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特集:201401 2013-2014年の都市・建築・言葉 アンケート<

青井哲人

●A1〜A3
デヴィッド・ハーヴェイ(森田成也・大屋定晴・中村好孝・新井大輔訳)
『反乱する都市』(作品社、2013.2/David Harvey, Rebel Cities, 2012)

経済地理学におけるいわゆる空間編成論のおさらいおよび現状分析と、資本主義的空間編成に対する世界各地の「反乱」を支持する議論の構築を試みた書。研究室の学生たちと読んだ。「空間編成論」は、都市形成の理論的アリーナを想定するうえで強力かつ有効(建築分野の都市形成史はいくぶんナイーブにすぎる)。一方の「反乱」の可能性についてはなかなか日本の状況に即して実感するのは難しい面があり、『建築雑誌』2013年12月号「特集:ストラグリング・アーキテクチャー」の座談会で、ハーヴェイの別書の訳者であり日本での空間編成論の主唱者のひとりである水岡不二雄先生にその点たずねたところ、やはり「反乱」のリアリティを失ってきた日本社会の軌跡を反芻しておられた。
年末にたずねたプノンペン(カンボジア)では、反政府デモのため低所得層の人々が連日泊まり込む夜のフリーダムパークを縫うように歩いた。彼らの主張そのものは「都市反乱」的なものではなく、むしろ労働運動の色が濃い。ただ、私たちが日本に帰国した直後に治安部隊との衝突で死者が出ており、このデモ鎮圧の背景に、海外資本進出とそれを失いたくない政府という構図がちらつく。プノンペン(首都)やシエムリアップ(アンコール遺跡観光拠点)の都市開発も加速している。私たちが歩いた公園の横でも、外資による超高層ビル建設のクレーンが立っていた。
2020東京オリンピックについても、少なくともハーヴェイはじめ今日読めるいくつかの都市論の水準はおさえて、グローバル都市東京の問題として議論すべきだろう。本書と併せて読みたい最近の本として、シャロン・ズーキン(内田奈芳美・真野洋介訳)『都市はなぜ魂を失ったか ジェイコブズ後のニューヨーク論』(講談社、2013)、エドワード・グレイザー(山形浩生訳)『都市は人類最高の発明である』(NTT出版、2012)、ハーバート・ガンズ(松本康訳)『都市の村人たち イタリア系アメリカ人の階級文化と都市再開発』(ハーベスト社、2006)をさしあたりあげておく。

         
デヴィッド・ハーヴェイ『反乱する都市』(作品社、2013.12)/『建築雑誌』2013年12月号「特集:ストラグリング・アーキテクチャー」/『都市はなぜ魂を失ったか ジェイコブズ後のニューヨーク論』(講談社、2013)/エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』(NTT出版、2012)/ハーバート・ガンズ『都市の村人たち イタリア系アメリカ人の階級文化と都市再開発』(ハーベスト社、2006)

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『郊外のサステナビリティ:東急電鉄にみる地域開発とその運営』(新建築別冊、2013年11月)
都市開発は、資本を動かせる者にイニシアチブがある以上、階級闘争の場にほかならないとハーヴェイは主張するが、たとえば東急の都市開発を主題とした猪瀬直樹『土地の神話』(小学館、1988)は日本的イニシアチブの特質を知るのにすぐれた歴史的ルポだ。ただし猪瀬が、この仕事を通して日本の都市形成をめぐる権力関係を知りえたことが自らの都市行政に大いに役立っているのだと自ら振り返ったときには、正直なところ驚き、次の瞬間ナルホドと思った(『建築雑誌』2012年11月号「特集:トーキョー・アーバニズム」でのインタビュー)。
一方、東急のような開発資本も、不動産の建設・売却に収益を依存する段階から、建設した広義のインフラとそこに生まれ動いている社会のマネジメントに向き合う段階へと、自らの仕事を変質させてきたのだと教えてくれるのが、本書『郊外のサステナビリティ』である。もちろん、それも資本による空間編成のフェーズの遷移と捉えることはできるのだが──。
郊外論のこれまでの傾向を振り返れば、近代的あるいは戦後日本的な政治経済過程のなかで創出された均質な社会=空間としての「郊外」の異様さを言挙げするのがアカデミックな、あるいはジャーナリスティックな言説のクリシェにすらなってきた(『建築雑誌』2010年4月号「特集:〈郊外〉でくくるな」も参照)。それに対して本書がどのような郊外論を示唆するのかを読者は考えるべきだろう。他方で、郊外住宅地形成の歴史研究という線での建築分野からの貢献としては、山口廣『郊外住宅地の系譜 東京の田園ユートピア』(鹿島出版会、1987)などがあり、本書をこれと併せて読むことも有益だろう。だが、もっとアノニマスなスプロールの具体的ドキュメントもどんどん掘り起こしたい。東京の郊外形成、ひいては都市形成の全体像にそれなりの見通しをつけるための戦略が必要だ。

『郊外のサステナビリティ:東急電鉄にみる地域開発とその運営』(新建築社、2013.11)

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新国立競技場問題については、今回のコンペの特質について本誌(10+1 website 2013年11月号)に記事を寄せた。コンペ自体のセッティングに、やはりグローバル都市の空間編成とそれに動員される建築設計・生産体制の今日的ありようが前提的に組み込まれていたのではないかと指摘した。大学で習う都市計画に至っては、コンペでは無視されていて、(事後的に)文字どおり空間編成の力学に沿って気づかぬうちに改変されうるようなものになってしまっている。
ところで、筆者が歴史分野から発言できるもうひとつの視角は、明治神宮外苑をどう見るか、である。直ちにオリンピックと東京の将来について示唆できるという類いのものではないが、日本あるいは東京の特異な公共空間の形成にかかる歴史的知見が共有されることには意義があろう。筆者は、東京に越してきた翌年(2009年)、機会があり歴史学や神道学など異分野の研究者の皆さんに提案して明治神宮史研究会という有志の研究グループをつくったが、とくに国学院大学の皆さんの尽力によりこの研究はそれなりに大きな運動になってきた。ここでは明治神宮をひとつの焦点として、空間と公共性の問題に、どのような論理と歴史過程が絡まっているのかを解きほぐそうとしている。『明治神宮:「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮社、2013年2月)の著者今泉宜子もこのグループの中心的メンバーのひとりで、同書は私たちの研究成果を盛り込んでもいるのだが、槇文彦氏や陣内秀信氏が、新国立競技場問題の議論においてこの文脈で依拠しているのも同書である。今後、さらに研究を深めつつ成果を社会化していきたいと思っている。

今泉宜子『明治神宮:「伝統」を創った大プロジェクト』(新潮社、2013.2)

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4月の堀口捨己・神代雄一郎展(明治大学)、11月の大江宏展(法政大学)
前者は筆者が企画責任者で、大江宏シンポにも出席している磯崎新氏らを招いた記念シンポジウムの成果は本誌(10+1 website 2013年6月号)に掲載されている。丹下健三およびメタボリストたちの回顧が進むが、一方では多様な立場が緊張を孕みつつ織り成す歴史的脈絡の複数性を蘇生させ続ける努力が伴わなければいけない。これもまた、近代、そして近代日本の技術・経済および空間編成の歴史的特質と、そのなかでの建築設計者(建築家)の職能像との、複雑にして抜き差しならぬ関係への問いになっていかざるをえない。
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