光によって形を与えられた静寂

Lucien Herve, Architecture of Truth, Phaidon, 2001.

David Heald, Architecture of Silence, Abrams Inc., 2000.

フェルナン・プイヨン『粗い石』( 荒木亨 訳、形文社、1973)

鈴木恂『回KAIRO廊』(中央公論美術出版、2004)
──ベルナールよ、お前も知ってのとおり、初めに創造主は人間に火を好むことを教えた。これが一見して明らかな、わしら人間と獣との最初からのただ一つの違いじゃ。それから智慧のせいか狂気のせいか、わしらは狩り、耕し、育て、織り、語り、戦い、煮炊きし、建てることを知った。すべて本能に属することをわしは大地から来るものと呼ぶのじゃ。建てることは火より後とはいえ、建築もやはり本能に結びついているのだ★1。
──ひたすら〈L'espace indicible──えも言われぬ空間〉(ル・コルビュジエ)にひたりきっていた東洋からの訪問者にたいして、案内してくれた神父が----そんなにこの建築に関心をもつならば、あなたは、もうひとつの修道院を訪れるべきでしょう。といって教えられたのが、ル・トロネ修道院であった。
「南仏のプロヴァンスにあります。実は、ル・コルビュジエはこの修道院を設計するにあたって、何度もル・トロネを訪れ、実測までしたそうですよ。現にプランも、その修道院を下敷きにしています」★2
どうしてル・トロネは、かくも多くの建築家を魅了してきたのであろうか。壮大な伽藍を誇る建築や、優雅な装飾を施された建築は、世界にあまたある。しかし、それらに比べてあまりにも寡黙なこの修道院が、建築家たちの心を深く捉え離さない。
今回は、ロマネスク期の修道院建築の写真集を取り上げようと思うのだが、これらの書籍のページをゆっくりと繰っているとふと不思議な感覚に襲われることがある。写真から受け取る静寂の雰囲気は、これら修道会の厳格な戒律、修道院の質素な建物、これらの写真の手法、そもそもの写真が抜きがたく持つ本質、それらのどれからもたらされているのであろうか。そして、これらの写真には、修道院の空間における光の効果というものが明瞭に見て取れるのであるが、その光の質は、宗教に属するのか、それとも建物に属するのか、いや光を記録する写真というメディアに属するのであろうか。
ルシアン・エルヴェによるル・トロネ修道院の写真集『Architecture of Truth』は、建築写真集の古典ともいえるものだろう。ルシアン・エルヴェはル・コルビュジエの建築写真を数多く手がけ、そのコンクリートの量感を克明に記録し、ル・コルビュジエの建築の魅力を引き出したことで知られる写真家である。そのエルヴェが、ル・トロネの写真集をフランスで出版したのが1956年という半世紀前のことであり、その際、ル・コルビュジエはイントロダクションを引き受けている。この写真集に魅了されていたイギリスの建築家ジョン・ポーソンが、新たにデザインを担当し、後書きを加えたものが、現在Phaidon社から刊行されているヴァージョンである。エルヴェの写真は、ひいて全体を写すようなショットは少なく、場合によってはかなり近づき、光と影のコントラストがかなりはっきりとしている。写真によっては、画面のほとんどが影の黒い部分でしめられるなど、大胆な構図のものも多い。しかしそれがダイナミックな動きを生み出す方向に行くのではなく、明確な輪郭線を持ちながらも、静かな精神性を伝えることに成功している。
デヴィッド・ハードによるシトー派修道院(ル・トロネも含まれる)の写真集『Architecture of Silence』は、エルヴェとは対照的に、ごく正統的ともいえるアングルで、20を超える修道院の写真を集めている。とは言っても、凡庸な写真ではもちろんなく、これもまたエルヴェとは対照的に、どこから入ったのかわからないようなきわめて柔らかい光が空間の中を満たし、これら簡素な空間の静けさというものを見事に伝えている。
ル・トロネをはじめとする南仏ロマネスク修道院建築に関する本はいくつもあるが、やはりはずせないのが、フェルナン・プイヨン(1912年生まれ)による『粗い石』である。この自らが建築家であるフランス人プイヨンが、この本を書いたのは20世紀のなかばも過ぎた頃だが、小説という形式を採用し、建築家である修道士がル・トロネ建設の指揮を執った日々の記録となっている。私達は、ル・トロネを訪れればすぐにその美しさを了解するのだが、12世紀のフランスにおいて、辺鄙な山の中で建築をするという作業がいかに困難をともなう行為であるのか、林を拓き、石を切り出し、それらを運び、地上から持ち上げ積み上げ、そうしたことを人間の身体のみで行なうことは、まさに労働であって、と同時に常に労苦である。建てることの希望や悦びも語られはするものの、そのほとんどが疲労と痛みをともなう作業であって、かくも苛烈な行為であることを学んだ後は、これら修道院もまた別の見え方がする。受難イコール信仰というキリスト教文化の知識が、この空間そのものの理解に必要かそれとも邪魔かということは、各自によって意見が分かれるであろう★3。
光が印象的な写真集といえば、ついでながらぜひ紹介したいのが、建築家・鈴木恂による『回KAIRO廊』である。建築家自らが数十年にわたって取り貯めた、世界各地の回廊のさまを集めたこの写真集は、人々は地球上のあらゆる地域で回廊の文化を育み、それぞれの独自の造形を生み出したことを教えてくれる。この建物の一部でありながら、都市に開かれた空間は、街の人々に守られているという安心感と、都市の賑わいを、同時にもたらしている。お茶を飲み、地べたに直接座り、目的もないのだろうか、ゆっくりと歩を進めるさまが記録されている、それは回廊の空間が人々を活き活きとさせていることを明証している。それにしても、長年にわたりこうした写真を撮り貯め、実に多くの旅を実現し彼の地で素晴らしい光景と遭遇し、それを記録する機会とスキルとがあったこの建築家の人生は、あまりにも豊かであったと感嘆せずにはいられない。
こうしたすぐれた建築写真集を繰ると、写真のもつリアルな臨場感が、その地へ赴きたいという思いを強くさせる。それは、日常からでて旅へと向かうべく強く背を押してくれると同時に、今は行けない、もしくはこの美しい場所にたたずむことは一生叶わないだろうといった、諦めによる悲しみをもたらしもする。白黒写真がもたらす静けさは、その表現の寡黙さからだけではなく、読者の内面の感情からも生じているのかもしれない。
★1──フェルナン・プイヨン『粗い石』
★2──磯崎新「排除の手法──ル・トロネ修道院」(『神の似姿』[鹿島出版会、2001]所収)
★3──この連載の前回(西洋建築史になぜ惹かれるのか│今村創平 https://www.10plus1.jp/archives/2007/03/13153809.html)では、西洋建築史の面白さの大部分は、組めど尽きぬ知識にある点を強調したわけだが、ル・トロネはそれらとは対称的な位置にある。装飾を排し、空間そのもののみがあるという美学は、まさにモダニズムのモチーフであるわけであるから、よってアカデミーを糾弾したル・コルビュジエに愛されたということは、きわめて合点がいくのである。
[いまむら そうへい・建築家]