硬い地形の上に建物を据えるということ/アダプタブルな建築
Alvaro Siza Complete Works, Phaidon, 2000.
Eduardo Souto de Moura, Electa architecture, 2006.
2G No.34, Sergison Bates, G.G, 2005.
ポルトガルという国は、西ヨーロッパにあってもいくぶん辺境の地という感があって、大航海時代の栄光は遠い過去のこと、素朴で地味だという印象をもたれている。建築的にも、世界の建築の潮流をリードするような華々しい運動などは起きたことなく、どちらかといえば脇役の位置に甘んじていたといっても差し支えないだろう。
しかし、今日では、われわれはポルトガルには、アルヴァロ・シザという優れた建築家の存在があることをよく知っている。彼は、国際的スタンダードの名声を得ているのだが、一方、彼のベース・タウンであるポルトという街には、ポルト派と呼ばれる建築家の一群がいることもまた、知られるようになっている。このポルト派の、代表的な建築家といえば、フェルナンド・タヴォラ(1923-2005)、アルヴァロ・シザ(1933- )、エドゥアルド・ソウト・デ・モウラ(1952- )の3人となる。タヴォラはシザより1世代年上で、シザはモウラより2世代年上だが、シザとモウラはともにポルト大学でタヴォラに習い、シザはタヴォラの事務所で働いてから独立し、モウラはシザの事務所で働いてから独立した★1。また、シザの初期の代表作、《ボア・ノヴァのレストラン》と《レサのスイミング・プール》は、タヴォラの紹介により手にした仕事であるし、シザとモウラは、《2000年ハノーバー博ポルトガル館》《2005年サーペンタイン・ギャラリー》など近年もコラボレーションを行なっており、かようにこの3人の関係は密接なものとなっている★2。
とはいうものの、彼らの世代が異なるように、彼らがまったく同じ性向を持っているわけではもちろんない。例えば、シザは、ル・コルビュジエやアルヴァ・アアルトに影響を受けたことを隠さないが、モウラはミース・ファン・デル・ローエを再発見した。であるから、シザは、その素早いスケッチによって自在に曲面を操るという特技を持つ一方、モウラはミース風のカチッとした構成が特徴となっている。
しかし、彼らの作品集をめくるなかで気づかされるのは、彼らの持つ大地への独特の振る舞い、それは、かなり硬質そうな岩肌に建物を据え付けるその仕草である。先にも挙げたシザの初期の作品は、荒々しい岩肌にうまく建物や構築物が組み込まれており、そのランドスケープと建物の呼応の仕方というのは、シザの作品の系譜の中で一貫して見られるものである。また、モウラにあっても、彼の代表作として挙げられる《モレードの住宅》において、居住者は日々岩肌と対峙しつつも、地形の豊かさに守られているような感触がある★3。
こうした堅固な地面というのは、日本では馴染みが薄い。例えば、江戸時代の侍の走り方や、能役者の舞などは、深く腰を下ろした姿勢を持つが、それはそもそも農作業において、泥に足を取られる足場の悪い水田の中での動きから来ているものだ。また、京都の寺社などにおいても、足元は苔で覆われていて、なんだかとても柔らかいものの上に、建物が浮いているかのような効果がある。かように、日本においては地面は柔らかいものであって、そこに軽い建物をそっと置くという文化が発達したわけであるから、ポルトガルに見られるような、固い台地に建物を強く固定するというのは、なじみがない所作だといっていい。しかし、そうした建物の持つ凛とした佇まいが、堅苦しさではなく、心地よさをもたらすことの魅力に、われわれは惹かれていることは間違いない。
最近のポルトガル、スイス、イギリスなどといった国には、ある共通した建築の傾向を指摘することができると思う。コンセプト主導で建物のあり方を決めようとしない(理屈っぽい建物ではない)。特定のスタイルを持たず、プロジェクトごとに、柔軟に対応する。であるから、ともすれば、計画案だけを見ると、誰のプロジェクトか言い当てるのは難しいのだが、実現した建物を見ると確かに、その建築家の醸し出す空気というものがはっきりとした輪郭をともなっている。強烈な個性を持たない分、彼らの成果というものを明示するのが難しいのだが、しかし彼らの試みは、じわりじわりと共感の輪を広げているように思われる。
イギリスの新しい世代については、この連載でもこれまでにトニー・フレットンやデヴィッド・アジャイなど紹介してきたが、今回取り上げるサージソン・ベイツもまた、そのようないくつかの国にまたがる新しい感性を有する建築家ユニットだ。ジョナサン・サージソンとステファン・ベーツはともに1964年の生まれであり、それぞれデイヴィッド・チッパーフィールドに習った、もしくは彼のものとで働いた経験を持ち、そして1996年に共同して仕事を始める。以前は、トニー・フレットンやデヴィッド・アジャイやアダム・カルーソなどと日曜日ごとに集まり建築論を語り合い、このグループは共通してスミッソンズを深く敬愛し、またピーター・ソルターからも影響を受けている。
彼らの作品もまた、特定のスタイルを持たず、プロジェクトごとに異なった素材が用いられ、それぞれに異なった表情の建物を産み出している。ポルトガルやスイスの建築家同様、モダニズム建築を素直に受け継ぎ、つまり教条的であったり、肩肘張ったりすることなく、モダニズムのいいところを自分たちの空間に取り入れている。かといって、場当たり的に、その場その場で気持ちのいい空間を作ればいいというのとはきっと違う、なんだがデリケートな配慮がなされている。そうしたことは、必ずしも彼らの建築だけに見られるのではなく、昨今の幾人かの建築家が手法としている、適応性といったものではないだろうか。周囲の環境にそっと耳を澄ませ、場合によっては文脈との強い関係を作り出し、建築自身の自律性によって竣立するのではなく、そこにいる人との活き活きとした関係を生み出すような建築。そのようなアダプタブルな建築のつくり方が、このところ少しずつ準備されていて、その若き主導者が、サージソン・ベイツというわけなのである★4。
★1──余談ながら、モウラの最初期のスタッフの一人が、今イギリスで大活躍をしているデヴィッド・アジャイであり、アジャイは、このテキストの後半で紹介しているサージソンとベイツ同様、デイヴィッド・チッパーフィールドのもとで修行したことがある。このように、建築家の相関関係には、非常に興味深いものがある。
★2──シザは、1997年にポルトの中心部と港湾部の間の位置に、自らのアトリエが入る事務所ビル《アレイショ通りの事務所》を完成させたが、その建物の中に、タヴォラとモウラの事務所も入っているのである。そして、設計の過程においても、他の建築家はそれぞれ口を挟み、シザの造形にも影響を与えているのだという。
★3──『a+u』2007年4月号において、ポルトガルの建築家の特集が組まれているが、そのなかでも、パウロ・ダヴィッドの2つの作品など、硬質のランドスケープに穿たれた建築が、ひときわ強い印象を与えている。
★4──サージソン・ベイツの作品は彼らのWebサイトを参照のこと。URL=http://www.sergisonbates.co.uk/
[いまむら そうへい・建築家]