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      山内彩子[Landscape network901*]



Landscape network901*
(INAX出版)

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本書は、ランドスケープ・デザインを実践する、landscape network 901*のメンバー(現在一二名、以下 901*)による、二年におよぶディスカッションから誕生した。ディスカッションを始めるきっかけとなったのは、「landscape workshop 99 東京風景の現在形」(造園学会学生ネットワーク主催)のチューターやスタッフとして各々が参加したことであり、そのワークショップを経てさまざまな意見を交換するネットワークができたことである。901*はユニットやレーベルのようなものではない。ディスカッションしたり活動したりする共通の場をもつ同世代の集合、いわば活動ネットワークである。901*の一二名は、それぞれが異なったタイプの経歴と活動基盤をもって、ランドスケープ・デザインに取り組んでいる。そのさまざまな経緯のなかで発せられた問いが、本書のコンテンツを形成している。
本書の企画がスタートしてから、内部の閉じた議論がどんどん外へと拡張していった。議論の拡がりにつれて「ランドスケープ」のイメージも広がり、この言葉がユニヴァーサル・キーワードとして定着したとき別の次元の領域を切り開くのではないかという予感から、それぞれの批評の言葉は始まっている。
あらゆるランドスケープ(この語がわかりにくければ仮に「風景」と読み替えてみてもいい)には意味があり、自然の現象であるというよりは、人為の現象(広い意味でのデザイン)であると我々は考えることにした。しかし、この「ランドスケープ」という言葉やそれに類似した概念はさまざまな業種や学術分野で用いられているものの、その意味は、各々少しずつ異なっている。また、この概念をめぐって職域や専門分野を横断し共通の認識をもとうという試みはさまざまに行なわれてはいるが、成果を獲得するまでには至っていない。
ランドスケープ・デザインとは、モノと価値の両方を作る行為である。ランドスケープはあるすぐれた作家によってコントロールされることもあるが、多くは政治、経済、他の社会との利害関係の結果として立ち現われる。その際立った部分をある集団や団体、専門領域の意思が担っていることが多いが、それは表面には現われにくい。本書を読んでいただければ、実にさまざまな主体がランドスケープを作る意思に関わっているということに気がつかれるのではないか。
ランドスケープを批評する者もまた、ランドスケープ・デザインの対象となる領域の広さゆえに、批評は内部でしか通じない言葉で語るような質のものであってはならない。われわれの身の回りに広がっていながら、意識的でなければ見えにくいランドスケープという現象を、わかる言葉で解き、見えるようにする過程の中で、これまでの作家性やモノと現象、風景論等におけるトートロジー、そして批評という問題を超えていきたいと考えている。

●本書の構成
本書は二部二章(計四章)より成る。誰しもイメージとして「ランドスケープ」のスタイル(型)があり、それらが無意識のうちにどこかで共有されているのではないかという仮説をわれわれは持っている。本書の四つの章においても、この問いが繰り返され、その解答が模索されている。
第一部では「ランドスケープ」のスタイルを大きくモードと制度というフェーズで分類した。モードは流行、傾向、潮流といった時代を形成する価値の方向性を示し、制度はいわゆる法制度だけでなく社会の規範の類も含んだ価値の所在を示す。第二部では「自然」だと考えられているものの中からランドスケープ・デザインを抽出し、それがどう作られているのかを読み解く(ここで言う「自然」は都市という概念も含む)。特にここでは大きな意味での自然構成要素を成立させているテクノロジーやそのエンジニアリングとそれらを支える価値観や美的感覚といった理念の二つのフェーズがどういった知の体系を持っているのかをさまざまな角度から分析するものとした。一部と二部はパラレルなものではない。いずれのコンテンツも他のフェーズでも語りうる問題を持っている。また、広範囲にわたるランドスケープ・デザインをめぐるガイドとしての性格を持たせるため、本文に関連する文献は直接引用等のないものも積極的に記載することとした。
執筆者に関しては、最初にキーワードを挙げて各コンテンツで扱われる問題意識を整理した後で考慮したため、人選もまたわれわれのランドスケープ観によっている。本書の執筆にあたっての前提として、ランドスケープ批評は、いわゆる従前の風景論の類というよりは、日々に意識的に行なわれている、ランドスケープという現象に働きかける行為の評価としてほしいと各論の筆者にはお願いした。
一○三項目の小論文から成るこの本の形式は、断片であるランドスケープを垣間見るのに相応しいとも言えるが、901*内部での議論の中で、テクストという批評のスタイルに疑念を抱く者もいた。今後、批評の形式、批評する者、批評する対象がさらに広がることを期待するが、本書はその初期段階の問題提起として、こうした形式を用いることとした。ランドスケープに注目することからわれわれを取り巻く大きな「環境」まで、その批評のあり方をさらに模索していく出発点となればと思う。

●拡散する批評へ
最後に本書のタイトルについて述べておく。「ランドスケープ/批評/宣言」という語群を併せた強いイメージをもったタイトルにはさまざまな意見があり、他にも多くのタイトルが提案されていた。これは批評という形式を取りながらランドスケープの価値を再定義していきたいということ、その試みの開始を明確に告げるという意が込められている。このタイトルに至るまでの意見の多様さも、本文のコンテンツを読み解く中で汲み取っていほしい。

ランドスケープとは何か。私は一九九○年代、これについてあえて考えようとしてきた。ランドスケープ観の拡張はとりとめなく、価値観の多様さ、また批評の視座の多様さはもはや完全なる共有や制御を不可能にしている。ただ、本書を通じて、誰もが何気なく目にする、現象としてのランドスケープがどういったデザイン、作為によって成り立っているのかを解明し、批評をしようという姿勢が多くの人に共有され、ここから議論が始まることを期待する。ランドスケープ・デザインの現在的状況を捉え直す場が広がる契機となることを願ってやまない。