の中に色が見えることを想定して「COLORS OF SHADOW」としました。完全に抽象空間としてもよいのですが、少し現実との接点があるほうが魅力的だろうと、床の木材がちょっと見える。そういったことを考えて製図板で図面を描きながら空間をつくっています。 | |||||
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撮影は、ずっとモノクロームでやってきたのですが、モノクロの感光剤そのものが製造されなくなる日も近づいていますので、カラーでやろうということにしました。しかし、カラーで限りなくモノクロームに近い表現を目指していますから、技術的には非常に難しいわけです。それで、被写体を白い漆喰と影のシャドーとで構成して被写体自体をモノクロにしようと考えた訳です。 青木──不思議なことに、「COLORS OF SHADOW」ではたしかに床の楠の木に色がありましたが、その色がまったく浮いていませんね。他の白い面とある意味では同じ質を持っています。そして、白いのだけれど、じっと目を凝らしていると色が見えてくる。それは「SEASCAPES」の黒も同じで、これもじっと見ていると色が見えてくる、というか、少なくとも色がないという感じではありません。 杉本──ぱっと見には白黒に見えますが、「SEASCAPES」のプリントもある意味でカラーです。銀塩写真ですから、これは銀の色ですね。銀そのものの量が多い古典的な印画紙を使っていますから、非常に密度の濃い細かい銀塩写真で、銀の色を見せるというか金属そのものなんですね。絵の具と違ってピグメントではない。絵描きでロバート・ライマンというひとがいますね。それっぽい感じもしないでもないですね。 青木──ロバート・ライマンの場合も全部白黒だけれど、そこにも色がなくなっている、色が除去されている感じはありませんね。 杉本──彼もすこしキャンバスの端のほうに色が入ることがありますね。当初はそういったものは入れないことも考えていたのですが、とっかかりがあった方が空間が面白くなりますね。 青木──色がどこかにあることで、白もまた色になってくるというわけですね。もっともロバート・ライマンの場合は、色が主題であるというより、テクスチャーが前景化しているような印象があります。全部が白いために、その塗られ方によるテクスチャーがまず眼に入ってきます。一方、写真の場合、光と影がテクスチャーをつくっていますね。 杉本──写真の場合は、光や影のテクスチャーだけになってきますからね。ペイントの表現性とは違ってきていますよね。ペインターはペインターで、表面性を抜けるようなイリュージョンともいえるような表現性を目指しているわけですが。 |
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●35度、55度、90度/3種の面で空間構成 | 青木──そうですね。ところで、ここに伺ってもしかしたらと思ったのですけれど、ここの一連の部屋のなかでもっとも大きな部屋は、ガラス・プリズムによる色の観測器と言ってもいいような空間ですね。部屋自体が、抽象化されたカメラ・オプスキュラになっているよう。窓から射し込む光が直立したガラス・プリズムにあたって、それを透過した光が分光されて白い壁に光のスペクトラムを投げ掛ける。「COLORS OF SHADOW」に感じられる色には、その光が影響しているのでしょうか? |
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杉本──その光の色までは出していないですね。色を観測して写真に撮るというのは、冬場でないと難しいので、ある程度撮りためて、観測結果のデータがはっきりした時点で、撮ろうかと思っています。 青木──「COLORS OF SHADOW」での白い面はとても繊細な表情を見せています。ひとつの面でも、それが他の面とぶつかる入隅や出隅に近いところは陰が立っています。特に白い壁が床に吸い込まれていくところでは、その陰が大きなグラデーションを見せていて、床がふわっと浮いているように見えます。 杉本──光を気持ちよくやわらかく奈落の底までとおしていくのが理想なのですが、そうもいかないのです。 青木──実際の空間を見せていただいて、床の壁とぶつかるところに全周スリットが開いていて、それが壁と床の完璧な見切りを実現しているのだなと思ったのですが、なるほど、それは写真における実現されたい視覚から来ているのですね。現実の空間を見る眼があって写真があるのではなく、写真を見る眼があってその上で空間があるという転倒、というのは変な言い方かもしれませんけれど、そうした逆照射から空間がつくられている。そうか、建物の面取りで普通最小なのは一分(3ミリ)のはずが、ここで5厘でなされているという極端なことも、その逆照射のひとつだったわけですね。当然、部屋を構成する35度、55度という斜めの面も、そういう写真つまり面の光と陰影の関係というところから空間に逆照射された結果だったのでしょうね。 杉本──35度、55度が良さそうだというのは、完全に現場判断です。実験的に白いパネルを建てて、この場所の朝から晩までの光の入り方の特性を、一年かけて検証したわけです。 青木──ということは、90度という直行軸はこのマンションが建っていることで規制されていますが、もう一方の35度、55度という角度は太陽の角度で決定されているということですね。 杉本──部屋のなかに入り込む直射光を考慮した結果の設定ということです。ただし、35度、55度が全部がランダムにあるのではなくて、それぞれが平行になるようにしています。ひとつの矩体のなかに、ふたつの矩形がオーバーラップして入っているということです。ですから、居る場所によってはどちらの角度も感じられるわけです。 青木──なるほど。私の座っている場所からは、ちょうどその二つの角度の両方が感じられますね。この空間は立体と立体の関係でできているのではなく、面と面の関係からできている。面が大切だから、無理を承知でも、出隅の面取りが完璧でなければならない。 杉本──そうです。面取りが大きなテーマです。大面取りでもあるけれども、微少な1.5ミリというミクロ的な寸法の面取りでもあるわけです。漆喰ですから二つの角度の鏝をつくってしまえばいいわけです。それは定規みたいなものですから、35度、55度とが1.5ミリ目を取るようにつくる。矩体もそれにあわせて精巧につくらないとあとでごまかしが効かないですから、あとは下塗りで誤差を調整していく。 青木──その面と面の関係から、写真を見ていると、逆に三次元が見えてくる。 杉本──そうですね。なにか展開図を見ているようなものですね。でも写真の特性としてはパースをつけたものというよりも、空間感といえるようなものを撮っているわけです。ソリッドなものを撮りながらそこに挟まれている空気も撮っているといったほうがいいかも知れません。 青木──そうして、杉本さんの写真を見る眼によって、一方では現実の特異な空間の空気が生まれ、もう一方ではその写真を見る私たちの眼を通して、私たちの頭のなかに、その現実の空間が持つ空気が再構築されるということが起きてくるというわけですね。 |
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