1 0 _ 打 ち っ 放 し

新幹線の車窓から外を眺めていると、工場、マンション、分譲住宅……等々の建築群の中で突如としてスケールを逸脱した建造物が目の前をいくつも通り過ぎていく。グリーンに塗られたその巨大な蚊帳のような構築物の中で人々が一律に同じ回転運動をくり返しているさまは、スケルトン・ヴァージョンのクリストのラッピング・プロジェクトの舞台装置の中で、現代舞踏のパフォーマンスが行なわれているようにも思えてくる。特に夜間、照明で煌々と照らし出された情景はかなり異様だ。
以前、オーストラリアのシドニー郊外の打ち放し場に行ったことがあったが、そこにはネットもフェンスも何もない広々とした芝生のフィールドがあるだけで、ゴルファーたちは文字どおり球を「打ち放し」、野球の審判のようなプロテクターとマスクをつけたアルバイトの少年が飛び交う球をよけながら球拾いをし、そしてその少年から球を買うという仕組みだった。照明などの施設があるわけでもなく日没と共に営業終了だ。シドニーの打ち放し場に比べ、日本のそれはネット越しに現実の住宅や駐車場、スーパーやコンビニの看板を見据えて何十発と球を打ち続けなければならないのは打者にかなりのイマジネーション、想像力を強要している気がする。
現代のデジタル技術をもってすれば、クラブを振り回せるだけの最低限のスペースさえ確保すればあたかも名門コースで「打ち放す」疑似体験を演出することぐらいは容易なわけで、そういったものに取って替わられてもおかしくない気がするが、そうはならないのは、クラブを振り抜く身体や実際に飛んでいく球の軌跡と連動したアナログなゴルフ・コースのヴァーチュアル体験はデジタルのシミュレーションでは得られないからだろう。
日本の都市の特殊な環境から生み出された奇形のような印象さえ受ける打ち放し場も、そこでアナログな身体的なイマジネーションが渦巻いていると思うと、日本もまだまだ捨てたもんじゃないなという希望が湧いてくる。そんなことを車窓で考えているとますますそれが巨大なインスタレーション・アートのように見えてくる。
寺田尚樹(建築家/プロダクトデザイナー)

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