アートの現場から[3]
Dialogue:美術館建築研究[5]


 田中功起
 +
 青木淳


●偶然性を呼び込む
《grace》
《fly me to the moon》
2001年のセゾンアートプログラムでの作品
上:《grace》、2001、DVD(endless)
下:《fly me to the moon》、2001、 DVD(endless)


《バケツとボール》
《バケツとボール》インスタレーション

《バケツとボール》
《バケツとボール》
《バケツとボール》
《バケツとボール》にて投影された映像


《トランクと血と光》
《トランクと血と光》
2004、サイズ/時間:ビデオインスタレーション(4000×8000×4500mm)、DVD, 5min30sec



《どれもこれも》
《どれもこれも》
《どれもこれも》
《どれもこれも》、2003、DVD、30min


《By Chance(2 Ducks)》
《By Chance(2 Ducks)》、2004、DVD、30min

《just on time》
《just on time》、2002、DVD(endless)
田中──群馬のものとは意味合いがすこし異なりますが、その場にあるものを使って会場を構成するといった方法は以前から何度か試しています。2001年のセゾンアートプログラムが企画した廃校での展示のときは、会場である小学校のなかにあるものを使ってインスタレーションに活かそうと思いました。ぼくの展示場所であった教室に、例えば体育館からバスケットボール、トイレからトイレットペーパーを持ってきて、そして教室にあったゴミ箱を使って、そこで撮った映像をおなじ場所で投影するという方法で展示をしました。映像はループを基本にしていたのでボールがおなじ軌道を延々跳ねつづけるなど非現実的なものだったのですが、それを見ているおなじ場所で撮られているということが映像と会場の関係でわかるようになっていました。ただこれは自分のなかでうまくいっていると思えることと、あまりうまくいっていないと思えることが同居していました。
青木──どういうところがうまくいっていなかったと思うのでしょう?
田中──撮影されたおなじ場所でそれを見ているということはうまくいっていたと思うのですが……。
青木──そうですね 。体験している「そこ」と、そこにあるものが、普段と違うあり方になっている。
田中──展示場所が教室だったのだからその教室にあるものだけ、それだけを使って制作するということも考えられたわけです。そこに体育館にあるバスケットボールやトイレにあるトイレットペーパーが入ってくると厳密にはその展示場所の教室にはないものを使っていることになる。映像だけを単独の作品としてあとから見れば、このことはとくに問題ではないのですが、場所との関係を考えたときにすこし違和感があります。
例えばこれは修了制作として2005年の3月に藝大のスタジオで展示したもので(《バケツとボール》2005)、より方法論的に徹底させたものですが、つくりかたは一緒です。スタジオで実際に使っているイスや脚立、落ちていた木片などを使って、バケツにボールが入るさまをさまざまに構成し撮影し、撮影に使ったものをそのままインスタレーションに使いました。
青木──全部そこにあったものを使って撮って、その場所にプロジェクションしているのですね。
田中──そうです。すべて藝大のスタジオにあったもので、実際の撮影に使ったものを構成しています。これだとしっくりきます。
青木──そのことで全役者に出演してもらいたい。この展示は、映像を見なくても、インスタレーションそのもので作品になっていますね。そう意識していたのでしょうね。
田中──多少しました。
青木──ここではアトリエにあったモノたちが「仲間」になっているということが主題になっているようです。私たちは普段そのモノたちを見ていても、その間になんの関係も感じないけれど、このボール遊びで、互いが協力しあっていることに気づく。普段の景色の裏側に、物語として、私たちが知らなかった関係があったことが、まあそれは物語としてですが、あばかれている。モノたちの配置にも、その一瞥「仲間」でないということと「仲間」であることが同時に感じられるようになっていますね。これは群馬での展示の前でしたか?
田中──群馬のあとですね。以前の作品で気になったことが出てくるともういちどおなじ方法論で再チャレンジすることがあります。群馬のものはどちらかというと「六本木クロッシング」での《トランクと血と光》というヴィデオインスタレーションの延長です。あのときは会場図面をもとに模型をつくったりしていちから考えたのですが、おなじ展覧会のなかでみかんぐみが前回の展覧会(「ハピネス」展)の廃材を使って、会場入口にチケット・ブースとミュージアム・ショップを合わせたようなものをつくっていました。そのときの施工の人に「ああいう方法もありだったかもしれませんね」と言われて、なるほどなと思いました。このときは壁の表裏があべこべになるようなインスタレーションを考えていたので、裏面を見せることを前提とした壁をつくってもらい会場を構成しました。既存の壁を使用してその裏側を見せてしまうということにすればより自然だったと思うのですが、この場合はやっぱりどうしてもそのためにつくった壁だからきれいすぎて、なんというか作為のようなものが見えてしまうように思ったのです。だから廃材を使っていればもうすこし違ったかもしれないなと思いました。前回の展覧会などで使用された壁であればその裏側はたしかにリアルな裏側であったわけです。
また壁の材質やサイズなども含めて一つひとつまったく最初から考えなければならなく、それを自然な状態にすることにすごく苦労して、結果的にいろいろな条件に飲み込まれて当初の思惑とはすこし違うかたちになってしまった。ただこれは施工の問題ではなく、ぼく自身の制作プロセスの問題ですね。既成の壁を使うという発想にいたらなかった。施工としては提出したものどおりに忠実にできあがってました。ぼくはでも図面からは、やっぱり仕上がりのすべてを想像できないので、紙の上で描いたイメージと現実のギャップを最後の最後で展示に反映したいと思っているのですが、このときは偶然性とかが入り込む余地があまりなかった。それでもプロジェクターで映される映像をゆがめてみたり、投影場所の壁からはみ出すかたちにしたりと、そういうことはできたのですが。それで群馬ではある程度、自分でフィジカルに操作できるようにし、偶然性も呼び込もうとしたのです。
青木──すでにそこにあるものを全部使い切るということと、自分がつくる部分をそうして著しく限定するということ、をやろうとした。その両方は結びついていますが、後者のことは、自分がつくろうとしていることの内容だけで純粋につくるためには、逆につくってはいけないものがあるということだろうと思います。妻有(越後妻有アートトリエンナーレ2003)での料理の映像も、料理しているという状況自体はすでにそこにあるものですね。でも編集によって、なにを料理しているかという意味は消えてしまって、なにやら得体のしれない行為が延々と続いているように見えてくる。映像の編集というところにも、そうしたつくり方が現われているように思えます。
田中──ぼくは料理というものは仕込みから調理、仕上げまで一直線にできあがるものだと思っていました。いくつかの料理を同時にするにしても、ある程度の始まりと終わりはあるだろうと。だからその一直線の料理の過程を撮影し、それをバラバラに編集し、なにをしているのかわからないけど料理をしていることはたしかである、というヴィデオをつくろうと思ったのです。ところがいざ新潟にその撮影に出かけてみると、その撮影をしたひとりの料理人の一日はこちらが編集するまでもなくすでにバラバラだったのです。営業時間にそのまま一日撮影させてもらったということもあるのですが、翌日の仕込みとか、なにかよくわからない準備とか、その合間にオーダーは入るし片づけもするし、途中まで関わってべつの料理人に投げてしまったりと、とにかく撮影しているぼくにも彼がなにをしているのか、その行為がどこに繋がっているのかがわかりませんでした。当初の目的からはすこしずれましたが、この経験はたいへんおもしろかったですね。
青木──なにをしているのかわからなかったのは編集したからだったのではなかったのですね。すごい料理人ですね(笑)。田中さんの現在、やはり映像の作品が目立っています。しかし、その映像はいわゆる映像作品としては一風変わったものでした。もちろん一言で映像と言っても、そこでできることは無限にあるのだと思いますけれど、田中さんの場合は、日ごろ私たちが慣れ親しんでいる光景の瞬間を切り取り、拡大し、また編集することで、新たな相をつくりだしているように思われます。流しの水がゆっくり流れていくニューヨークで撮られた作品(《フローター》2004)、ずっと水面が動いているだけが映っていて、そこに一瞬、事件として鴨が横切る作品(《by chance(2 ducks)》2003)、水戸芸術館での哀川翔の刮目がループされる作品(《just on time》2002)。それらは、すでにそこにある光景なりすでにそこにある映像があることが大切であったようです。つくろうとしているのは、その変形です。そして、そうであればこそ、田中さんの活動は映像というジャンルにとどまらないものに拡がりうるだろうと思わせます。

★「セゾンアートプログラム・アートイング東京2001──生きられた空間・時間・身体」
会場=旧新宿区立牛込原町小学校
会期=2001年9月15日〜10月5日

★大地の芸術祭:越後妻有アートトリエンナーレ2003
会場=越後妻有6市町村全域
会期:2003年7月20日〜9月7日

★六本木クロッシング:日本美術の新しい展望
会場=森美術館
会期:2004年2月7日〜4月11日

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