ENQUETE

特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

山岸剛

鈴木了二《物質試行53 DUBHOUSE KINO》

2012年2月24日、恵比寿の東京都写真美術館で建築家の鈴木了二氏による展示作品を撮影した。これはこの美術館で行なわれた恵比寿映像祭に出展されたもので、作家によって《物質試行53 DUBHOUSE KINO》と名付けられた作品である。この《DUBHOUSE KINO》は模型というには巨大で、どこか歪んで見えると同時に、極度に研ぎ澄まされたかの端正さをもつ白いオブジェクトであった。重たい量塊であるのか、軽く薄い表面の連なりであるのか、にわかに判じえないこの物体には、開口部とも穴とも、あるいはたんに「開け」とでもいうべきものがいくつかあって、ここから内部空間を眺めることができる。内部の垂直面には、この作家が同じく「DUB」というコンセプトのもと設計して実際に建っている建築作品の映画がLEDのプロジェクターによって投影されている。LEDの光は色温度がやたらと高く、よって内部空間はことさらに青く、そして明るい。それは写真にとっては、かつてタングステンのフィルムが薄暮時の光をとらえたあの青さとは明らかに違う、きわめて現代的で少し異様な色味である。内部に入ることは禁じられているから、身体を自在に操って内部空間の情報を得ようとすると、底面に敷きつめられたガラスに複数のフレームらしきがおぼろげに映っている。実像を確認するべく身体を屈めると、一番奥、例のLEDの光が行き届かない薄暗い一隅に、数葉の大きなタブローが展示されているのが見える。が、ここからは部分的にしか確認できないし、遠すぎて像を判別することもできない。撮影のため内部に立ち入り、この場所に立った。


LEDの青さに隈なく明るい内部空間のなかで、もっとも奥まって遠く、ゆえに薄明の、馴染んで蒼白の光のなか、人知れずひっそり架けられていたタブローには福島第一原子力発電所がモノクロームで描かれていた。福島第一原子力発電所の事故現場に構想された、この建築家による純然たる建築の計画だった★1
少なくとも2月のあの時点で、完全なる誇大妄想である。が、私はこの誇大妄想に強烈なリアリティを覚えた。いま誰がほかにこんな誇大妄想を描きうるだろうか? この作家がひとりの建築家として是が非でも仕上げなければならなかったこのドローイングは、現在の福島をめぐる喧騒からもっとも遠い場所で描かれ、可能なかぎり慎み深いやり方で展示され、だからこそ強烈に切迫した現在性としてアウラを放っていた。
微かな光を4×5インチのフィルムに定着させること約3分、撮影は祈りのように行なわれた。鈴木了二という人がものをつくるときに選ぶ「位置」と「距離」の政治学に私はいつも尊崇の念をいだく。この政治学は倫理である。





西片建築設計事務所《ホワイトルーム》

二つ目。2012年の10月21日に西片建築設計事務所の設計による《ホワイトルーム》を撮影した。おかしな言い方になるが、建築物で久しぶりに私の考える「建築写真」が撮れた感触をもったのでここに記したい。
都心の緑豊かな谷の斜面に張り出した、ごく小さな仄暗い地下室の増築である。大袈裟に聞こえるかもしれないが、その操作の透明な明晰さと、それによって拡張される経験のひろがりに、昨年初めて訪れて大きな感銘を受けた浄土寺浄土堂を思い出した。といって浄土寺浄土堂だからというわけではなく、彼らの仕事はときに、ほとんど宗教的と呼んでいいような経験を私にもたらす。これは彼らの前作《淡路町の家》においても体験したのでまちがいない。


さかのぼる晩夏の午後、私は撮影の下見のためこの地下室に独りたたずみ、谷底に向けて穿たれた二つの大きな窓をぼうっと眺めていた。低くなりはじめた太陽が窓から斜めに差し込んで室内はとりわけ白く、明るく、そして静寂に満たされていた。山の斜面にはまだ木々がたくさん葉を茂らせていて、風を受けると木漏れ日は、床に予想もつかない影を落としながらたえまなく動いていく。ふと何匹かの鴉の鳴き声が窓のフレームの外で甲高く響き、続いて木々のざわめく音がした直後、この地下室は、《ホワイトルーム》は暗転した。鴉はその予兆をとらえたわけでもないのだろうが、彼が叫びをあげて飛び立つや、流れる雲が一瞬、太陽を隠したのだった。そういやよく晴れてたけど雲の多い日だったよな、とそのとき思ったのを憶えている。
外で起きている出来事は私には見えないが、その出来事の連続は、外の自然はこの建築を通して、建築にいわば変換されたかたちで私の身体に伝えられた。それは私にカメラという暗い箱を想起させた。私はカメラのなかに入ってしまったのだった★2。この経験が、ふだん私がしている、カメラを通して外部の自然を測量する行為と同じなのかどうか、まだよくわからない。ふだんはカメラのなかには入らないから。と、こう書いていて、写真家の宮本隆司氏が大型のピンホールカメラを使って撮影した仕事を思い出した。写真家はそのピンホールカメラの室内に印画紙をセットしてそのまま、露光時間中ずっとなかにいなければならないから、仕上がった画面には彼自身の身体が写し込まれる。いや、それは身体というよりはもっと生々しい「肉体」というべきで、それがカメラのなかの暗闇でもがいているように見えるのだった。傑作★3
さて、こんな経験やそこから生ずる連想が宗教的といえるかどうかよくわからなくなってきたが、《ホワイトルーム》もまた、まぎれもない傑作だと思う。


畠山直哉『気仙川』

上記した西片建築設計事務所の撮影の下見に行ったとき、約束の時間より早く着いたので近くの本屋に入った。畠山直哉氏の新著『気仙川』が平積みにされていた。去年この欄で書いた、この写真家の生まれ故郷である陸前高田の大津波被災前の風景と、被災直後の風景の写真が、文章とともにまとめられた本だった。少し前に出版されていたのは知っていたけれど、なかなか手が出ずにいた。店頭で写真を一通り見て、その出来上がりに焦りを覚えてその場はやり過ごし、帰宅して落ち着けてからアマゾンで注文した。本に挟んである注文書によると9月12日に手元に届いた★4
被災前の気仙川の風景の写真が筆舌に尽くしがたい。とりわけ色彩が、なんとも言いようもなく美しい。画面のなかの要素がひとつ残らず丁寧に色づけされていて、すべてのかたちが粒として立ち上がってくる。その日の大気、光、雲、水、人々の顔、家々、橋......まさに万物が等しく、慈しみをもって画面にとらえられている。一つひとつことなる背景をもったすべての個物が、等しくおなじ強度を持つと、画面にはおのずと奥行きが生まれる。すると例えば一人の少年が祭りの行進のなか笛を吹いている光景など、いまにも音楽が聴こえてきそうで、ほとんど神話のワンシーンのようである。幼いころ見た、ウォルト・ディズニーがベートーヴェンの交響曲6番『田園』をアニメにしたのに出てくる、身をくゆらせて踊る笛吹きの少年を私は思い出した。
写真でこんな風に画面を仕上げることができるのかとあらためて瞠目した。若輩者の私見だが、写真において「仕上げ」というのは写真家だけが見た光景を、それを見たことのない人にむけて開いていくプロセスである。その光景に、そこにあったモノに写真家が読み込んだものを、写真に固有のやりかたで、つまり画面のなかの目に見えるものだけを駆使して、まだ見ぬ人々にたいして書き出していく。画面のなかの目に見えるかたちに、写真家は彼がこれまでに見てきたものを充填し、見る人はそこから、そのまったく見知らぬ光景に触発されて、自分だけがもつ感情を発見し、自分だけの物語を紡いでいく。
写真家はこの本の「あとがきにかえて」のなかで、次のように書いている。

──「写真として」ではなく、そこに何があったのか、その人はどんな顔をしていたのか、その時の空は、水はどんな色だったかを、写真から確かめたい。僕は初めてナイーヴにそう思った。[下線は筆者]

この言葉に反して私は、上記した意味で、これらの写真は「写真として」すばらしいと思う。「写真として」成立していると思う。この写真家が彼の生まれ故郷を、大津波に襲われる前に撮影して仕上げた写真たちは、もちろんあの大津波をめぐるあらゆるものを想起させてやまない。でも、それだけではけっしてなく、それと同時に、それとまったく同じ強さで、残酷にもあの災厄とは無関係に流れている感情をも吸収しうる写真ではないだろうか★5。これらの写真の意味はたしかに抗いようもなく、あの災厄によって決定的に変わっただろう。しかし、それにしても、これらの写真にはきわめて具体的で物質的な抵抗があって、それだけが、この写真を見る人々の個々の感情をつなぎとめているのではないだろうか。少なくとも私にとってはそのような写真であった。
だから、これらの写真を、「『写真としてどうか』という風に理解しようとすることは、僕にはもうどうでもいいことのように思える」というこの写真家の発言に、この写真家の発言だからこそ、私は共感できないでいる。共感したくない。このことはいくらでも考えつづけなければならない。

建築写真

さて去年この欄で私は、私が考える「建築写真」について書いた。それは私が考える「建築写真」が取り扱うべき主題について、内容について書いたのだった。であればいきおい今年は、そのような「主題」「内容」を扱うときの手つき手さばきについて、つまり「方法」や「形式」について考えるところを書くべきだろうと考えた★6
最近とみに思うのは、私がある芸術作品に感動するとき何に感動しているのかと言えば、それはその作品が獲得するにいたった正統性、オーセンティシティに感動しているのである。正統性とは、ひとつの絵画作品なり建築作品なり小説作品が、それが属す系譜のなかでこれまで先人によってつくられてきた過去の作品の一切、つまり伝統のなかに場所を得たということであり、その作品が完成し伝統のなかに位置づけられたことで、その伝統の見え方が変わったということである。そのような伝統の見え方の変化こそが「新しさ」と呼ばれる。そしてその当の作品が、それが属す伝統に連なることができたということは、作者はもう独りでつくる必要がない、彼は彼を超えた大きな流れのなかで、その流れにみなぎる力の恩恵を身体いっぱいに浴びながら作品をつくることができる、結果として彼は個人でつくりうる以上のものをつくることができることを意味する。私もこのような場所で写真を制作していきたい★7
だが写真にそのような大きな流れがあるかと問えば、ほとんどない。写真は絵画や建築や小説がもつような遺産をもたない。誰にでも撮れるし、それに追い打ちをかけるようなデジタライゼーションの大波をもろにかぶり、ゆえにその生産物の量たるや天文学的なスケールで日夜増殖していく、ジャンルとして括りえないどうしようもないジャンルなのである。しかし、そんなどうしようもなさは絵画も建築も小説もついぞ経験したことのない、まったく新しい状況である。そんな写真の洪水のまっただなかで泳いでいかなければならない現代において、建築写真はすがるべき一束の藁になりうる。なぜなら建築写真には、絵画と建築がこれまで培ってきた、三次元空間を二次元平面に変換する知と技術の体系が注ぎ込まれているからだ。つまり伝統と呼ばれるにふさわしい蓄積が流れ込んでいる唯一の写真なのである。ネガの発明者タルボットが著した世界で初めての写真集『自然の鉛筆 The Pencil of Nature』の最初の1ページ目の写真が建築の写真であるのは、だから、故なきことではない。そしていまはほとんど形骸化して、ただの約束事になり下がっている建築写真の形式性こそは、まさしく伝統があってはじめて練り上げられてきたものだし、これによってひるがえっていま、伝統を刷新することができる。つまり建築写真には誇るべき歴史が、かろうじてあるのだ。私はこの流れに連なって私の「建築写真」の制作を続けていきたい。

最後に。引き続き、東北地方の太平洋沿岸部の写真を撮り続けている。ほぼ季節が移るごとに訪れては、レンタカーを駆って国道45号線を上下する。1回の撮影に約1週間、これまでに6度撮影を行なった。次はこのアンケートに回答し終えて2013年、年明け早々に盛岡入りし、南相馬まで南下する。去年このアンケートに書いたような意味での「建築写真」として、被災地に限らない沿岸部の風景を大きくとらえて撮影している。現時点で「建築写真」として仕上がったとみなしうる写真が30枚から40枚ほど、まだ量が少なくて問題にならない。あの地震と津波と原発事故が露呈させた複雑きわまりない事象が生じさせる、人々の新しい「感情」を吸収しうる装置としての、写真の「組み合わせ」をいく通りもつくれるようにしたい。そのためにまずは「量」が必要になる。それがどれだけのヴォリュームになるのか見当つかないが、少なくとも今後、5-6年はかけてどっしり腰を据えて制作していきたい。











★1──この計画が福島第一原子力発電所をめぐるものであると建築家自身が言明しているわけではないことを追記しておく。確認したところ、正式には《フィガロ計画》という。
★2──かつて画家たちが写生に供し、今日のカメラの前身とされるカメラ・オブスクーラは「暗い部屋」を意味する。
★3──宮本隆司「ピンホールの家」。
★4──畠山直哉『気仙川』(河出書房新社、2012)。
★5──津波は、一回性の出来事ではなく、自然による反復である。人間に対して徹底的に無関心な外部性としての自然が起こす、反復的な出来事である。だから自然による反復の、その徹頭徹尾の無関心さゆえに、人間はそれに対してある種の明るい諦念を持つことができはしないだろうか。これははてしなく残酷だが、アウシュヴィッツのような人間による一回性の出来事とくらべるとき、ほとんど「救い」であるように思われるのだ。だから、自然の私たちに対する無関心=無関係から帰結する、私たち人間の、自然に対する無関係な関係という「余地」が、かろうじて残されているように思われる。
★6──「2011-2012年の都市・建築・言葉 アンケート」
URL=https://www.10plus1.jp/monthly/2012/02/enq-2012.php#1853
★7──このあたりはT・S・エリオット「伝統と個人の才能」に大きく負っている。(『文芸批評集』[岩波文庫、1962]所収)また、小説家の保坂和志が同じく小説家の小島信夫との往復書簡のなかで、小島信夫は「小説に奉仕する」ように書く唯一の小説家だと述べている箇所にも影響された(『小説修行』[中公文庫、2008])。

キャプションとクレジット(掲載順)
鈴木了二《物質試行53 DUBHOUSE KINO》
fig. 1──「DUBHOUSE KINO, 2012年2月24日」
fig. 2-5──「Figaro Project, 2012年2月24日」
西片建築設計事務所《ホワイトルーム》
fig. 6-7──「White Room, 2012年10月21日」
建築写真
fig. 8──「神奈川県川崎市川崎区、2011年3月17日」
fig. 9──「北上川、宮城県石巻市中野、2011年10月25日」
fig. 10──「千葉県旭市、2011年3月16日」
fig. 11──「岩手県下閉伊郡田野畑村羅賀、2012年4月29日」
fig. 12──「尾形家、気仙沼市小々汐、2011年7月17日」
fig. 13──「尾形家古文書、リアスアーク美術館、2011年7月19日」
fig. 14-17──「岩手県宮古市田老青野滝北、2012年4月29日」
fig. 18──「岩手県陸前高田市、2012年2月3日」
fig. 19──「岩手県大船渡市、2012年2月3日」
fig. 20-21──「我妻家、宮城県刈田郡蔵王町、2012年2月4日」
fig. 22──「万石浦、宮城県石巻市沢田、2011年7月20日」
fig. 23──「万石浦、宮城県石巻市沢田、2012年2月2日」
fig. 24──「宮城県石巻市北上町十三浜、2011年7月19日」
fig. 25──「宮城県石巻市北上町十三浜、2012年2月2日」
fig. 26-27──「岩手県宮古市田老川向、2012年5月2日」
fig. 28──「北上川、宮城県石巻市北上町橋浦、2012年2月4日」
fig. 29──「宮城県石巻市釜谷、2012年8月19日」
以上、すべて撮影=山岸剛


INDEX|総目次 NAME INDEX|人物索引 『10+1』DATABASE
ページTOPヘ戻る