手で描くということ──建築家とドローイング
Michael Graves, Images of a Grand Tour, Princeton Architectural Press, 2005.
Kendra Schank Smith, Architects's Drawings, Architectural Press, 2005.
Rafael Moneo, Theoretical Anxiety and Design Strategies, The MIT Press, 2005.
──本当の建築のドローイングというものは説明図ではない。建築的思考の、純粋な表現なのである。
マルコ・フラスカリ★1
──私はいつもドローイングというものに魅了されてきた。
マイケル・グレイヴス★2
この連載でも、デジタル化のトレンドにまつわる話題をしばしば取り上げているが、昔ながらの手描きのドローイングというものが、今後なくなることはないであろうし、その重要性をあらためて感じている人も少なくないだろう。設計図の世界では、手描きの図面というのは、今では非常に少なくなっているし、初期のスタディの段階からも手描きのスケッチは行なわず、最初からコンピュータに向かうという若いジェネレーションはこれからも増え続けるであろう。しかし、そうした潮流がある一方、もしくはそうした傾向が支配的だからこそ、手描きのドローイングはその魅力が再発見されているのではないだろうか。ここに紹介する2冊の建築ドローイングにまつわる書籍は、手描きのスケッチ、ドローイング、メモといったものが建築家にとって、いかに本質的な存在であるかという考察を、促すものであるといえよう。
『Michael Graves / Images of a Grand Tour』は、ローマ賞を受賞した若きマイケル・グレイヴスが、1960年代初頭にローマに2年間滞在した際に描かれたドローイングや自ら撮った写真を集めた本である。滞在先のアメリカン・アカデミーでは、考古学、建築、古典研究、デザイン・アート、歴史保存、美術史、ランドスケープ、文学、近代イタリア研究、音楽構成、人類学研究、アートなど、多岐に渡る秀英がグレーヴスのまわりにいて、お互い刺激しあったというが、それが建築やアートのみならず、広い分野での教養をグレーヴスが身につける手助けとなったことは間違いない。また、彼はイタリア各地や、ギリシャ、トルコ、スペイン、イギリス、ドイツ、フランスを訪問し、傑作とされる建築を研究し記録していったのである。
このように、啓蒙の手段として旅を行なうという考えは2世紀にまで遡れるとこの本には書かれているが、本のタイトルともなっている「グランド・ツアー」という言葉が、はじめて書籍に表われたのは1670年のことらしい。18世紀までには、すべてのヨーロッパ貴族にとって、数カ月から場合によっては数年にも及ぶ「グランド・ツアー」を行なうことは、欠かすことのできない教養の一部だとみなされるようになった。当時の建築家としては、イギリスのサー・ジョン・ソーンとドイツのカール・フレードリッヒ・シンケルが、グランド・ツアーを行なった建築家として特筆される。時代は下って20世紀となり、記録の装置としては写真という簡便なものが発明された後にも、グンナー・アスプルンド、ル・コルビュジエ、ルイス・カーンといった巨匠達もグランド・ツアーを行ない、スケッチを残していることはすぐに思い出されるし、日本人建築家でも、堀口捨己や大江宏は、欧米への旅行が彼らの建築観に決定的な役割を果たしたことを告白している。安藤忠雄が、若いときにシベリア鉄道でヨーロッパに渡り、ミケランジェロやコルビュジエを見てまわったというのは、有名なエピソードであるし、彼の『旅』という本は、旅先のインド・トルコ・沖縄でのスケッチを集めた極めてチャーミングな本である★3。
ケンドラ・シャンク・スミスによる『Architects' Drawings』は、副題に「歴史上の世界の著名建築家のスケッチ集」とあるように、ルネサンスのブラマンテ、ダ・ヴィンチからはじまり、現代のエンリック・ミラーレスからアルヴァロ・シザまで、各建築家1ページのドローイングと1ページの解説文となっている。建築家のドローイングをたくさん集めた本というのはほかにもありそうだが、この本のように建築家ごとの解説や、その建築家にとってのドローイングの意味などにまで丁寧に言及しているものは少ないのではないだろうか。冒頭には、スケッチの意味、建築スケッチ研究へのアプローチ、ドローイングとスケッチの歴史などを考察したテキストがあり、時代ごとに章立てされたそれぞれの冒頭には、その時代の技法や傾向などの解説があるなど、建築家とドローイングの関係を考える研究書となっている。なぜ、ルネサンスからかと問われれば、つまりルネサンスにおいて建築家が誕生したのでそれ以前には建築家のスケッチは存在しないのであるが、一方当時においては紙が貴重品であったこともあり、紙がなければスケッチも存在し得ない。これは僕の勝手な想像だが、紙が普及しスケッチが行なわれるようになり、主体的に自らのモチーフを描くツールを手にしたことが、建築家の誕生を手助けしたと考えるのはどうであろうか★4。
最後に、話題はまったく変わってしまうが、面白い本を見つけたのでご紹介。『Theoretical Anxiety and Design Strategies』は、スペインの建築家ラファエロ・モネオが、ハーヴァード大学で行なった講義集である。建築家が教鞭を執ったり、文章を書くことはそれほど珍しくはないが、この本では、ジェームス・スターリング、ロバート・ヴェンチューリ・アンド・デニス・スコット・ブラウン、アルド・ロッシ、ピーター・アイゼンマン、アルヴァロ・シザ、フランク・O・ゲーリー、レム・コールハース、ヘルツォーク&ド・ムーロンといった現代建築家に関する講義が集められているのである。それぞれ、冒頭に各建築家に関する概要が説明され、その後プロジェクトに関するスライドレクチャーが行なわれたのであろう。一流建築家が、同時代の他の建築家を評するという、これもモネオの持つ教養の深さを感じさせる本となっている★5。
★1──Graves, Architects' Drawings
★2──Smith, Images of a Grand Tour
★3──「コルビュジエにとって、旅は自己形成に大きな影響を与えたと聞く。僕も旅の重さをつくづくと感じる」(安藤忠雄『旅──インド・トルコ・沖縄』、住まいの図書館出版局、2001、56頁)。
★4──建築家とドローイングの関係については、拙稿「アンビルドの実験住宅の系譜」(『10+1』No.41、特集=実験住宅所収)でも検討しているので、合わせて参照いただきたい。
★5──ラファエル・モネオ自身の建築作品は、これまでに出された3冊を合わせて最新作を加えた、『Rafael Moneo 1967-2004』が、彼のこれまでの作品すべてを見渡すものとしてお奨めである。
[いまむら そうへい・建築家]