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特集:201201 2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート<

加藤賢策

●A1

自分はいわゆる被災地での「被災」はしていません。3.11からいままで被災地から少し離れた東京にいながら震災に関する情報を大量に浴び、被災地では経験できないような緩慢な被災を受けているように感じます。まずは被災を物理的なレベルだけでなくどのようにとらえるか、そのことは今後とても重要だと思っています。
また、自身のデザインについて考えることはもちろん、それ以前のちょっとした「生活」にもそのときに無意識に共有している「気分」みたいなものが大きく影響することもあらためて実感できました。その意味では、それまで自分はある部分で自由になにかをつくっているような錯覚がありましたが、錯覚を成り立たせている底が抜けた結果、震災前よりも思考がクリアになっているような気がします。地震の多い国土にこれからも根をはるのか、住みつづけるとしたらどのようなかたちがありえるのかなど自分の生活を(サバイバル的な感覚も含めて)ニュートラルに考えられる時代はこれまでにはなかったと思います。

●A2

「メタボリズムの未来都市」(森美術館)、東浩紀『一般意志2.0』

60年代ほど国家規模のプロジェクトに建築家、デザイナー、アーティストといった人たちが関わった時代はありません。ヴィジアルコミュニケーションの分野でももれなく若手のグラフィックデザイナー達が東京オリンピック(1964)や大阪万博(1970)など大規模プロジェクトに関わっていました(メタボリズム発足時には31歳のグラフィックデザイナー粟津潔が関わっている)。それらのプロジェクトを通してピクトグラムなどの言語に依らないコミュニケーションの規格化や、ダイアグラムなどのマクロ情報を扱うコミュニケーションなど、現在あたりまえのように利用されているいくつかのコミュニケーションの基礎が日本ではほぼこの時代に確立されたといえます(そもそもヴィジュアルコミュニケーションという概念自体が日本で影響力を持ったのも1960年に東京で開催された世界デザイン会議によるところが大きい)。このようないまではある種、伝説化した事象を前に、後続世代としては驚きと同時に複雑な気分ではありますが、とりあえずそのような感傷を脇に置き、テクノロジー状況が圧倒的に変化したいま、あらためてその意味を考える必要があると思います。
例えばダイアグラムに関して、60年代と違うのは現在はマクロ情報を国家規模でなくとも個人が容易に利用できるという点であり、ネットによるソーシャルメディアや膨大なアーカイブにより情報の収集および解釈もさまざまなバリエーションが検討できるという点です。東浩紀さんの『一般意志2.0』はルソーの一般意志を現在のテクノロジー状況から再検討し、データとして扱うという可能性を示しています。無意識を集めて可視化しフィードバックすること自体は特に新しい発想ではないけれども、現在、なにがデータとして扱えるか、また、それらのデータをもとにどんな情報が見いだせるのか、さらにそのさきになにが見えるかを考えることは重要だと思っています。

メタボリズムの未来都市展──戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン(森美術館、2011)
東浩紀『一般意志2.0──ルソー、フロイト、グーグル』(講談社、2011)

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