NPO地域再生プログラムの活動から──まちのイニシアティヴとアーキテクトという職能の可能性
11月27日、都内にて
去る11月27日、「まち遺産の活かし方──small town heritage」というタイトルで、シンポジウムが行なわれた。主催は下田の南豆製氷応援団、下田市、そして筆者の所属しているNPO地域再創生プログラムである。
このシンポジウムは、現在下田市で起きている、南豆製氷所という産業遺産を巡る地域の活動の東京での報告会と、また同様に各地で起きている地域再生の動きとをリンクさせて議論することが目論まれた。ゲストは、建築家の阿部仁史、日本政策銀行の藻谷浩介、そして建築史家・評論家の五十嵐太郎の三名と、下田の南豆製氷応援団の清水直子であった。会場には70名を超える聴衆が集まり、地域のイニシアティヴというテーマを中心に、実際の現場に関わるメンバーによって3時間半にわたる熱気に満ちたディスカッションが行なわれた。
筆者撮影
保存活動の矛盾した構造
このシンポジウムの開催の発端となった下田ではいま何が起きているのか。
端的に云えば、南豆製氷応援団という有志の集まりによる、旧南豆製氷所の保存活動である。
「保存活動」と聞くと、「ああ、センチメンタリズムね」と線を引いてしまう読者もいるかと思う(どこかの知事のように)。これまでにさまざまな建築の保存活動が全国各地で行なわれてきたことは、周知のとおりであるし、自ら関わらなくとも、身近な誰かが参加しているのを目にしたことはあるだろう。もちろん、いくつかの事例はそれなりに「保存」という成果を残しているが、一方でうまく活動と社会とのあいだに橋を掛けられずに挫折していったケースを目撃している人はやはり数少なくないと思う。
そういった事例の敗因はどこにあったのか。個々の原因はそれぞれにあるかと思うが、ここでは「保存活動」という構え自体の中にある矛盾構造について考える。結論から言えば、それは活動の集団形成にあたって「建築を残す」という目標を定めること自体が、その「建築の所有」ということに対する特権性を認めてしまうというところにある。
「ものを残す」という目標はすなわちもの自体がその成否の焦点となる。活動の最終目標としては、それを残したい人が所有することが論理的な帰結となる。つまり自分が所有することでほかからの干渉を排除してものを守ることが究極の目標となる。しかしこれは裏返してみると、もしかすると建築を解体するかもしれない現在の所有者に対しても、干渉を排除する権利を認めないとならなくなるはずである。すなわち保存活動の基底である「所有はしていないけれど、保存という結果に結びつける」という考え方が、「所有×もの=保存」という考え方とは相容れない。
結果として、活動の根拠は論理的に基礎付けられず、「とにかくものを残す」というイデオロギーにならざるを得ない。その動機の基礎付けを社会的に説明できないことこそが、これまでの保存活動が、社会にうまくつながらなかった原因であったと考えている。
下田では何が起きているのか
再び、ではこの下田ではいま何が起きているのか。
ここでは、「所有」という事象に対して「つかう」という行為を立て、地域生活者の生活の一部分として保存活動が行われているのだ。
南豆製氷応援団の活動の経緯は、ウェブサイト「南豆製氷の保存と再生を応援しよう!」★1を参照していただければと思うが、彼らがしてきたことは、この南豆製氷所を(青木淳のいう)「はらっぱ」として発見し(その発見に多少なりともアートプログラム「fusion point──融点vol.1」★2で関与できたことは、わがNPOのささやかな自負であるが)、その発見された場所をどのように「つかえるのか=遊べるのか」というチャレンジにほかならない。応援団のありようを定義するならば、それはなにより「まちをつかう=生きる人」であり、そのために「南豆製氷所という場所があるといいと思う人」なのである。
筆者がこの南豆製氷応援団の活動が、かつての保存活動と一線を引くと考えている一番の理由は、このことが主要メンバーに認識されているところである。つまり、まず「もの(建築)」ありきではない。第一に(下田というまちの)生活ありきで、その延長(=一部)として、この場所を守ることで、まちで暮らしを豊かにする。そのことが浸透しつつあるところが第三世代の保存活動のあり方を示しているのではないか。
そして、この動きのラディカルな点は、普通の市民が普通の市民活動の延長として参加できるイデオロギーではないオープンネスである。
社会学で使われている用語に「イニシアティヴ」という言葉がある。「ローカル・イニシアティヴ」のように、もともとは地域自治の概念を、制度(ガヴァメント)とは別の側面でとらえようとするために使われてきた言葉であるが、最近は地域(ローカル)という枠を超えた使われ方をしている。すなわちある行動(意思)をともにする人々の活動、およびその集団というような意味合いである。よく引き合いに出されるのが「OSS」(オープンソース・イニシアティヴ)であるが、ある種の相互性と、自己性、そして開放性とが併存する社会活動のあり方として興味深く感じていた。
この南豆周辺の動きは、「コミュニティ」のように原理によって外を排除して輪郭を際立たせるものではない。かといってネットワークという重心が存在しないものでもなく、どちらかといえば、重力集中が星雲を生むように、それぞれがそれぞれの距離を持ちつつ参加を行なった結果あるまとまりが見えてくる状況だ。まさにイニシアティヴが形成されつつある状況だといえる。そしてここでは、このイニシアティヴというカテゴリーを設定することで、「つくる」ベースの計画論から、「つかう」ベースの計画論への視点が見出されるのではないかと考えている。
左:下田南豆製氷所 撮影=八木晴之
右:応援団活動風景 筆者撮影 |
あるNPOの成立について
私はオープンソースという考え方は本来、まちづくりにこそ適用されるべき概念だと考えていた。しかし、それを旗振りするのが、行政、計画者、建築家では、いつまでたっても(少なくともイメージとして)オープンにならない。
まちは「誰かが作るもの」「わたし(市民)は使う人」。こうした非対称な関係をどうしたら解決できるのか。本来ユーザーである市民がそれをつくることに参画するほうが、より真っ当なまちの作り方ではないのか。これは旧同潤会大塚女子アパートメントの保存活動に関わったとき以来考えていたテーマでもあった。
この大塚女子の活動のときにも、アートを使って建築を都市に開放しようと試みた(OPEN [apartment])のだが(結局、「所有者」である都に締め出されたことによって未遂に終わった)、このときのアーティスト、ボランティアのつながりには、今回の南豆製氷応援団の活動へとつながるような人々の意識の変化の萌芽があったと思う。
この敗北と、その翌年の大分蒲江町で行なわれたワークショップ★3の経験から、清家剛理事長と、最低限の連絡機構、人的リソースの確保を念頭に立ち上げたのがNPO地域再創生プログラム★4である。立ち上げ当初は、なんだか分からないままに、とりあえずやる気のある人間で、いろいろなまちを調べてみようということで、下田と継続的に関わりつづけていた建築家の山中新太郎の誘いから下田へ行くことになった。
大塚女子アパートメントの活動のときに学会ベースの有志保存団体「旧同潤会大塚女子アパートメントを生かす会」で経験した、建築史、構法、構造、行政、法律、経済などのさまざまな職能がアライアンスを組むことで、いろいろな提案を行なっていくことがNPOの想定モデルでもあった。そのアライアンスのテストベンチとして下田に行ってみたのだ。
左:同潤会活動風景
右:蒲江町ワークショップ 筆者撮影 |
これからの建築家の職能について
そのときの下田サーベイで、まちのリソースの掘り起こしという考え方を見出すことができた。そしてそれは山中新太郎と橋本憲一郎をリーダーとした「下田再創生塾」というまちをつかった勉強会の継続につながっている。この第二回の再創生塾とアートプログラムでわれわれが南豆製氷所とクロスし、以降下田とのコラボレーションが続いている。こういった継続的なフィールド活動を精力的に行なう山中、橋本のような建築家のあり方は、さきの「もの」を「つくる」ことに縛られない、むしろ「都市や地域」に活動の場を広げる方向として示唆的である。継続的であることによって、彼らは下田市外の人でありながら市内の人々の信頼も厚い。
筆者撮影
冒頭のシンポジウムで阿部、藻谷、五十嵐の三氏から示されたのはいずれも下田の活動に概念としてつながる地域や建築ベースのイニシアティヴの事例である。
阿部仁史の仙台卸町と、建築家とのコラボレーションは、まちというフィールドを「つかう」という視点からリノベーションしていると同時に、卸町組合という既存のイニシアティヴのリノベーションでもある。さらにすごいのは、それがすでに「計画論」として、体系化されつつあることだ。地域計画概念のひとつの転換点を遠からず示すことになるだろう。
また一年間に300日以上も全国各地を駆け回り、その地域の活力を掘り起こす講演を続けるのが役目という藻谷浩介の事例も、まちを「つかう」のも「つくる」のも市民なのだという意識が各地でかたちになり始めていることを示してくれた。人が動くこと自体がまちづくりのリソースなのだ。
リノベーション・スタディーズを率いてきた、五十嵐太郎の引用した押井守の「社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならない。都市は巨大な外部記憶装置」という言葉からすると、その主体が意識を持つことで、自らを形成していく運動が生じるとも考えられよう。それをコントロールするのは外部の誰かではなく、自律していく性質のものだということも事例の中から読み取れた。
これらの事例をベースに、さしあたりの本稿での仮説として(個人レヴェルも含め)「イニシアティヴ」を空間ベースでサポートすることを「アーキテクト」の職能の基底としてみたい。そしてNPO地域再創生プログラムの活動は、その前提である「イニシアティヴの形成」を含め、そのための思考の現場と位置づけている。
今後、下田に限らずいろいろなケーススタディを縁のある各地で積み重ねてみたいと考えていると同時に、さまざまな人々とのアライアンスを試みたい。そのなかで建築家の職能についての仮説についてなにがしかの手がかりが見つかることを期待している。
(文中、敬称略)
★1──「南豆製氷の保存と再生を応援しよう!」URL=http://www.geocities.jp/yuebing99/。
★2──リノベーション・フォーラム「まちの温度を上げる──伊豆下田市南豆製氷所アートプログラム『fusion point──融点vol.1』報告」URL=https://forum.10plus1.jp/renovation/forum/repo003-simoda/report003.html。
★3──「第1回蒲江町環境・建築・再生ワークショップ」URL=http://www.re-fine.co.jp/kamae/index.htm。
★4──「NPO地域再創生プログラム」URL=http://www.npo-rprogram.jp/。
[しんぼり まなぶ:建築家、NPO地域再創生プログラム副理事長]