移動手段と建築空間の融合について
Up Down Across: Elevators, Escalators and Moving Sidewalks, Merrell Holberton, 2003.
Simon Henley, The Architecture of Parking, Thames & Hudson, 2007.
Federico Bucci, Albert Kahn: Architect of Ford, Princeton Architectural Pr., 2003.
われわれが今日ある程度の規模の建物を計画するにあたって、車やエレベーターを考慮しないということはまずまれである。そのように、これらの移動手段は、すでにわれわれの日々の活動を支えるものとして、普段は意識に上らないくらい馴染んでいる。また、20世紀に広く普及し定着したこれらの装置は、例えばエレベーターの実用化が高層ビルを可能とし、シカゴやニューヨークといった街並みを作り上げたように、今日の建築が成立する大きな契機となったこともよく知られている★1。
一方で、そのように重要な要素でありながら、車やエレベーターのサイズや形式には、あるスタンダードが確立されており、設計にあたっても、車のサイズや走行性に合わせて駐車場を計画し、エレベーターはメーカーのカタログから相応しいスペックのものをあてはめるということがルーティン化している。つまり、こうした移動装置をいちから考え直すということはありえず、改良を重ねた規格品を採用するだけとなっている。こうした状況は今しばらくは続くであろうが、例えばトヨタが一人乗りの自動車を近年積極的に開発し提案しているように、都市において人が移動するための空間は、今後その時代に合わせた新しい方式が開発されてしかるべきであろう。
また、昨今は今までに存在しなかった巨大な建造物が生まれている。1000mに届かんとする超高層ビル、空港と商業施設の巨大コンプレックスなどが現われ、それらはまた都市交通とのスムーズな連係を必要としている。そうすると、これまでのようなエレベーターやエスカレーターでは、人々の効率的または快適な移動は望めず、何か新しい移動のテクノロジーが必要とされている気がしてならない。
『Up Down Across』は、2004年にアメリカ、ワシントンのナショナル・ビルディング・ミュージアムで開催された同名の展覧会に合わせて出版された本である。古今東西の、エレベーター、エスカレーター、動く歩道の事例が集められており、こうした移動装置に関する7つのエッセイや機械の仕組み、データなどが収められている。こうしてみると、いまでは味気ないエレベーターが、文化的歴史を備えていることがよくわかる。また最新の事例にも興味が惹かれないわけではないが、昔のデザインの華やかさやドローイングのイメージを見ると、いかに新しいテクノロジーが驚きと夢とをともなって、未来社会のヴィジョンを喚起していたかに気づかされる。
『The Architecture of Parking』は、さまざまな駐車場ビルの事例を集めた本だが、建築家でもある著者が、物質性、立面、光、傾斜といった切り口から、駐車場ビルの解読を行ない、また写真家による撮りおろしの写真が美しい。20世紀を代表するビルディングタイプはオフィスビルであるが、当初はミースがシーグラムビルをデザインしたように、建築家にとって興味のある対象であった。だが、今日ではフロアはごく単純に何もデザインせず、建物のファサードや形態だけを操作する対象となっている。恐らく駐車場も、まったく同じ扱いを受けているであろう。しかし、この本を見ると、単純な形式を持つからこそ、駐車場ビルのデザインは、時として崇高なまでの美しさをともなうから不思議である。
自動車といえば、フォードの工場を多く手がけた建築家アルバート・カーンの生涯をまとめた本が『Albert Kahn Architect of Ford』である。アルバート・カーンは、ヘンリー・フォードと同じ1860年代の生まれ。それぞれ、ドイツ人のラビ、アイルランド人の農夫としての父を持ち、移民としてデトロイトに到着し、めぐまれない境遇から、自らの成功を勝ち取ったアメリカン・ドリームを体現するようなふたりである。フォードは、工場に流れ作業を導入することで大量生産方式を実現し、フォーディズムという言葉は20世紀文明のキーワードとして上げられるほどになっている。カーンは、多くの工場群をフォードのために設計したが、そこには経営者の斬新な構想に応える新しい技術が常に期待されていた。この本には、フォードの合理性への哲学がいくつか披露されているが、それはそのままカーンの建築へと転化されたと見て間違いない。カーンの口癖は、「建築とは、90%のビジネスと10%の芸術からなる」だったようだ。
近代建築の始まりにおいて、工場建築がその発展に大いに寄与したことはよく知られている。ペーター・ベーレンスのAEGタービン工場(1910)やワルター・グロピウスのファグス靴工場(1911)は、近代建築史の定位置を占めているし、オーギュスト・ペレがはじめて打放しのコンクリートを試したのは、ポンテュ街のガレージ(1905)だった。かように、新しい空間の要求が、新しい技術の開発を後押ししたし、また生産施設の持つ即物性が近代建築の美学に影響をもたらした。その後、工場や駐車場という対象は、ローコストで工夫のし甲斐のないテーマであると、今日の建築家には捉えられている。一方で、自動車関連の施設をスター建築家が手がける事例がこのところ目につくが、それらは技術的な側面よりも、メーカーのブランディングの戦略として、建築家が採用されているようだ★2。
★1──レム・コールハースは、エッセイ「ジャンク・スペース(『a+u』2000年5月号臨時増刊(レム・コールハース)所収)」の中で、エアコンとエスカレーターと石膏ボードとが、今日の建造物=ジャンク・スペースを成立させていると、皮肉交じりに書いている。
★2──『a+u』2007年7月号(特集=自動車をめぐる建築)参照のこと。ノーマン・フォスター、ベン・ファン・ベルケル、アシンプトート、ジャン・ヌーベル、ザハ・ハディッド、コープ・ヒンメルブラウといった、そうそうたるメンバーのプロジェクトが紹介されている。
[いまむら そうへい・建築家]