13 ヴァーチュアル・ミュージアムの行方

 この連載もいよいよ大詰めである。ここ数回は、「ミュージアムの現在形」へとスポットを当て、メディアセンターや情報センターとしての側面へと注目してきた。またそのプロセスで、いくつかの最新施設についても概観してみたのだが、その結果、今さら言うまでもない或る当たり前の現実に直面することにもなった。すなわち、いかに巨大な施設を建設し、また最新のツールを導入してハイテク化を図ろうとも、現実空間に建つ美術館のアーカイヴ機能には自ずと限界があるということだ。理想のコレクションを構築し、すべての情報を格納しようとする構想は、ときには施設の許容量の問題で、またときには予算の問題で、必ずや頓挫してしまう。アンドレ・マルローが、現実には収集不可能なコレクションを写真によって再構成しようとした企てを「空想の美術館」と命名したのも、まさにその現実的な不可能性に由来しているからである。
 その意味で言うと、現在は発案当時は夢物語に過ぎなかったマルローの空想がグッと現実味を獲得した時代であることは疑いない。コンピュータ・テクノロジーの急速な進展は、膨大な情報をデジタル化して格納することを容易にした。フロッピーディスクやCD-ROMといった記録媒体を用いれば、紙の状態のままではやたらと嵩張る情報をコンパクトに圧縮することができるし、またこれらの記録媒体でもまだ容量が不足する場合には、ネット上のヴァーチュアル空間にそれこそ無尽蔵に格納することができる。まだインターネットが軍事専用ネットワークであり、コンピュータ・スクリーンの向こう側に曖昧模糊とした巨大な空間があることなどほとんど誰も知らなかった当時、「サイバースペース」という名のもとにその可能性を追究しようとしたのがサイバーパンクSFの旗手ウィリアム・ギブソンであった。1984年の『ニューロマンサー』で初めてこの概念を提唱したギブソンは、『カウント・ゼロ』『モナリザ・オーヴァドライブ』といった続編を通じて、「サイバースペース」において展開される仮想現実が、現実世界にも対比し得る豊かさを持っていることを明らかにして行く。それは、wwwとhtmlの開発により、インターネットの商用利用が開始された1992年以降、われわれの周辺で急速に身近になっていく「コンピュータ・スクリーン内の内部空間」を先取りするものでもあった。そして言うまでもなく、情報の格納に極めて好適な性質を備えた「サイバースペース」が、ミュージアムという現実世界のアーカイヴと出会うのも時間の問題だった。かくして10年、いまや美術館の現在を語るに当たって「ヴァーチュアル・ミュージアム」
★1の話題は不可欠なものとなった。その急速な浸透ぶりは、「ヴァーチュアル・ミュージアム」の草創期に為された「アートはもはや公認された正統的な趣味志向との一方的な出会いでもなければ、個人的解釈による二次的な出会いでもない。それは、観客が創造的システムを統合する一部となるような、変容とインタラクティヴィティを巻き込む第三の緊密な出会いなのだ。こうした私たちの時代のアートは、デジタル、超自然的、テクノロジカル、オンライン、ヴァーチュアル、ポスト生物学的等々の呼び名を得るだろう」★2というロイ・アスコットの適切な指摘さえ、既に古びたものと感じさせてしまうほどのものである。
 多くの可能性を孕んだ「ヴァーチュアル・ミュージアム」だが、ではそれをどのような角度から分析していけばいいのだろうか? これには多くのアプローチが考えられるが、とりあえず今までの議論の流れを踏まえるなら、まず最も注目すべき一点はそのアーカイヴァルな機能である。メディアアート研究のアプローチとしては、「ヴァーチュアル・ミュージアム」は情報や作品のアーカイヴと、html言語などを制作素材として活用した「ネット・アート」に大別して考えられることが多いようだが、ここではもっぱら前者の方にスポットを当てていくことにしたい。
 いささか出典が古くて恐縮だが、1982年のユネスコの調査によると、全世界で刊行されている美術史・考古学関連の学術定期刊行物は約5700点に上ったという。もちろん、これは人文諸科学の中でも群を抜く数値であり、20年余りを経た現在、この数値がさらに増大していることも間違いない。とすれば、たとえ全体から見ればごく一部と言えども、多くの美術館がすぐさまその収納スペースにこと欠く有り様は容易に想像できるだろう。この困難を前にして、フランス政府がいちはやくデジタル技術の可能性に着目してきたことは、第11章でLRMFやNARCISSEなどの例を挙げて説明した通りである。またそれとは別に、RMN(国立美術連合)と呼ばれる機関の活動も一瞥しておく必要があるだろう。1895年に創設されたこの機関は、ルーヴル、オルセー、ギメなどフランス国内の34美術館と国外の主要美術館とを結ぶネットワークであり、カタログやCD-ROMの発行・海外普及にも精力的に取り組んでいる。1865年、国内最高の美術教育機関であるエコール・デ・ボザールで講演したルイ・パストゥールが「科学と芸術のあり得るべき望ましい同盟」を説いた文化的伝統が、最新のデジタル情報技術にも生かされていることは確かだろう。
 もちろん、スタートこそフランスの後塵を拝した観はあったものの、情報のデジタル化に関しては、アメリカも決して遜色はない。その重要性を疑う余地のなくなった今では、多くの「ヴァーチュアル・ミュージアム」が精力的に運営されている。具体例は枚挙に暇がないが、とりあえずここでは2つだけピックアップしておこう。まずオンライン・サービスECHO(EAST COAST HANGOUT)
★3だが、これは設立者のステーシー・ホーンが「サイバースペースの中でも最も風変わりなグループ」を自認するだけのことはあって、実に多様な意見が交換されているコミュニケーション・サイトである。もちろん、そのコミュニケーションの対象はアートだけに限定されないが、「情報スーパーハイウェイに沿った文化と芸術の停留所」とも称されるその機能はアート関係者からも高い注目を浴び、一時期は現代美術の世界的発信拠点として知られるホイットニー美術館も、「ヴァーチュアル・ミュージアム」の推進に積極的だったフィリップ・ロス館長時代、その公式URLをECHOを通じてエントリーするように設定していた★4。もう一つ、全米の美術館の中でも、「ヴァーチュアル・ミュージアム」に精力的に取り組んでいることで知られるのがサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)である。1987年にメディアアート部門が設立された同館では、建築・デザインとこの新部門のキュレーターを兼務したアーロン・ベッキーの精力的な企画によって様々なメディアアートの展覧会が催されてきたし、また館内/館外を問わず「アダルト・プログラム」「ファミリー・プログラム」「マルチメディア・プログラム」など、ネットを活用した様々な教育プログラムを開催していることでも知られている★5。ちなみに、同館が所在するベイエリア一帯はサンノゼ近郊の「シリコン・バレー」など、1970年代から先端テクノロジーの発信拠点としても知られた土地であり、美術館の施設そのものも、多くのメディア関連産業が軒を連ねるエリアに建てられている。いち早くデジタル化に着手し、また精力的な運営が支持されて大幅な来館者増も果たした同館の成功は、こうした土地柄にも起因するのかもしれない。
 もちろん、以前にも参照したZKMやアルス・エレクトロニカ・センターといった最新のメディアセンターは、どこも充実した内容の「ヴァーチュアル・ミュージアム」を開設している。というよりも既に、「ヴァーチュアル・ミュージアム」の充実それ自体が国際的な美術館の必須要件となっているだろう。だが「ヴァーチュアル・ミュージアム」にはそれとはまったく逆に、現実の美術館からは独立して存在し得るという側面も存在する。とりわけ、そのアーカイヴァルな性質は多くの情報を格納・活用する学術研究にはうってつけであり、既に再三参照しているマルローの「空想の美術館」にも、もちろんそうした意味での先駆性をうかがうことができるだろう。だが、「ヴァーチュアル・ミュージアム」的な想像力を学問研究の面で発揮した先例という形容がより相応しいのは、ドイツの美術史家アビ・ヴァールブルクの「ムネモシュネ」かもしれない。ミュージアムの語源ともなった記憶の女神の名を冠したこのプロジェクトは、ヴァールブルクがその最晩年に企てた、古代・中世・ルネサンスの各時代を包摂した美術史の流れを、膨大な写真による図像アトラスによって再構成しようとしたものであった。そして、その企ての深遠さや、ときに神秘主義や占星術などをも含みこんだ世界観の難解さゆえ、考案当時はなかなか理解されなかった「ムネモシュネ」は、情報技術の進歩した昨今、全体像をほぼ忠実にWeb上で再現することが可能になり
★6、そのハイパーテキスト的な先駆性にも高い関心が集まっている。国立西洋美術館で「記憶された身体」のような展覧会が開催されたり、田中純やジョルジュ・ディディ=ユーベルマンらの力作が相次いで刊行されたりと、近年、ヴァールブルク研究が目覚しい成果を収めつつあるのも、本格的な「ヴァーチュアル・ミュージアム」時代が到来した現在の趨勢抜きには考えられない。
 また現実の美術館から独立して存在し得る「ヴァーチュアル・ミュージアム」の特質としてもう一つ、「場所と無関係な」アトピックな側面も指摘しておくべきだろう。ネット内に存在する「ヴァーチュアル・ミュージアム」には、端末さえ接続されていればどこからでもランダム・アクセスが可能であるし、またネット内に点在する「ヴァーチュアル・ミュージアム」同士の密なネットワークも容易に形成し得る。こうした特性を利したデジタル・ネットワークは現在世界各地で広く営まれており、先に触れたフランスのRMNやアメリカのAMICO(Art Museum Image Consortium)、あるいは日本のデジタルアーカイブ推進協議会(JDAA)などは、有用な検索エンジンとしても、多くの研究者にも重宝されている
★7。もちろん、これらのデジタル・ネットワークはメーリングリストとしての機能も持っているのだが、アーティスト同士のネットワークをより密なものとし、オンライン/オフラインを問わず、新たなコラボレーションのきっかけとなる機会は、主にアーティストたちの活動から自然発生してきた草の根的ネットワークによって担われている★8ちなみに、ヨーロッパのメディアアート事情に詳しいフリー・キュレーターの四方幸子は、ヨーロッパの中でもとりわけ、法的な規制の緩いオランダや分離独立後の混乱が続く旧ユーゴスラビア諸国においてメーリングリスト(そのネット・アクティヴィズムの活動対象は何もアートだけとは限らない)が盛んに行われていることを指摘した上で、どこかゲリラ的でもあるその活動の本質を「T.A.Z.」(一時的自律ゾーン)という概念の中に見ようとしている★9。これはもともと、シチュアショニズムの影響を強く受けたアンダーグラウンドの思想家ハキム・ベイによる「ゲリラ的な存在論者の陣地のようなもの」、すなわち、スタティックな「領土」を所有する国家権力に対置されるべき、アナーキーで一時的な場所概念である。「サイバースペース」の中を漂流し、「場所と無関係な」ランダム・アクセスが可能であり、また無限に複製を作り出すこともできる「ヴァーチュアル・ミュージアム」のある一面は、確かにこの一語へと収斂し得るようにも思われる。
 インターネットの商用化からちょうど10年。「ヴァーチュアル・ミュージアム」の歴史もまた、ほぼ同程度の極めて短いものに過ぎない。だが、ほんの数年前までは、ごく一部のメディアセンターでしか接することのできなかったこの仮想空間にも、今では自宅の端末から容易にアクセスすることが可能となった。敷居は確実に低くなったのだ。もっとも、浸透があまりに急速だったため、「ヴァーチュアル・ミュージアム」の行方を考えることには多くの困難が伴うのだが、ここでは2つのメディア論をごく手短に参照して、「ヴァーチュアル・ミュージアム」の行方を考えてみる手がかりとしたい
★10
 まず一方、肯定派の代表がマーク・ポスターの『インターネットに何が起こったのか?』である。インターネットがわれわれの日常生活にとって不可欠なツールになったとの現状認識に立つポスターは、「サイバースペース」の拡張が国家や個人のアイデンティティにも重大な変革を迫るようになり、ついにはそれが一種の「公共圏」として機能するようになると説く。この場合、「ヴァーチュアル・ミュージアム」もまた、新たな価値観に対応した一種のパブリック・アートとして機能することになるだろう。その一方で、懐疑派の代表がヒューバート・ドレイファスの『インターネットについて——哲学的考察』である。モダニストであるドレイファスは、「サイバースペース」の体験をすべて身体機能の拡張としてとらえ、インターネットが知のあり方として正しいのか否か、慎重な姿勢を崩さない。この場合、「ヴァーチュアル・ミュージアム」の中に展開される、オリジナルとコピーの区別がないアノニマスな作品の数々は、ニヒリズムの典型として退けられてしまうだろう。
 多くの点で対照的なこの2つのメディア論は、しかし「サイバースペース」こそコンピュータの本質が潜んでいるという認識において共通しているし、「ヴァーチュアル・ミュージアム」は、まさにその核を占める概念である。未だ旧態依然としているミュゼオロジーにとっても、その可能性や危険を語り得る枠組み・言語の再編は急務と言えるだろう。

★1——もちろん、インターネットの普及以前にも「ヴァーチュアル・リアリティ」という概念は存在した。だがそれはもっぱら、「仮想現実」や「拡張現実」という訳語の通り、メディアアートやゲーム機がヘッドマウント・ディスプレイ(HMD)などを通じて生み出す錯視効果のことを意味するものであった。これは正確には「オウギュメンテッド・リアリティ」というもので、「ヴァーチュアル・リアリティ」という概念のごく一部に対応するに過ぎない。
★2——「第三の美術館」(藤原えりみ訳、「InterCommunication」第15号、1996年)。
★3——URL=http://www.echonyc.com
★4——当時のURL=http=www.echonyc.com/^whitney/
現在はURL=http://www.whiteney.orgである。
★5——同館の活動に関しては、志賀厚雄『デジタル・メディア・ルネッサンス——バーチャル・ワールドとメディアの潮流』(丸善ライブラリー、2000)に詳しい。なお同館ホームページのE・spaceの項には、前世紀からの美術史の展開を意識し,メディアアートをインスタレーションやパフォーマンスと並んで重要なアートとして位置付けたベッキーの緒言が掲載されている。URL=http://www.sfmoma.org/espace/。なおその後、ベッキーはオランダ建築博物館(NAI)の館長に転身した。
★6——たとえば、URL=http://www.mnemosyne.orgを参照のこと。
★7——それぞれのURLは以下のとおり。
RMN=http://www.rmn.fr/
AMICO=http://www.amico.org/
JDDA=http://www.jdaa.gr.jp/
★8——代表的なものとしては、例えば以下のメーリングリストが挙げられる。
Nettime<http://www.nettime.org>
empyre <http://www.subtle.net/empyrean/empyre/>
SPECTRE <http://coredump.buug.de/cgi-bin/mailman/listinfo/spectre>
Syndicate <http://anart.no/~syndicate/>
rhizome <http://www.rhizome.org>
7-11 <http://www.7-11.org>
rolux <http://www.rolux.org>
cybersociety <http://cybersocietylive.listbot.com>
[rohrpost] <http://www.nettime.org/rohrpost> (in German)
oldboysnetwork (obn) <http://www.nettime.org/oldboys>
xchange <http://xchange.re-lab.net/m/list.html>
Internodium <http://www.internodium.org.yu>
cinematik <http://www.egroups.com/group/cinematik>
fibre culture <http://www.fibreculture.org>
Sarai-Reader-List <http://mail.sarai.net/mailman/listinfo/reader-list>
★9——たとえば「アウト・オブ・コントロール・スペース——変動するインフォ・ジオグラフィ」(『10+1』第27号)を参照のこと。
★10——Mark Poster, "What's the Matter with the Internet" Minnesota, 2001及びヒューバート・ドレイファス『インターネットについて——哲学的考察』、石原孝二訳、産業図書、2002を参照のこと。