追悼セドリック・プライス──聖なる酔っ払いの伝説

Cedric Price, Re: CP, Birkhauser, 2003.

磯崎新『建築の解体』(鹿島出版会、1997[復刻])

Cedric Price, The Square Book, Wiley Academy, 2003.

Cedric Price, CEDRIC PRICE OPERA, Wiley Academy, 2003.
──セドリック・プライスを北京に招こうとした。アーキグラムとかスーパースタジオがいるなかで、60年代的発想をいちばんキープしているのは彼だからね。でも彼はじっとしているとお酒を飲みはじめる。そういう状態だから電話で参加★1。
イギリスの建築家セドリック・プライスが今年8月10日に心臓発作で亡くなった★2。今回は今年立て続けに出版された彼の本を3冊紹介したいのだが、『Re: CP』とタイトルが付けられたそのうちの一冊は、「セドリック・プライス再考(re)」とも読めるし、発音してみれば「レシビ=調理方法」になる。ユーモアを好んだまったく彼らしい地口(駄洒落)であるわけだが、表紙の下端に「賞味期限2006年5月1日(それまでに著者の考えが変わるかもしれない)」と書いてあり、しかしセドリックはその日を待たずして逝ってしまった。残念としか言いようがない。
イギリスでは、昨年ピーター・スミッソンが亡くなり、今年はセドリック・プライスが亡くなった。イギリスの現代建築のすべての活動は、この二人からなんらかのかたちで派生してきたものだと言い切ってもいい。その二人が立て続けに亡くなったことは、紋切り型の表現で恐縮だが、ひとつの時代が終わったということか。しかし、今年になってセドリックの本が世界中で3冊も発行され、ピーター・アンド・アリソン・スミッソンの完全作品集も昨年出たというように、彼らの思考の軌跡への再考の機運が盛り上がっていることは間違いない★3。
イギリスの現代建築は、アーキグラムやAAスクールに象徴される夢想的なペーパー・アーキテクト派と、リチャード・ロジャースやノーマン・フォスターに代表されるハイテク派の、2つの大きなグループがあり、それらはまったく別に成り立っていると通常は理解されている。しかし、セドリック・プライスのなかでは、エキセントリックな発想と、テクノロジーへの憧憬が、まったく矛盾することなく一緒に合わさっており、彼はそのスタンスを生涯変えなかった。そして、この態度こそがイギリスの建築の伝統というものであった。
冒頭の引用に引き続いて磯崎新は、「セドリックの仕事が今後いっそう注目されるんじゃないかと思っている」と発言している。セドリックを日本に本格的に紹介したのは、その磯崎新であり、『建築の解体』のなかで詳細に解説を行なっている。磯崎新の「お祭り広場」と、セドリック・プライスの「ファン・パレス」の関係については、さまざまなところで言及されているが、残念なことに75年に出版された『建築の解体』以降、セドリックはあまり日本には馴染みがなくなってしまい、いつまで経っても代表作は「ファン・パレス」のままであった(その他、ロンドンに旅行した人には、ロンドン動物園の大きな「鳥小屋」が、強く印象に残っていることであろう。この数少ない彼の実作のひとつは、彼が若干20歳代のときに実現したものである)。今回の出版は、その後の彼の活動を概観するのに役立つであろう。
『Re: CP』は、セドリックのさまざまなアイデアを集めた本であるが、磯崎が『建築の解体』でセドリックについて述べたテキストが初めて英訳され収録されている(注釈は略されているが、本文はそのまま訳されている。また、あらたに書かれた後記が付け加えられている。現在でも、セドリックを紹介する最もまとまったものが、磯崎の約30年前のテキストであるというのは、あらためてこの建築家に対して感服する)。編集は、豪腕の現代美術キュレーター、ハンス・ウルリッヒ・オブリストが行ない、セドリックへのインタヴューもしている。セドリックは、オブリストが企画した「シティーズ・オン・ザ・ムーブ」や「ミューテーションズ(TNプローブにも巡回した)」といった話題を呼んだ大規模な国際展にも参加していた。また、この本のイントロダクションは、レム・コールハース。レムは「セドリックほど、少ない手法で建築を大きく変えたものはいない」としている。
『Cedric Price, The Square Book』は以前、AAスクールより出版されたが、長らく絶版となっていたものが再販されたもので、1960年から84年のセドリックのプロジェクトを集めている。『Cedric Price, Opera』はその続刊として、85年から2002年までのプロジェクトが集められている。コンセプトを端的に表わす彼のドローイングは、晩年になるほどますます、シンプルになっていくが、その分アイデアは明快になっていく。テート・モダンなどといったいくつもの実施コンペにも招待され、しかし彼のプレゼンテーションは大抵現実的でないと早々と退けられたようだが、だが批評的であろうとする彼の姿勢は決して揺らぐことはなかったのである。
★1──磯崎新『百二十の見えない都市』事務局通信N0.11(ときの忘れもの、2002年9月)
★2──日本語で読める追悼文としては以下のものがある。
・スタンレー・マシューズ「追悼:セドリック・プライス氏逝く」(『a+u』2003年10月号、新建築社)
・連健夫 「追悼セドリック・プライス、あなたには多くのことを学びました」(『Casa BRUTUS』2003年11月号、マガジンハウス)
★3──スミッソン夫妻の作品集については、この連載のなかでまた稿を改めて紹介する予定である。
[いまむら そうへい・建築家]