建築(家)を探して/ルイス・カーン
ナサニエル・カーン『My Architect - A son's journey』(レントラックジャパン、2006)
Robert McCarter, Louis I Kahn, PHAIDON, 2005.
斎藤裕『Louis I.Kahn Houses──ルイス・カーンの全住宅:1940-1974』(TOTO出版、2003)
──このバスハウス(ユダヤ・コミュニティー・センター、バスハウス)の完成後、私は、他の建築家からインスピレーションを捜し求める必要はなくなった。
ルイス・カーン★1
偉大な建築家であると同時にすぐれた教育者でもあったルイス・カーンは、建築教育には、次の3つのアスペクトがあるとしている。ひとつ目は、〈プロフェッショナル〉。ふたつ目は、〈自己を表現するために〉人を鍛えること。そして3つ目は、〈建築は存在しない〉ということ★2。
ルイス・カーンには、それぞれ母親が違う3人の子どもがいた。カーンは、没するまで最初の妻と別れなかったが、ほかの2人の女性とのあいだにも子どもをもうけた。唯一の息子であるナサニエル・カーンは、カーンが1974年にニューヨークの鉄道駅で不慮の死を遂げた際、まだ11歳。カーンとは一度も一緒に暮らしたことはない。そのナサニエルが30年を経て、父親探しのために、また自分探しのために、関係者にインタビューを試み、またカーンの建物を訪ね歩いたドキュメンタリー映画が『My Architect - A son's journey』である。
建築にたずさわるものにとっては、ルイス・カーンの多くの写真、彼が実際に語り歩き回る映像、またフィリップ・ジョンソンやフランク・O・ゲーリーがカーンの想い出を語る様は貴重であろうし、また《ソーク生物学研究所》《キンベル美術館》《バングラデッシュ国会議事堂》といった珠玉の名作を長回しの美しい映像で見ることができるのも眼福であろう。
しかし、映画そのものは、多くの関係者の証言に時間が割かれ、どうも建築家やその作品は、あくまでも素材であって、監督であり主人公である息子ナサニエル・カーンの物語なのだと、巨匠建築家をお目当てにした鑑賞者には物足りなさを覚えさせる向きもあるかもしれない。だが、ナサニエルは、単に自己実現のためにこの映画を作ったのであろうか。
よく知られているように、カーンは60歳近くにもなって完成した《ペンシルベニア大学リチャーズ医学研究棟》によって世界から発見されたわけだが、50歳前にはなにもしていなかったわけでもなく、実務建築家として多くの仕事を手がけている。とは言っても、カーンが、カーンとなる以前の作品には、エピソードとして以外にはほとんど注意は払われないし、また苦悩の日々の痕跡というのは、実際に形になっていなければ後には残らないものだ。今、われわれはカーンの確信に満ちた発言の記録を読むことが可能だが、それらはみな著名になってからのものである。だが、カーンがカーンになるためには、長い試行錯誤の期間があった。ナサニエルによるこの手探りの試みは、彼の父の軌跡とパラレルなものとして観られるだろう。
ロバート・マッカーターによる『Louis Kahn』は、500ページの厚さを持つ、ルイス・カーンの評伝である。巨匠カーンに関する本は多い。また、研究も進んでいるため、独特の視点により編まれた本もいくつも見かけられる。そうしたなかでこの本は、あらためてカーンの全貌を知るのに適した本となっている。分厚い本ではあるものの、カーンの生涯を追い、またほとんどの作品を解説しているため、説明が平板になっているという指摘もありえるだろうが、資料性の高いフェアな描写に徹しているともいえる。評伝という形式により、個々の作品の合間合間に建築家のその時期の境遇が挟まれ、それらが一連のものとして連鎖していく様が、この本を読み進める楽しみともいえよう★3。そして、カーンという建築家は、その時その時の機会を実に見事に吸収して、それらを自分の設計モチーフの本質的なエレメントとして積み上げていき、思考の連鎖によりある境地へと導く。それもまたカーンの才能であったことが了解される。
カーンには、求道者としてのイメージがつきまとう。それは崇高さという超越的なものへの嗜好がこの建築家にあるからだけではなく、まだ見ぬ〈建築〉をもとめて、精進を重ねる建築家の姿勢にもよるのだろう。ついでながら、この本ではカーンの主要な作品の図面が著者監修のもと新たに描き起こされている。また、アンビルドの作品のいくつかが、写真と見まがう精緻なCGで再現されている。それらは、すでにあまたのカーンの建築写真を見慣れているわれわれの眼に新鮮な驚きを与える。カーンから連想される独特の建築造形、そうした認識を裏切る、大胆な造形。カーンを襲った突然の死の時点で、建築家は膨大な借金を抱え、事務所が倒産するのは時間の問題であったが、晩年のカーンは実に精力的に次々と新しいプロジェクトを設計し続けた。人生前半の停滞の反動として才能がほとばしっていた。カーンがあと10年生きていたならば、今の建築シーンはどう変わっていたのだろうか。
カーンに関する書籍のほとんどが、この建築家への尊敬の念をそのベースとしているといって構わないだろうが、建築家斎藤裕による『Louis I.Kahn Houses──ルイス・カーンの全住宅:1940-1974』は、カーンの建築の見事さを記録しようとする執念に支えられて作られている本である。目的は、その住宅を美しく記録すること。だから通常の写真集のように、説明的にいろんなカットを撮ったり、同じアングルを避けることはされていない。季節によって、時間によって、斎藤が立ち会った瞬間が写し撮られ、それらが集められている。各住宅の解説も親切ではあるが、カーンの住宅がいかなる表情を持って佇んでいるのかを、呆然と眺めるのがこの本には相応しい。
★1──松隈洋『ルイス・カーン──構築への意思』(丸善、1997)、33頁
★2──ルイス・カーン「ライス大学講義」(『ルイス・カーン建築論集』[鹿島出版会、1992]、151頁)
もちろん、ここで話題にしているカーンが実践して見せた自己実現とは、最近いくぶん傾向となっているように思われる自己の感性をそのまま建築表現とするような矮小な行為とは似ても似つかないことは確認するまでもない。
★3──例えば、イエール・アート・ギャラリーを設計している時期、カーンはバックミンスター・フラーとの交流があり、正四面体により構成されたあのスラブを発想している。また、1955年にコーリン・ロウの訪問を受け、ルドルフ・ウイットコウワーの『ヒューマニズム建築の源流』をプレゼントされる。この本に掲載されていた古典建築からカーンはこの時期多大な影響を受け、ロウもまた1956年から57年にかけて、「新『古典』主義と近代建築」という重要なテキストをものしている。余談となるが、50年代中ごろのイエール大学では、カーンのほか、フィリップ・ジョンソン、フラー、フレデリック・キースラー、ジョセフ・アルバースというそうそうたるメンバーが教えていたことは、驚くべきことだ。
[補]
この連載でカーンを取り上げるのは2回目である。カーン理解の導きとして、前回のものも合わせて読んでいただきたい(カーンの静かなしかし強い言葉│今村創平 https://www.10plus1.jp/archives/2005/06/10113047.html)。
[いまむら そうへい・建築家]