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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

吉良森子

●A1
やはり新国立競技場についてのムーブメントが一番印象に残った。
この出来事が「固有性と自立性ありき」という自縛から日本の建築を解放するきっかけとなるのではないかと夢見ている。

日本において、過去、ここまで進んだプロジェクトに対して建築家や専門家が問題を提議したことはなかったのではないだろうか。日本の建築家にとって都市や景観は現象であって、景観における一要素として、そして景観を総体としてよりよくすることを目的として、自分の作品を設計しようとする人は希有だ。今回の問題提議のきっかけをつくった槇文彦さんは、生涯、町並みと建築について、考え、発言し、実行してきた数少ない建築家のひとりだが、結果的にこれまで建築と景観、歴史との関係に対して無関心だった建築家たちがこぞって名を連ねたことを私はポジティブに捉えたい。Better too late than neverだ。

新国立競技場に対するムーブメントが話題を呼び、専門家、市民の関心を獲得したことと震災は無縁ではないように思える。震災後、多くの建築家や若者や市民が試行錯誤しながら被災地の復興にさまざまなかたちで関わってきている。建築がさまざまな意味でコミュニティや周辺に開かれることによって、市民も、建築がコミュニティにとってかけがいのない価値をもつ可能性があるということを意識し始めたのではないだろうか。「固有で自立した」建築だけが建築の価値ではない、ということを、人々とのコミュニケーションを通して、また、身体的な体験を通して実感することで、新しい日本の建築の歴史が生み出されようとしているのではないだろうか。そのことと新国立競技場への関心とは無関係ではないと思うのだが。

果たしてこのことが何かを変えるのか。それは一つひとつのプロジェクトに対峙する一人ひとりの建築家にかかっていると思う。

●A2
真鶴の町づくり条例「美の基準」が来年20年を迎える。民間のプロジェクトの第一号となった「真鶴共生舎」の設計に関わり、そのおかげでこの10年間の真鶴の歩みを近くから見ることができた。
何が変わったのか? というと、多分「変わらなかった」ことが一番の成果なのだと思う。もともと戦後の経済発展に乗り遅れ、バブル期の別荘ブームの時にも条例によって大きなマンションが建たなかったので、真鶴の景観は、大多数の近郊の町のように以前の面影もない、ということはなく、昔からの景観を維持しながら展開してきた。近年は真鶴での時間を愛おしむような、いい感じの別荘で自由な時間を過ごす東京や横浜の住民や真鶴に移り住んで東京で仕事をしたり、という人がますます増えているようだ。

20年を経て、ここでこれまでを振り返り、高齢化、縮小化時代において、この条例が、真鶴のこれからにどのような意味をもつのか、立ち止まって考え、町民をはじめ、町づくり条例に関心のある人々とビジョンを共有することが重要なのではないかと思う。

●A3
東京でのオリンピック開催が決定されて、これまでは対岸の火事だった、オリンピック産業自体が他の国際スポーツイベントと同じように各国の大企業の利権とつながりながら、税金を吸い上げ、借金をつくって世界中を席巻するという構図に東京が直面することとなり、正直暗澹としている。借金をかかえ、これから劇的に縮小する日本は、これまでとはまったく違ったビジョンを提案しなければいけない瀬戸際にいるのに、オリンピックによって避けがたくこの問題が先延ばしにされる。これからの7年間の人工的な経済活動で利益を得る人とその後の責任をとらされる人のメンツが違うというあまりにも明らかな社会的不公平。どうしたらよいものか。正直、7年後に神風でも吹かないかと思う。日本には歴史の節目節目でそういう状況がやってくるのか、と思ったり。
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