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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

岩元真明

●A1+A2

震災は建築の公共性を問い直したと言えるだろう。
3月11日の深夜、当時勤めていた青山の設計事務所から世田谷の借家まで徒歩で帰宅した。通りは徒歩で家路に向かう人々であふれていた。表参道ヒルズを筆頭に華やかな商業ビルがすべて閉鎖されている一方で、代々木体育館や槇文彦設計のキリストの教会が帰宅難民たちに開放されていたのが印象的だった。明るいコンビニの存在も一時避難所のように心強く感じられた。また、震災からしばらくして赤坂プリンスホテルが被災者を受け入れたことも印象に残った。3月末に営業終了し7月に解体がはじまるまでの一時的な期間に、東北での居住困難者に700の客室が無償で提供されたのである。
近年ハコモノと批判され続けてきた公共建築に避難所としての意義が浮かび上がった一方で、都内の駅などでは公共空間が閉ざされた。平時に公共性を唱う民間の建築もまた、その真価が問われた。有事下においては官民の区分と公共性の有無は必ずしも一致しなかった。

3月22日、建築史家・鈴木博之は「薄氷の帰宅難民」というテクストを発表した。これは鈴木が難波和彦、石山修武と続けている「Xゼミナール」というインターネット上での勉強会において寄稿されたものである。
鈴木は自身のテクストを「メモワールとしての3・11地震」と呼び、青山の大学研究室で地震に見舞われたときから板橋区の自宅に帰宅するまでの5時間ほどの経験を克明に記録している。未曾有の事件を一人の徒歩帰宅者として冷静に眺める鈴木の視線は、彼の『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』と通底するように感じられた。震災が歴史化されるのは遥か先のことであろうが、記憶は錆び付き捏造されやすい。その意味では、一個人の視線を結晶化した鈴木のテクストは非常に意義深いものだと思う。
鈴木は言う。「パブリックな顔をしているがコマーシャルビルは、いざとなるとその内部をシャットアウトしてしまう。JR駅舎などのパブリックな空間自体も、この時にはその内部を閉ざしたらしい。パニックに対して都市の公共空間は、瞬間的に縮むのだ」。ここには、3.11以降に公共空間を考えるうえでのヒントが潜んでいるように思う。震災が明るみに出した建築の公共性の問題は今後も引き続き考えていきたいと思っている。

●A3

2011年11月からベトナムにて建築に携わっている。ホーチミン市では約1年前にビテクスコ・ファイナンシャルタワーというベトナム初の超高層が竣工した。また、磯崎新設計のダイアモンド・アイランドという高層大規模開発も建設中である。ハノイでは2011年にカンナム・ハノイ・ランドマーク・タワーという345メートルの超高層が竣工し、それに続いて65階建てのハノイ・シティ・コンプレックスが計画されている。隣国のカンボジアでも、高層アパートメントやリゾートの計画が複数進行しているようである。
中国という大きな存在によって目立たなくなっているが、東南アジアの開発スピードは著しい。近年の巨大都市の多くは熱帯で出現している。そこは、近代化にともなう環境破壊や都市の均質化などの20世紀に解決を見ることができなかった問題がもっとも先鋭化している場所と言えるのではないだろうか。政治、経済、気候などさまざまな点でこれまでの先進国とは異なる東南アジアの都市・建築の動向に注目し、新しい建築を模索していきたいと思う。

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ホーチミン市の夜景。超高層ビルはビテクスコ・ファイナンシャルタワー


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