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新良太(写真家) |
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■展覧会情報 nca gallery first exhibition Identity 会期: 2003 4. 1 - 25 (part2: through their own eyes) 会場: nca gallery url: http://www.nca-g.com/ |
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私に流れている時間と、彼(彼女)たちの間に流れているそれは違う。そんなのあたりまえのことだ。一日という時間をとっても、3才の子供にとっての一日つまり1/365日×3年間と、60才の老人にとっての一日、つまり1/365日×60年間では、一日というスパンの価値はまるで違う。また、ひとりで観にいく映画と、初デートで観るそれとは、流れる時間の感覚が異なって当然だろう。そう、時間は意識とともに伸び縮みするのだから。例えば、家族というカタチはその時間の伸び縮みを永く共有するカタチということもできる。 例えば、女子高生たちのあいだで起こるような流行という現象もそこに流れる時間の流れを共有し、その流れに乗ることに価値を見出す出来事ともいえるだろう。 ある時間を共有すること。 それは、個性とか、自我といったものを超えたある共通の価値観を生み出す力があると思う。 彼(彼女)たちは無尽蔵という(ある年代でのみ感じることのできる)時間の感覚を共有することによってそこに無邪気な輝きを放っている。やがて彼(彼女)らは、それぞれに違った時間の流れを見つけていくことになる。そしてまた、かつて共有した時間と今とをシンクロさせることが、新たな時間を生み出す力となることだろう。 関口靖(建築家) |
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