仮設住宅に関する提案──いま何ができるか

山本理顕(建築家)
以下のテキストおよび提案は、東日本大震災に対する建築家・山本理顕氏と、横浜国立大学大学院都市建築スクール(Y- GSA:Yokohama Graduate School of Architecture)による仮設住宅の提案と、その前提となるディスカッションをまとめたものです。 山本理顕スタジオの了解のもとにテキストを若干編集し、仮設住宅の提案(pdf)を掲載させていただきます。
(10+1 web site 編集部)


仮設住宅に関する提案(クリックで全頁拡大表示)



今、何ができるのか。Y-GSAスタジオに集まって話し合ったことを私なりの解釈と共に簡潔に言う。

① 今の日本の統治システム・生活システムの全面改革
今回、最大被害を受けた東北三陸海岸からいわき市から九十九里あたりまでのちょうど真ん中に福島原発がある。この福島原発が東電の電力供給の心臓部である。原発は絶対安全だと言い張ってきたくせに東京から220㎞も離れた場所につくって、これほどの事故でも放射能の被害を受けない距離がしっかり保たれている。私たちはその福島原発から電力供給を受けてふんだんに電力を消費するような生活をしてきたわけである。こうした供給環境と消費環境との関係を変える必要がある。そのためには従来のインフラとそのインフラに支えられている生活施設という考え方そのものを変える必要があるはずなのである。インフラの整備は統治の根幹である。そして生活施設は私たちの日常生活の根幹である。それを変える。という最も原則的な問題が根底にある。

② 地域社会の復興
災害復興は単に住宅建築の復興ではない。壊されてしまった地域社会の復興である。津波で流されてしまった住宅には映像で見る限り、プレハブ住宅が多く含まれている。つまり多くの人は「1住宅=1家族」を自分たちの責任で完成させて自分たちで家族を守って、それを中心に生活してきたのである。自分たちで誰の援助も受けずに生活してきた人たちが最大の被害者になったのである。国家の原発に対する資金援助は莫大である。それに対してこうした生活者に対してどれだけのことをしてきたのか。ほとんど何もしてこなかったに等しい。こんな大災害に「1住宅=1家族」は全く無力である。今の行政システムが無力なのである。
復興計画は「地域社会」をつくることだと思う。かつてここにあった地域社会よりももっと強くて、もっと自由な地域社会である。それをつくる。その計画こそ私たち建築家の役割である。

③ 仮設住宅
仮設住宅といっても、これから3年4年、その仮設住宅に住まなくてはならない。もはや単なる仮住まいではない。単に「仮設住宅群」をつくるのではなくて、生活のための「街」をつくる。「地域社会圏」をつくる。今までY-GSA生と話をしてきたことを実現するようにつくる。
• 住宅は向かい合うように配置する。
• 玄関は透明ガラスにする。
• 誰でもお店を開けるようにする。(うどん屋さん、修理屋さん、電気屋さん、喫茶店、居酒屋等々)これは透明な玄関と関係する。
• 小さな公共施設(高齢者、子供、障碍者のための施設)とコンビニを一体化させる。ボランティア事務所を兼ねる。
• エネルギー源を同時につくる。コジェネ、ソーラーエネルギー、バイオガス、小さな水力、風力発電。その熱源を使った銭湯。ランドリー。
• 「地域社会圏」の中の電動軽車両、今、日産自動車、慶應大学の山中俊治さんと一緒に考えているようなものだけど、ものや人を運べるようなアシスト付き(アシスト付きじゃなくてもいい)三輪自転車がいいと思う。
もっと他にもいろいろアイデアはあると思うけど、単に仮設住宅群ではない、生活のための場所だということが重要である。

④ 私たち自身の生活習慣
隣の人と挨拶するような生活が日常の中にあるからこそ、彼らはこれほどの災害のあとをなんとかしのいでいるように見える。国家は手をこまねいている。これほどの非常事態にあって、国民に語りかける言葉をメモを見ながらじゃないとしゃべれない、そういう日本の指導者の姿が今の国家行政を象徴している。培ってきた地域社会の力がそれを救っているのである。
私たち自身の日常を変える。遠くのインフラでつくられたエネルギーを浪費するような日常の生活を見直す。
http://www.y-gsa.jp/studio/yamamoto/も参照。

● 体育館のプライバシー
体育館で仮住まいをしている人たちに対する支援策もいろいろ提案されているけど、注意したいのは、例えば単にカーテンなどで仕切って、個人のスペースや家族のためのスペースをつくるという方法は必ずしもプライバシーの確保につながらないということ。
プライバシーは個室ではない。あるいは家族のための部屋ではない。
私たちは個人がプライバシーの単位、あるいは「1住宅=1家族」をプライバシーの単位だと徹底的にすり込まれてしまっているから、プライバシーというとどうしてもその刷り込みが働いてしまう。
その刷り込みを払拭して、相互扶助を前提とするような共同居住を前提にする。

個人、家族単位ではなくて以下のように仕分けをする。

1──男ゾーンと女ゾーン
男ゾーンと女ゾーンをつくる。それぞれのゾーンは着替えをする場所であり、簡単な身繕いをする場所である。できればそれぞれに水場がほしい。体を拭くことのできるような設備である。お風呂があるといいんだけど、設備が重装備になってしまうから、どこまでできるか。男ゾーンはともかく女ゾーンだけはつくりたい。

2──幼児の世話ができるゾーン
おしめを替えたりおしりを洗ったり、離乳食をつくったりミルクを飲ませたり。あやしたり。

3──暗いゾーンと明るいゾーン
24時間暗いゾーンをつくる。24時間明るいゾーンをつくる。そこに行けばいつでも仮眠ができる。そこに行けば夜中でも誰かと話しをすることができる。

4──高齢者・要介護者ゾーン
寝たきりになってしまっている人、介護の必要な人。ちょっと時間があればそこに行って誰でも介護の手助けができる。みんながほんの少しの介護をするだけで、介護の負担を軽減することができる。

5──食事ゾーン
誰かと一緒に食事をする。誰かのために暖かい食事をつくる。

なんだかファランステールのようになってきたけど、ファランステール的共同居住はそうか、こういう緊急避難的住まい方には極めて適切だったんだなあと思う。相互に助け合う住まい方である。


[2011年3月24日、横浜国立大学大学院建築都市スクール]

201108

連載 Think about the Great East Japan Earthquake

移動と流動のすまい論(牧紀男『災害の住宅誌』書評)震災報告。仙台から移動と定着のメカニズム──災害の歴史から学ぶこと仮設住宅に関する提案──いま何ができるか
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る