11 メディアアートと美術館
 
 メディアアートと呼ばれる表現領域がある。メディアという言葉そのものは表現媒体全般を意味する範囲の広い概念だが、ここでいう「メディア」とはほとんどの場合新種のメディアにのみ限定され、絵画や彫刻といった従来の表現媒体とは異なる、テクノロジーを利用した新しい表現の可能性を模索したアート作品に対して用いられる。
 もちろん、何か新たなテクノロジーが開発されるたび、それをアートの表現に活用しようとする試みはいつの時代でも為されてきた。だがそれが、メディアアートとして括り得るような一大潮流を初めて形成したのは、おそらく1960年代のことである。例えばこの時代には、ハンガリー出身のヴィクトル・ヴァザルリらが「オプ・アート」と呼ばれる絵画に着手、派手な彩色と幾何学的パターンの濫用によって幻覚作用を促す表現形態を知らしめたのをはじめ、アレクサンダー・カルダーやジャン・ティンゲリーらは機械の運動原理にちなんだ「動く彫刻」を制作した。またミニマリズム出身のダン・フレイヴィンやリチャード・リッポルドは、照明機材によってその研ぎ澄まされた空間認識を発揮する「ライト・アート」を確立した。なかでも、ナム=ジュン・パイクのギャラリー展示がきっかけとされる「ヴィデオ・アート」やロバート・ラウシェンバーグやジョン・ケージらが電子音楽や実験映像をめぐって協働したEATの試みは、新しいテクノロジーの積極的な活用と言う意味においても、まさしくメディアアートの嚆矢であった。
 こうして60年代に産声を上げたメディアアートは、その後も多くのアーティストの関心を集め、多様な表現が生まれていくのだが、その渦中でメディアアートの展開はある一点、コンピュータ・テクノロジーを中心とすることになる。高い解像度を誇るCGといい、臨場感がセールスポイントのインタラクティヴアートといい、あるいはネット内の「ヴァーチュアル・ミュージアム」といい、今日メディアアートとはコンピュータアートの同義語と言ってもいいだろう。
 そして当然のことながら、このような状況はアートのアーカイヴにして情報発信基地である美術館の空間編成にも大きな影響を与えることになった。もちろん、コンピュータは情報の検索や分類などに極めて有効なツールであり、今日ではどんな地方の小規模美術館といえどもコンピュータを導入している。だが美術館とコンピュータの関係を掘り下げて考えてみるには、それは単に利便性の問題にはとどまらず、長らく「ミュージアム」と呼ばれてきたこの特殊な空間そのものの変質をも視野に入れねばならなくなるのではないだろうか? 事実先に述べたような先端的な特徴を持ち、また作品によってはほとんどシミュレーションゲーム機と区別のつかない構造を持っているメディアアートは、既存の美術館のハードになじまず、それを展示・鑑賞するための——ゲームセンターのような?——専用施設が必要とされる場合が大半なのである。一般にそうした施設は、既存の美術館とは区別して「アートセンター」や「メディアセンター」といった名で呼ばれている。ここではその事例をいくつか紹介し、空間の変質にについて考えてみる一助としたい。
 先駆的なメディアアートの展示施設として、多くの文献で真っ先にその名があげられるのがドイツのZKMであろう。正式にはカールスルーエ・アート・アンド・メディアテクノロジー・センター(Zentrum fur Kunst und Medientechnologie Karlsruh)という名称をもつこの施設は、南西ドイツのバーデン地区に位置するカールスルーエ市の肝いりで設立されたメディアセンターである。正式開館は1997年10月と比較的最近なのだが、その名はレム・コールハースの計画案が当選したことで話題を呼んだ建物のコンペ(結果的にその計画案は採用されず、ナチ時代に建設された旧弾薬工場施設を改装・転用することで決着を見た)や、一般にはあまり馴染みのないメディアアートを広く普及しようとする先駆的・啓蒙的なプログラムなどを通じて、開館に先駆けた10年以上の準備期間のうちに、国際的にも広く浸透していた。現在、同館では「メディアテック」「現代美術館」「メディア美術館」「映像メディア研究所」「音楽音響研究所」の5部門とカールスルーエ市立美術館の5部門が稼動中であり、さらなる新部門の増設も予定されているという。現時点でも、ZKMは戦後のメディアアートの歴史を俯瞰できるという点では世界最高のコレクションを有しているが、今後はオンライン・コミュニケーションを重視した方向への転換が予告されている。ZKMの今後の舵取りは、メディアアートの世界的趨勢を左右するものとして大いに注目を集めているのだ。
 なお、このZKMを取り上げるに際して、是が非でもコメントしておかねばならない重要なポイントが2点ある。一つは、維持管理に多大な経費を要するこの巨大施設の運営が、ほとんど公費によって賄われていること。ここには、有意義な「文化産業」への支援を惜しまないドイツの文化的伝統と、EU統合に際して(カールスルーエはフランスとの国境近くに所在する)メディアアートへの積極的な取り組みを「町おこし」の起爆剤として活用しようとする地方都市の思惑を伺うことができるだろう。その点で言えば、ZKMの由来は、表現の方向性こそ違え、原則として前回取り上げた「ドクメンタ」や「ミュンスター彫刻プロジェクト」と同様である。そしてもう一つは、計画時から一貫してZKMが「デジタル・バウハウス」を標榜してきたこと。考えてもみれば、オスカー・シュレンマーのパフォーマンス然り、モホリ=ナギの「フォトグラム」然りで、バウハウスを拠点として発信された多くの表現形式は、紛れもなく1920年代当時の先駆的メディアアートだったし、一方ZKMも世界的メディアアーティストのジェフリー・ホウに視覚芸術部門ディレクターの要職を委ね、新たな才能の発掘を一任するなど、教育プログラムには大いに力を注いでいる。独自の啓蒙活動や地方都市の情報発信など、多くの点でバウハウスと共通しているZKMは、21世紀に新たな総合芸術理念の発信拠点となり得るのだろうか?
 次に、オーストリアの工業都市リンツに建設されたAEC(Ars Electronica Center)もまた、先駆的なメディアセンターとしてしばしば取り上げられる事例だが、その性格は大きく異なっている。というのも、いち早く建物のコンペが実施されるなど、ハード先行型だったZKMに対して、AECの方は、そもそもかの地にて1979年以来開催されてきたメディアアートの国際展Ars Electronicaの恒久的な受け皿として計画され、ようやく1996年に開館へと漕ぎ着けたソフト先行型のメディアセンターであるからだ。建設や運営に多額の費用を要する上、その回収も難しいメディアセンターの性格を考えれば、このような国際展の定着を追い風として利用したハードの成立は一つのテストケースとして注目に値するだろう★1
 ちなみに、ドナウ川河畔に立つAECは「未来のミュージアム」を標榜するメディアセンターである。「ログイン・ゲートウェイ」や「知のネット空間」など、メディアの中でも特にインターネットを重視したその展示や、国際的なメディアート認知の確立と若手アーティストの発掘を並行して行ってきた国際展に忠実な普及教育プログラムなどは、世界各国の同種の施設に対して重要な指針を示し、ZKMと並ぶ大きな影響力を持っている。
 日本における同種の施設としては、やはり東京・初台のオペラシティビルに所在するICC(インターコミュニケーション・センター)を挙げるべきだろう。先に紹介した二例をはじめ、欧米のメディアセンターの大半が公営である——メディアアートへの財政的な支援を惜しまなかったジョージ・ソロスのような篤志家は、欧米でも極めて例外的な存在なのだろう——のに対して、ICCの場合はNTTという私企業が「電話100周年記念事業」の一環として企画された、民間主導型である点がまず異なっている。
 このICCもまた、開館にいたるまでに長い準備期間を要した施設だった。同館の正式オープンは1997年4月だが、浅田彰、伊藤俊治、彦坂裕の三氏を迎えたコミッティが発足したのは1990年のこと。以来、1992年には機関誌「InterCommunication」を創刊したり、南麻布の自社ビル内に確保していたギャラリーや電話回線などを通じたプレイヴェントやレクチャー、ワークショップなどを多数開催したりして、正式オープンに至るまでに様々なノウハウを蓄積していった。そして正式開館後も、メディアアートならではのインタラクティヴな性質を生かした作品の見方が導入されたり、最新の科学研究成果がそのままアートとして展開された作品が展示されるなど、準備期間中のノウハウが活かされている。
 現在同館はビル内に3フロアを確保しており、企画展と常設展の展示スペースのほか、全面オンライン化されたライブラリーも一般公開されている。開館してまだ5年程度だが、その間にも磯崎新の「海市」展や荒川修作の「宿命反転都市」展などの大規模な都市計画展、あるいは2年に1度の「ICCビエンナーレ」など多くの興味深い展覧会が開催され、とりわけ柿落としを飾った「海市」展は、単なる都市計画の模型やコンピュータ・ディスプレイの展示にとどまることなく、様々なゲストを招いて計画を修正していく「ワーク・イン・プログレス」の手法が取り入れられていたこともあり、多くの反響を呼んだ。もっとも残念なことに、長引く不況も影響しているのだろう、同館は2000〜2001年の約半年間の休館と、新装リニューアル後の規模縮小を余儀なくされ、その後の活動ももう一つ精彩を欠いているように感じられる。90年代以降、日本におけるメディアアートの展開を担ってきたもう一方の雄・キヤノン・アートラボ(こちらの方は、常設のスペースを持たない寄生的・ゲリラ的な展開に特徴を感じさせた)が昨年度で事実上活動を停止してしまったことを思えば、他に類例のないICCの活動には今後一層の期待が寄せられることになるだろう。
 世界各地では——特に東欧圏を中心に——ほかにも興味深いアートセンターが多々あるのだが、施設の羅列そのものが目的ではないのだから、これ以上の紹介は控えておこう。アートセンターという新しい空間が既存の美術館と大いに異なっていることや、また美術館の空間編成にも大きな影響を与えたことは、ここで取り上げた三つのサンプルからも十分に実感されるだろうし、美術館の空間とコンピュータ・テクノロジーとの関連については——先にゲーム機とゲームセンターの関係になぞらえたように——メディアアート以外の観点も含めて考察されなければならないからである。そうした観点の一つとして、ここではデータベース機能について手短に見ておくことにしよう。
 繰り返すが、コンピュータは分類整理に極めて役立つツールであり、その利便性は、膨大な情報が収集された美術館のアーカイヴァルと極めて相性がいいものである。それにいち早く着目したのがフランス政府で、第7節で紹介したように、ポンピドゥー文化センターには図書館や音響研究所などのデータベース的な機能が開館時から付与されていたし、またその守備範囲が18世紀以前に限定されたルーヴルにも、いち早くLRMF(フランス美術館合同専門研究所=炭素分析やX線解析など、古美術品の詳細な調査研究を専門とする施設)やNARCISSE(コンピュータ映像システム・ネットワーク)などが設立された。もちろん、これらの先駆的なシステムは、アメリカや日本をはじめデータベースのデジタル化に追随する各国のモデルとなったのだが、フランスのこの精力的な取り組みは、データベース化を通じて世界のミュゼオロジーの派遣をリードしようという目論見もあってのことなのだろう。この点に関しては、次回以降でもう少し詳しく述べてみたい。
 ちなみに、昨年末から今年の正月にかけて、東京国立博物館で開催された「時を超えて語るもの——史料と美術の名宝」展は、非常に興味深い展覧会だった。もちろん、東大の史料編纂所が所蔵する門外不出のコレクションが多数展示されたことも画期的だったが、この展示はまた、日本における美術館資料データベースの最先端を示す展示でもあったのである。情報処理主幹を務める横山井徳によれば、現在同編纂所では「所蔵資料目録」と「画像史料系」の二つのデータベースが稼動し、膨大な史料が多層構造的に管理されているという★2。そしてそのような徹底したデータベース化の成果は、会場で展示されていた絵巻物のコンピュータ・ディスプレイなどにも生かされていた。そしてその流麗でパノラミックな視覚体験は、どこか最新のインタラクティヴアートを髣髴させるものでもあったのだ。
 メディア論者の桂英史は、メディアの本質がその複数性にあることを指摘している(確かに、Mediaという言葉は常に複数形で用いられる)★3。確かに、思い返してみても、ほとんどゲーム機をプレイする感覚で鑑賞する最新のインタラクティヴアートにせよ、古い絵巻物のディスプレイから感じられるパノラミックな視覚体験にせよ、それが「ぼくたちの知のあり方に対する実感を同時多発的に揺さぶる」複数性の視聴覚体験をもたらすことに変わりはない。そこで問われているのは、紛れもなくメディアの問題なのだ。従来にはないメカニズムによって人間の知覚を揺さぶるメディアアートの登場は、それ専用の容器である「アートセンター」と呼ばれる新しい美術館を生み出した。この複数性に裏打ちされた新しさをどのように位置付け、「美術館」というシステムの中に回収していくのか、それは21世紀のミュゼオロジーに課せられた課題でもあるだろう。

*なお、本稿で言及したアートセンターのURLは以下の通り。各美術館の概要は、基本的にはhttp://www.dnp.co.jp/artscape/index.htmlに拠ったが、ZKMに関しては四方幸子「ポスト・バウハウス——拡散する情報身体としての現在」(『10+1』vol.17)を、ICCに関しては『ICC CONCEPT BOOK』(NTT出版、1997)をあわせて参照した。
ZKM=http://www.zkm.de/
AEC=http://www.aec.at/
ICC=http://www.ntticc.or.jp/

★1——他に似たような由来を持つメディアセンターとしては、オランダのV2オーガニゼーションが挙げられる。URL=http://v2.nl/
★2——詳細は「東京大学史料編纂所の歴史情報研究」(『時を超えて語るもの』展カタログ、2001、に所収)を参照のこと。
★3——桂英史『メディア論的思考——端末市民の連帯意識とその深層』(青弓社、1996)