音の路上観察へむけて
都市に満ちるさまざまな音は、遊歩者の意識と無意識の狭間に入り込み、ときにその知覚や思考をかき乱す、しばしば不愉快でどこか魅力的な存在である★1。
こうした音を観察する際に有効な概念として、1960年代後半、カナダの作曲家R・マリー・シェーファーによって提唱された「サウンドスケープ」概念がある[BG.05・1977]。まずこの概念への理解を深めておこう。
シェーファーが当初示したのは、「拡大された作品」としてのサウンドスケープ概念である。ここでサウンドスケープは、「鳴り響く森羅万象に耳を開く」という啓発的な発想にもとづき、地球規模の「作品」として美的にとらえられている。しかしその後、WSPのバンクーバーを中心とするカナダでの調査活動のなかで、サウンドスケープ概念は、審美の対象としてだけでなく、解析すべき「調査のフィールド」としての定義を与えられる。そして、WSPの活動がヨーロッパへと移った際、さらに概念の転換がなされる。それは、サウンドスケープとは単に外部者がモノとして記述するような客観的な存在なのではなく、それを聴く人や社会が音に意味を与えることによって成立している、というとらえ方である。鳥越はこれを音と人(あるいは社会)との「相互作用の場」としてのサウンドスケープと名づけている。
これらは定義の歴史的な深化を示すものでもあるが、以下のようなかたちで、サウンドスケープが有する複数のモードとしてもとらえることができる★3。
モード1:審美の対象としてのサウンドスケープ
モード2:記述の客体としてのサウンドスケープ
モード3:意味的な解釈物としてのサウンドスケープ
前述のシェーファーやWSPの活動は、こうしたサウンドスケープ概念のモードの発見をうながしてきたと言える。特にモード2とモード3の発見された文脈の違いは興味深い。当初のフィールドであるバンクーバーは、欧州人の手による近代的な港町であった。この「新しい」都市においてWSPは、音をモノ的な側面からいかに記述するかという観点から、ある種の実験を試みた。しかし、前近代からの連続性を有するヨーロッパの村々において、WSPは、そこに住み続けてきた人々にとっての音の意味を問わざるをえなくなってきたのである。
これらの複数のモードを含み込むことで、サウンドスケープ研究やデザイン活動は、今日までさまざまな展開を見せている。とりわけ日本の研究者はモード3を発展させ、音の持つ文化的・歴史的意味の探究を強く進めてきた。
そのもっとも初期のものとして、鳥越らにより80年代中盤に実施された神田サウンドスケープがある[BG.06・1996]。この調査では、人々の記憶も含めたかたちで、歴史的構成物としてのサウンドスケープが明らかにされている。特に、ニコライ堂の鐘の音をめぐる「多様な耳」の存在の指摘は、聴く者の意味解釈によって成立するモード3的なサウンドスケープのあり様を魅力的に示している。
その他にも、中川真による京都研究[BG.07・1992]、平松幸三によるライフヒストリー研究など[BG.08・2001]、モード3の深化を垣間見せるさまざまな成果が報告されてきた。
第1に方法論的な困難である。モード3は、観察行為を通じて存立する主体/客体の関係を素直に認めない。意味への問いは、当事者にとっての意味と観察者にとっての意味という認識の2重化への処理を観察者に強いてくる。それは、真正な意味解釈は何か、真の当事者は誰かといった問いへの(無限)遡及を惹起することとなり、観察や記述への無邪気な没頭を妨げてしまう。
第2に、モード3は、審美的判断と社会的公正に関する判断とを、文化性や歴史性の次元に溶融させる。これはモード3の売りでもあるが、欠点でもある。ここで得られた知見は、ともすれば美学的考察としても公共政策論的考察としても不十分に終わる恐れがある。そもそも美的判断基準は、公共的な政策判断を支える知見足り得るだろうか。また社会的公正に照らした判断は、人々の審美的な欲望を満たす必要があるのだろうか。この美と正との緊張関係は、容易には解決できない問題である。だとすれば、むしろこの緊張関係を維持しながら、双方を豊かに展開しうる領野を確保することが必要になるのではないだろうか。
ここで着目したいのは、モード3に特徴的な共同体論や文化(の政治)論を「禁欲」し、音の形態学ないしは考現学的な観察と記述に徹するモード2の展開力である。意味や公正を早あがりに論じるのではなく、音の観察と記述にしばし没頭すること★4。本稿ではこれを、都市における音の路上観察のひとつのあり方として、改めて提起したい★5。
ひとつは通常、文化的に意義のあるサウンドスケープとはみなされない音を観察しようという方向である。シェーファーらが讃えた美しい自然の音や、伝統的な文化と関わる音ではなく、騒音や雑音と呼ばれる音や、意識的に聞かれることのない音を聞いてみよう。路上には、大きすぎるため、もしくは「汚い」ために日常的な意識から排除されている音や、時間の経過のなかで他の音に埋もれ、聞こえなくなった音が鳴っている。美しさや快適さ、文化的意義という基準では観察、記述の対象に選ばれてこなかった音である。路上観察では意図的にこのような、都市のなかで鳴っている非日常的な音に耳を傾ける。
そうした音の一部は防音壁によって囲われるか、都市の外縁に置かれ、生活から物理的に遠ざけられている。また、音として判断されない音もある。例えば、近年裏通りなどで「キーン」という耳の痛くなる音が聞こえることがある。その多くはネズミ除けのための超音波だろう。通常は意図的に聞かれることのない特異な音だが、都市のなかで音や聴覚がどのように働いているかを考えてみるときには、興味深いサンプルかもしれない★6。
例えば、路上には多くの固定されたスピーカーや発信器があり、そのいくつかは常時、いくつかは定期的に音を出し続けている。例えば、信号機の音響装置や防災無線スピーカーは街中に無数に置かれている。駅のホームでは視覚障害者を誘導するために鳥の声を模した音が鳴っている★7。とはいえ、日常のなかでこれらの装置の位置はほとんど意識されない。
空間的な拡がりが明確に聞き取れる音ほど、音と場所を強く結びつけて記述することができる。そこで、この点も記述すべき音を選択するための重要な基準になる。大きな音や連続する音ほど空間的な拡がりが感じられ、周囲の環境と複雑に絡み合っていることがわかる。反響や残響、方向のはっきりした音や、部分的に遮蔽されている音、回折している音などにも同じことが言えるだろう。
以上の方向を考慮しながら、本特集の各論では二つの音を観察、記述している。ひとつは羽田空港近くの飛行機の発着音。もうひとつは街頭宣伝放送である。また、サウンドスケープについてのブックガイドを作成した。論考中の[BG.××]はガイドナンバーに対応している。
こうした音を観察する際に有効な概念として、1960年代後半、カナダの作曲家R・マリー・シェーファーによって提唱された「サウンドスケープ」概念がある[BG.05・1977]。まずこの概念への理解を深めておこう。
サウンドスケープの3つのモード
鳥越けい子によれば、サウンドスケープ概念は、シェーファーが70年代に組織した世界サウンドスケーププロジェクト(以下「WSP」)の活動において、2回の変化を遂げてきた★2。シェーファーが当初示したのは、「拡大された作品」としてのサウンドスケープ概念である。ここでサウンドスケープは、「鳴り響く森羅万象に耳を開く」という啓発的な発想にもとづき、地球規模の「作品」として美的にとらえられている。しかしその後、WSPのバンクーバーを中心とするカナダでの調査活動のなかで、サウンドスケープ概念は、審美の対象としてだけでなく、解析すべき「調査のフィールド」としての定義を与えられる。そして、WSPの活動がヨーロッパへと移った際、さらに概念の転換がなされる。それは、サウンドスケープとは単に外部者がモノとして記述するような客観的な存在なのではなく、それを聴く人や社会が音に意味を与えることによって成立している、というとらえ方である。鳥越はこれを音と人(あるいは社会)との「相互作用の場」としてのサウンドスケープと名づけている。
これらは定義の歴史的な深化を示すものでもあるが、以下のようなかたちで、サウンドスケープが有する複数のモードとしてもとらえることができる★3。
モード1:審美の対象としてのサウンドスケープ
モード2:記述の客体としてのサウンドスケープ
モード3:意味的な解釈物としてのサウンドスケープ
前述のシェーファーやWSPの活動は、こうしたサウンドスケープ概念のモードの発見をうながしてきたと言える。特にモード2とモード3の発見された文脈の違いは興味深い。当初のフィールドであるバンクーバーは、欧州人の手による近代的な港町であった。この「新しい」都市においてWSPは、音をモノ的な側面からいかに記述するかという観点から、ある種の実験を試みた。しかし、前近代からの連続性を有するヨーロッパの村々において、WSPは、そこに住み続けてきた人々にとっての音の意味を問わざるをえなくなってきたのである。
これらの複数のモードを含み込むことで、サウンドスケープ研究やデザイン活動は、今日までさまざまな展開を見せている。とりわけ日本の研究者はモード3を発展させ、音の持つ文化的・歴史的意味の探究を強く進めてきた。
そのもっとも初期のものとして、鳥越らにより80年代中盤に実施された神田サウンドスケープがある[BG.06・1996]。この調査では、人々の記憶も含めたかたちで、歴史的構成物としてのサウンドスケープが明らかにされている。特に、ニコライ堂の鐘の音をめぐる「多様な耳」の存在の指摘は、聴く者の意味解釈によって成立するモード3的なサウンドスケープのあり様を魅力的に示している。
その他にも、中川真による京都研究[BG.07・1992]、平松幸三によるライフヒストリー研究など[BG.08・2001]、モード3の深化を垣間見せるさまざまな成果が報告されてきた。
モード3の禁欲──モード2へ
しかし現代の都市を観察し記述するという課題に照らしたとき、モード3に軸足をおいた探究は、その重要性の半面、いくつかの困難も抱えている。第1に方法論的な困難である。モード3は、観察行為を通じて存立する主体/客体の関係を素直に認めない。意味への問いは、当事者にとっての意味と観察者にとっての意味という認識の2重化への処理を観察者に強いてくる。それは、真正な意味解釈は何か、真の当事者は誰かといった問いへの(無限)遡及を惹起することとなり、観察や記述への無邪気な没頭を妨げてしまう。
第2に、モード3は、審美的判断と社会的公正に関する判断とを、文化性や歴史性の次元に溶融させる。これはモード3の売りでもあるが、欠点でもある。ここで得られた知見は、ともすれば美学的考察としても公共政策論的考察としても不十分に終わる恐れがある。そもそも美的判断基準は、公共的な政策判断を支える知見足り得るだろうか。また社会的公正に照らした判断は、人々の審美的な欲望を満たす必要があるのだろうか。この美と正との緊張関係は、容易には解決できない問題である。だとすれば、むしろこの緊張関係を維持しながら、双方を豊かに展開しうる領野を確保することが必要になるのではないだろうか。
ここで着目したいのは、モード3に特徴的な共同体論や文化(の政治)論を「禁欲」し、音の形態学ないしは考現学的な観察と記述に徹するモード2の展開力である。意味や公正を早あがりに論じるのではなく、音の観察と記述にしばし没頭すること★4。本稿ではこれを、都市における音の路上観察のひとつのあり方として、改めて提起したい★5。
- 調査中のWSPスタッフ
引用出典=Murray Shafer(ed.), the Vancouver Soundscape, World Soundscape Project, Sonic Research Studio, Dept. of Communication, Simon Fraser University, 1978.
路上観察の焦点1──意識されない音を観察する
本特集の「路上観察」という言葉は、実際にどのような音を観察し、記述するのかを選択するために、主に二つの方向性を示している。ひとつは通常、文化的に意義のあるサウンドスケープとはみなされない音を観察しようという方向である。シェーファーらが讃えた美しい自然の音や、伝統的な文化と関わる音ではなく、騒音や雑音と呼ばれる音や、意識的に聞かれることのない音を聞いてみよう。路上には、大きすぎるため、もしくは「汚い」ために日常的な意識から排除されている音や、時間の経過のなかで他の音に埋もれ、聞こえなくなった音が鳴っている。美しさや快適さ、文化的意義という基準では観察、記述の対象に選ばれてこなかった音である。路上観察では意図的にこのような、都市のなかで鳴っている非日常的な音に耳を傾ける。
そうした音の一部は防音壁によって囲われるか、都市の外縁に置かれ、生活から物理的に遠ざけられている。また、音として判断されない音もある。例えば、近年裏通りなどで「キーン」という耳の痛くなる音が聞こえることがある。その多くはネズミ除けのための超音波だろう。通常は意図的に聞かれることのない特異な音だが、都市のなかで音や聴覚がどのように働いているかを考えてみるときには、興味深いサンプルかもしれない★6。
路上観察の焦点2──音を場所に位置づけて記述する
路上観察という言葉が示すもうひとつの方向は、音を場所に位置づけて記述することである。一時的な音ではなく、常時鳴り続ける音、繰り返し反復され続ける音、場所と結びつき、その一部になっている音を描き出していこう。例えば、路上には多くの固定されたスピーカーや発信器があり、そのいくつかは常時、いくつかは定期的に音を出し続けている。例えば、信号機の音響装置や防災無線スピーカーは街中に無数に置かれている。駅のホームでは視覚障害者を誘導するために鳥の声を模した音が鳴っている★7。とはいえ、日常のなかでこれらの装置の位置はほとんど意識されない。
空間的な拡がりが明確に聞き取れる音ほど、音と場所を強く結びつけて記述することができる。そこで、この点も記述すべき音を選択するための重要な基準になる。大きな音や連続する音ほど空間的な拡がりが感じられ、周囲の環境と複雑に絡み合っていることがわかる。反響や残響、方向のはっきりした音や、部分的に遮蔽されている音、回折している音などにも同じことが言えるだろう。
以上の方向を考慮しながら、本特集の各論では二つの音を観察、記述している。ひとつは羽田空港近くの飛行機の発着音。もうひとつは街頭宣伝放送である。また、サウンドスケープについてのブックガイドを作成した。論考中の[BG.××]はガイドナンバーに対応している。
- 城南島海浜公園でのフィールドワーク風景(2009年)