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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

日埜直彦

●A1
国立近代美術館の「美術にぶるっ」展、とりわけその展覧会の一部であった「実験場1950s」展と埼玉近代美術館の「日本の70年代」展は、近代という時代を客体化し再検討する意思を強く感じさせる展覧会であった。われわれはモダニズムの限界とか近代主義の閉塞とかいうことをどうも簡単に言っているのだが、おおむね半世紀ほど前からい言われているこのような見方を更新し、ひとつの歴史としての近代を再検証する距離感を確立しつつあるのかもしれない。
近代はイデオロギーによって語り尽くせるほど単純な時代ではない、ということは誰でも知っている。単に近代は終わったとネガティヴに言って退けるのが抽象に過ぎないとすれば、逆にその後の半世紀の歴史を見て結局のところ近代は持続しているではないかとリアリズムを気取るのも、たいした知性ではない。切れば血も出るような止むに止まれぬひとつの歴史として、悲劇と困難をないまぜにしつつ一つひとつ積み上げられたソリッドな持続としての近代を、あらためて直視し、その起伏を確かめつつ、能うことならばその渦中においては必ずしも意識されなかった構造を抽出し客体化すること。そうしたことをわれわれに可能にする距離が半世紀を経てようやく現実となったということかもしれない。
そうしたことと並行するいくつかの事例も挙げられるだろう。すでに当webで書評を書かせていただいた篠原雅武氏の『全−生活論』もそういう問題構成を孕んでいたはずだし、すこし視野を引いてみれば石川初氏の『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』さえそのように言いうるはずだ。あるいは原武史『団地の空間政治学』もまたそうだったし、ちょっと毛色は違うがBMCによる『いいビルの写真集』だってわれわれの現在の一部をなす近代を掘り下げ確かめてみる検証行為と言うことができるだろう。オルタナティヴな歴史ではなく、包括的な歴史の多面性に対面しもって現代を照らすことが今の課題だということではないだろうか。これらは過去の問題ではなく、粗雑な歴史観を起点として現在を考える野蛮に抵抗するための大切な仕事である。

近代と言っても少し問題を異にするが、編集出版組織アセテートによる『アドルフ・ロース著作集I 虚空へ向けて』の刊行は特筆しておきたい。息の長い仕事もまた重要である。

●A2
丹下健三生誕100年を記念した展覧会が用意されつつあり、またそれに関連した書籍も準備中である。日本の近代建築史を丹下健三に過剰に仮託することは危険ではあるが、しかし丹下抜きの日本近代建築史がまったくありえないことも明らかであり、丹下を的確な位置に据えることは日本近代建築史の欠くべからざる課題である。部分的には一昨年のメタボリズム展においてなされたことであるが、先に述べたような近代の再検証の視点に応えうる丹下像が現われることを期待したい。
また国立近現代建築資料館が今春開館することと聞く。散逸が危ぶまれてきた建築図面や模型などの資料が体系的に収拾される受け皿ができることは画期的なことである。将来的にどのような存在に育っていくかはわからないが、なによりも公的な視点に適うアーカイヴ形成の責任がある。今後の活動を見守りたい。
個人的には岩波書店から刊行を予定されている磯崎新建築論集と季刊誌『10+1』にて継続的に行なってきたインタヴュー集(年内刊行予定)に取り組んでいる。いまも旺盛に活動を続ける建築家に対しておかしな言い方になるが、これをもってもはや言うべきことを残さぬつもりで仕上げたい。

●A3
震災復興の前線に立っておられる方々にまず敬意を表したい。そのうえで東日本大震災にかぎらず今後確実に来ると想定されている災害を直視し、日本という国においてわれわれはどのような生活を維持していくのかが問われているのではないか。「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」(カント)。実に厳しい言葉である。
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