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●美術館とコレクション
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▲黒岩恭介氏
▼青木淳氏 |
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●常設展と特別展
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黒岩——美術館とは何かというと、基本的にコレクションだと思うんです。美術館だってひとつの博物館ですから、古今東西いろんな作品を集めたい。でも実際には物理的にも経済的にもそれができないのでどうしているかというと、時代を区切って地理的に限定したコレクションをする。そして美術館のアイデンティティがコレクションによって形成されているんです。
美術館と博物館のコレクションのシステムは違います。博物館は発掘されたものは何であれ、事実として当時のことを知るうえでの材料として、美学的なことは抜きにコレクションの対象になります。民俗資料館も同じです。ところが美術館の場合は価値のフィルターがある。美術では同時代の中でもいろんな作品がつくられていて、伝統を追う人もいれば時代の先端を走る人もいて、その間の振幅に幅がある。美術館はそれを全部集めるわけにもいかない。けれどもその時代の状況を伝えるのが美術館の役割だとすれば、歴史を参照しながら時代をよく表現している作品を集める。印象主義の時代を例にとると、当時アカデミックなものが優勢だったんですが、それは今の時点から振り返ると、あたかも存在しなかったかのように忘れられ、当時よく理解されてなかった、時代の最先端を走っていた印象派が、まるでその時代にはこれしかなかったかのように美術史は形成されていて、コレクションの対象になっているわけですね。また、美術館というのは歴史的な資料を収集するところですから、同時代のものを収集するのは果たして可能かという問題がありますが、現実には現代美術館があります。歴史化されていれば問題はないのでしょうが、同時代を扱う場合は歴史化の過程を美術館が担うことになるわけです。これまでは美術史家や批評家がやってきたり、歴史的淘汰によってなされてきたことが学芸員の仕事になり、さらに学芸員は展覧会を開催したり、コレクションを通して、美術の歴史に大きく関わるようになってきています。美術館がとりあげたものが歴史になる可能性が大きいのだから、学芸員は歴史的な視野を広げてアートを見つめる必要があるわけです。だけど現在、日本だけでもないのですけれど、現代美術を取り上げている美術館の中には、単なる流行だとか、サブカルチャーに依存する美術に目を奪われて、それに光を当てようとするところが多いような気がしてます。美術館がテーマパーク化する状況は、やはり問題あり、と思います。で、もう一度美術館の役割や責任を考え直す必要があると思いますね。
現実問題として充分なパーマネント・コレクションを形成し、見せていくのは非常に難しい。そこで、足らないものを作家本人や他の所有者から借りてきて、その作家の仕事の全体なり、ある時代の流れを包括的に見せていくということを美術館はせざるを得ません。それがテンポラリーな展覧会の基本じゃないかと思います。パーマネント・コレクションを補完する展覧会です。ところが日本ではパーマネント・コレクションの展示、いわゆる常設展示には人が集まらない。日本独自の状況として、集客のためにデパートが美術展をやってきました。これが、おそらく悪影響を与えていて、一般の人たちの意識にも、コレクションとは無関係に、特別展を見に行くのが美術館に行くことだ、ということになっている。これは美術館で働いている者としては悲しい状況です。もっとコレクションに注目してほしい。美術館は地域に根ざして活動しているから、コレクションというのはその土地の特色が出るし、美術館の独自のポリシーが最も良く出ます。ここに来なければその作家の作品が見られないはずで、それを目指したいんです。美術館に対する意識の変革は難しいだろうけど、これからはコレクションの特色を説明していくという地道な活動をしていかなければいけないと思います。
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