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特集:201301 2012-2013年の都市・建築・言葉 アンケート<

井上雅人

●A1

2013年が生誕125周年、没後40周年ということもあって、2012年にはパナソニック汐留ミュージアムおよび国立民族学博物館で「今和次郎採集講義──考現学の今」展が行われた。
今和次郎への注目がそれほど一般的なものとは思えないが、街や人を観察し伝達する手法については、ここのところ関心が強まっているように思う。社会が抱える問題が、震災などをきっかけにあらためて意識され、自分たちの生活を見直そうという気風が、かなり共有されているということもあろう。そのためのツールとして、今和次郎が提唱した考現学や生活学は有効だろう。
思えば、日本のプロダクトが新興国で受け入れられず、韓国企業の商品が受け入れられている理由のひとつとして、鍵付きの冷蔵庫など、現地のニーズに合わせた商品を展開していることなどが話題になった。その裏に、現地の生活への観察の深さの違いがあることは誰の目にも明瞭だった。ソニー、シャープ、パナソニックと、日本を代表する家電メーカーが次々と経営危機を迎えたのも2012年であった。あらためて、ものづくりにおいて考現学や生活学を応用していく道を見直してみてもいいのではないだろうか。
私も『今和次郎と考現学』(河出書房新社、2013)に寄稿したりと、今和次郎について考える機会が多い一年だった。

左=「今和次郎 採集講義」展ポスター
右=『今和次郎と考現学──暮らし の"今"をとらえた〈目〉と〈手〉』(河出書房新社、2013)

●A2

2013年の動向として気になっていることのひとつは、地方芸術祭がどうなっていくかということだ。
2012年には、私も「西宮船坂ビエンナーレ」で作品を展示したが、住人たちも運営ノウハウを蓄積し、参加するアーティストたちも地域との連携を理解しており、地元の大学に勤務する出展者という板挟みになりかねない立場でありながら、まるでストレスを感じず最後まで参加することができた。
その一方で、「町おこし」や「村おこし」の手法としての芸術祭が、いわゆる「B級ご当地グルメ」や世界遺産誘致におされて、飽きられつつあるという実感もあった。地方の芸術祭も、結局は大都市のものが残りつつあり、最初は目新しさで遠隔地まで訪れていた人々も、大都市で大規模に行われる芸術祭の方が、手軽かつ充実しているので、そちらだけで満足するようになってしまった。おかげで、芸術祭に地域振興を期待していた人々は関心を示さなくなりつつあり、今後、消滅する芸術祭も出てくることであろう。
もっとも、住民が、身の回りに徐々に美術作品を増やしていくことと、生活を豊かにしていくことを強く関係づけている地域が、これから今までとは違った美術との関わりを築いていくであろうことは大いに期待できる。美術作品を作り出す住人なども出てくるかもしれない。また何よりも、複数の地方芸術祭に複数回参加しているアーティストが随分増えてきたようで、そういったアーティストたちが、地域内での連携や地域間の繋がりの形成や、生活のあり方の提案など、今までのアーティストがしなかったような行政的な役割を果たしているのは素晴らしい。美術に関わる職業の枠を広げていく可能性すらあるだろう。

もうひとつ気になっているのは、これから歴史家がどのような役割を果たしていくかということだ。
東アジアの不安定な政治情勢のなか、歴史を語る時に、ほぼ必ずと言っていいほど「歴史認識」の正しさが問われるようになってしまった。歴史を、正しかったのは誰か、その時どうするべきであったか、といった視点で見ることの意義はあると思うが、歴史という知の在り方は、それだけではない。現在の思考や感覚では理解できないような出来事や考えの存在を知り、人類がいかに多様であるか、可能性を持った存在であるかといったことに思いを馳せることができるようになるのも、歴史の効用であろう。
現在との繋がりを分かりやすく示し、これからすべき行動を考えるヒントをくれる明晰な歴史家が増えているのは喜ばしいのだが、現在とは違う世界を広く深く語ることができる歴史家を、今後日本の社会が得ることができるのか、非常に懸念している。かつての宮本常一、網野喜彦、阿部謹也といったような、社会に違う視線を与えてくれる歴史家が活躍できるようであって欲しい。
建築、デザイン、道具などの、物と人との関係の歴史は、歴史認識とは別の次元で自由に語ることができる数少ない分野でもある。こういった分野で今後も良書が出てくることを期待している。

《竹林》
(西宮船坂ビエンナーレ、井上雅人研究室+森本真研究室)

●A3

東日本の震災について、多くの論者が実りある議論を重ね、実践に移している一方で、阪神・淡路大震災についての記憶が薄れていることが気になっている。震災から18年が経ち、震災についての記憶が無い若者たちが成人し、子供を育てる年齢になりつつある。今回の震災によって、震災といえば思い起こされるのが、津波と原発事故になり、神戸での火災や倒壊といったイメージが消えつつある。
こういった、記憶の上書き保存は、防災意識が改まり、持続していくという効果的な側面もあるので一概に否定はできないが、関西圏に住む多くの人たちが、阪神・淡路大震災が忘れさられることに恐れを抱いている。「ひとつ前の震災」として記憶から除去されることなく、次の世代にも考え続けていってもらうためにはどうしたらいいのか、今が手を打つ大事な時期だろう。
また、震災を境にして、それ以前から社会が抱えていた問題が議論されることが少なくなったのも気になっている。「無縁社会」「限界集落」「ワーキングプア」と様々な言葉が流行ったが、そういった現象は、震災とは無関係に、被災地以外の場所でも進行し続けている。震災について考えることは重要だが、それに全てを結びつけないように気をつけたいものだ。


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