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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

岩元真明

東急ビンズン田園都市

「田園都市、輸出します」★1。2012年3月、東急電鉄はベトナムの国営企業との合弁会社「ベカメックス東急」を設立し、ホーチミン市の北30kmにあるビンズン省における都市計画に着手した。事業総額1,000億円超、人口12万人を超える新都市。これは東急多摩田園都市における街づくりのノウハウをパッケージ化して輸出する大胆な試みである。
都市計画をパッケージ化して「輸出」するという手法自体はそれほど目新しいものではない。過去に遡れば植民地都市などはその典型であるし、1990年代後半からシンガポールなどの先進国が牽引した工業団地(インダストリアル・パーク)の海外展開もまたその一例と言えるだろう。ベトナムで現在進行中の日本や欧州が協力する地下鉄計画もまた都市計画の「輸出」のひとつと呼べる。しかし、日本独特とも言える交通網と宅地の一体的開発の「輸出」は他に類を見ない試みであり、縮小する日本市場からの活路を示す好例となるかもしれない。
個人的にはパッケージ化した都市計画の「輸出」がどのように現地の風土に根付いていくのか、直截に言えばどのように変形していくのか、ということに興味が惹かれる。例えば、19世紀末に展開した植民地都市は南国の気候風土に合った独特のコロニアル様式を生んだ。一方、近年ベトナムに建てられた工業団地を見ると、スケールやプログラムの点で周囲から浮いた島宇宙のようになっているという側面も否めない。
東急ビンズン田園都市では、オーストラリアの設計事務所PTWを実施設計者に据えて巨大コンドミニアム建設が始まった。2013年にはこの新都市に政府機能が移転して新省都となる予定であり、開発はより加速してゆくだろう。エベネザー・ハワードの構想を「輸入」して生まれた日本の田園都市が、今度はベトナムに10年超をかけて「輸出」される。ベトナムの風土・習慣・技術を背景として、田園都市が今後どのように変質していくのか注視していきたいと思う。

★1──『朝日新聞』(2012年10月4日)一面見出し
URL=http://www.asahi.com/business/update/1004/TKY201210030829.html

テクノロジーとアート

2012年の世界の出来事とは無関係だが、ベトナムで個人的に見聞した建築について述べたいと思う。
ホーチミン市内にはギュスターヴ・エッフェルが関わったとされる《第二児童病院(旧グラル病院)》という建築がある★2。奥行きのあるバルコニーが特徴で、橋梁のような鋳鉄アーチの上にレンガを目透かしで積んでつくられており、レース編みのように繊細である。病院は豊かな緑に囲まれて、建物の内外ともに心地の良い空間が生まれている。1880年の段階でこのような良質な建築がつくられたことに驚くと同時に、なぜ以降の建築にさしたる影響を与えなかったのかと疑問が生じた。調べていくと《第二児童病院》の鉄材はベトナム国内でつくられたのではなく、すべてフランスから直輸入されていたことがわかった。
フランスの技師によりフランスの材料でつくられた建築。《第二児童病院》がなぜそれ以降の都市建築にポジティヴな影響を与えることができなかったか、その理由は明白である。この病院を現地の技術で模倣することが不可能であった。それゆえイメージのみが流布して劣化コピーを生み出していったのであろう。
技術にはふたつの位相がある。カタログ的に移動可能な技術(テクノロジー)と、現地の職人の手に宿る技術(アート)。アートなくしてテクノロジーが輸入されるとき、行き着く先は劣化コピーの氾濫するジェネリック・シティではないだろうか。先進国による途上国への干渉はしばしば近代化の流れをコマ送りにし、その非連続な流れは大量の劣化品をもつくりだしてしまう。このような問題は、途上国における日本のODA(政府開発援助)の事業などにも一部あてはまるかもしれない。
多くのアジアの建築家は地域性を現代のヴォキャブラリーで再解釈しようとしている。私は逆に、現代的ヴォキャブラリーを地域性によって再定義してみたいと思う。そうすることで、地域の技術に根ざした新しい建築が生まれるのではないかと考えている。

★2──ギュスターヴ・エッフェル《第2児童病院(旧グラル病院)》(佐貫大輔+西澤俊理(S+Na.)、岩元真明+西島光輔+大西邦子(VTN)「Photo Archives 144 ベトナム南部」[「10+1 website」2012年8月号、LIXIL出版])
URL=https://www.10plus1.jp/photo-archives/144/album.php?c=5&i=0

原発の輸出

震災の約1年後、ホーチミン市にて高成田亨氏、五十嵐太郎氏を招聘した「3.11東日本大震災の記録」という講演会が開催された(国際交流基金ベトナム日本文化交流センター)。特に、大震災後の建築関係者の展開をまとめた五十嵐氏のレクチャーを自身で見た被災地の状況と重ね合わせながら興味深く聞いた。
驚いたのは、レクチャー後の質疑応答におけるベトナムの学生たちの反応であった。彼らの質問は直接の地震被害よりも、その後の原発事故の問題にほぼ集中した。ベトナムでは現在日本からの原発技術の「輸入」が進行中である。学生たちの反応には原発技術に対する期待と不安が浮き彫りになっていたように思う。国家的スケールではあるが、原発もまたテクノロジーとアート(技芸)の「輸出」の問題のひとつと言えるだろう。自国ですら制御できなかった技術を、途上国で安全に運営することは可能だろうか? 今後の展開を世界が見つめている。

ギュスターヴ・エッフェル《第2児童病院(旧グラル病院)》
URL=https://www.10plus1.jp/photo-archives/144/album.php?c=5&i=1

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