アーカイブとしての建築空間
──《伊東豊雄建築ミュージアム》

植田実(住まいの図書館出版局編集長・東京芸術大学美術学部建築科講師)

ミュージアムという建築類型の直截な立ち上がり

今治市《伊東豊雄建築ミュージアム》が、2011年7月30日にオープンした。その前日の内覧会に行ってきた。
瀬戸内海の大三島、その西突端に位置する。東京からだと新幹線で福山まで行き、駅前で待っていてくれたバスに乗れば、尾道を経て向島、因島、生口島、そして大三島に至る1時間ほどの行程。しまなみ街道と呼ばれている。四国側から、つまり愛媛県今治市からは大島、伯方島を経て大三島に至る市圏である。



《伊東豊雄建築ミュージアム》遠景



島々を結ぶ吊り橋の架構は高々と誇らしげで、次々にみえてくる港湾の産業施設にはくっきりとした風景の響きがあり、だがこうした人工物を平然と許容しながら、眼前からはるか遠くの水平線まで抜けてゆく、海と島の連らなりの圧倒的な奥行きの深さを背景とした丘陵のみかん畑のなかに、ミュージアムの棟が待っていた。
東京の中野本町にあった伊東自邸を再現した「シルバーハット/アーカイブ・ワークショップ棟」と、新たに設計された「スティールハット/展示棟」である。この2棟が丘陵地の高みから同時に見下ろせる。事情を知らないと農業関係の施設かと見るかもしれない。ミュージアムとは思いもよらない佇まいがじつにいい。不思議な姿である。
話は5年ほど前から始まったらしい。元実業家の方がこの島に個人の美術館を7年前につくられた後、その隣にアネックス棟を加えたいということで伊東に設計依頼があったが、大三島町が今治市に吸収合併される動きのなかでプロジェクトが一時中断する合い間に、建て主と建築家とのあいだではミュージアムというものの理想を話し合う流れは続いていたのだろう。突然、建て主側からアネックス計画を転換して《伊東豊雄建築ミュージアム》とし、しかも今治市営とすることで地域の活動にも結びつける構想が提示された。そして実現に至った。
海と島とみかん畑のなかに建つ2棟の、ほかのどこにもないミュージアムは、もちろんこの恵まれた土地によるものでもあるだろうが、それ以上に、東京などではまずありえない、人の力の働きに由来している。そこには中央と地方といった構図さえ消失して、ただ単純に、建築家の理想に耳を傾けることのできる人がいた。そしてミュージアムという、現在では形骸化しかねない建築類型の内実がもっとも直截に立ち上がった。

アーカイブとしての建築空間

このプロジェクトでさらに驚くべきは、すでに現代建築史に重要な位置を占めている《シルバーハット》(1984年)をここに持ってきてしまうという伊東の発想である。当の設計者・住まい手以外にはだれも思いつきようはないし、決断もできなかっただろう。またこれがなかったら、ミュージアムがかくも強いインパクトを帯びることはなかっただろう。
そのいきさつを伊東はあっさりと説明している。近年亡くなられた夫人がその前から病いに伏されて以来、彼はマンション暮らしになっていたために《シルバーハット》は空き家のままだった。国内外の見学希望者に対応できる状態ではない。ならばいっそ「半公共的な空間として公開した方が良いかもしれないと思えてきた」と。
そのままに受けとめれば納得できる理由ともいえる。また「半公共的な空間」もこの住宅には初めから内包されていた。
たとえば早稲田大学の建築科で設計実習の授業を伊東と受け持っていたとき、ここを使わせてもらうことがあった。学生たちが、自分の設計した住宅の模型を持ち寄ってコートに展示し、講評を受けたのだが、コートだけで十分の広さ、しかも大学の教室よりずっと教室らしいスペースだったのである。だから伊東の言う「活動主体のミュージアム」のイメージにも合い、ワークショップ棟に転用されるのは必然とさえいえるのかもしれない。だが日本の戦後における住宅設計の、とりわけそれが建築家の自邸における意味を考えたとき、このような発想はほとんどなかったことに気がつく。慣習的な住宅に逆らうかたちで未知の住宅をつくってきた建築家にとっても、そのリアリティの保証はそこに住むことの持続だったわけだから。
《シルバーハット》は、軽やかさや仮設性さえもこえて、建築らしさの縛めから可能な限り自由であることを計画したその頂点にある作品だが、それを移築してしまうまで伊東が自由であるとは考えもしなかった。今回私はまったく新らたな建築家像を感知した。それが最大の出来事であった。

シルバーハット/アーカイブ・ワークショップ棟



移築された《シルバーハット》は「アーカイブ棟」ともなっている。アーカイブの収蔵棟とも建物自体がアーカイブとも受け取れるが、実際には中野本町にあったコンクリートの列柱はもとより、鉄骨の屋根もその部品も、そして建具も解体されて新らしい場所に移築再現されたのではない。元の建物は取り壊された。だから、モノそのもののアーカイブではない。生きて使われてきた建築と対比すればあきらかに下位の、物的記録としてのアーカイブは、伊東にはそもそも似つかわしくない。という建築家にたいする見方は、そのままこのミュージアムにたいする意識を構成する。
大三島の 《シルバーハット》は、だから再現新築であるが、中野本町の《シルバーハット》の構成要素を何ひとつ欠くことなくそっくり復元したものでもない。大小七つのヴォールト架構や間取りは同じであるといっていいが、屋根仕上げやトップライト、また部屋の間仕切りやファサードのつくりに簡略化が見られる。ワークショップ活動に使いやすくアレンジしたといえるのだろうが、それ以上に、もとの住まいの記憶を、建築そのものをぎりぎりの線まで消すことで逆に浮上させ定着させようとしている。だから簡略化ではなく言語化とでもいえばよいのか。中野本町ではどの家とも同じように当然住まわれていることの現実が圧倒的だったから、どれほど革新的な建築であろうとそれへの私たちの理解は常套的だったのではないか。
いまそれはみかん畑の中腹にある。その向こうの海と島々の広がりは途方もない。上の道から海明かりの空の下で輝く七つのヴォールト屋根を見下ろしている。こういう視角は中野本町にはなかったからそのコンパクトなまとまりにあらためて驚かされる。しかしゆるやかにカーブする坂道を下って当の建物のなかに入ると、懐かしいおおらかなスケールが戻ってくる。コートの外を180度取り囲む海にも萎縮していない。むしろこれまで潜んでいた新しいスケールが発生している。見えなかった初めての「住まい」のかたちでもある。ここにやってくる子どもたちは中野本町のそれと比べる必要もないだろう。彼等は建築の、住まいの基本を学ぶだろう。その意味でのアーカイブ棟だと思った。
開館した現時点では、かつてのリビング、ダイニング、和室、書斎がコートと一体化してワークショップスペースとされている。キッチンは図書閲覧スペースに、個室は家具展示室や収蔵庫に、一応はそれぞれ新しい用途が振り分けられているが、全体があまりにも開かれているために使われ方はまだ流動的であるようだ。このミュージアムは時とともに自然生成した形が見えてくるにちがいない。時間はたっぷりある。

刻々と動くアーカイブの様相

そのすぐ横に「スティールハット/展示棟」が、立地は前者より小高く突出したところで、建物自体も突出した形で海を見渡している。「4種の多面体が、結晶のごとく連結した構成で、一辺3mの正三角形と正方形面」からなり、「鉄骨フレームによるブレース構造で、外装仕上げを兼ねる6㎜の鋼板とフレーム材が溶接で一体化」されている。あるいは「切頂多面体」とも説明されているが、ようするに、外観は黒々と閉じた複雑なマッスである。
だから思い切りオープンな《シルバーハット》との対比効果が考えられている、とも簡単には思えない(デビュー作の《アルミの家》をここに置いたら、より対比的に見えるかもしれない)。もっと異質な何か、という印象が強い。少なくともこれまでに実現された伊東の建築でこれに類するものを知らない。

スティールハット/展示棟 外観



思うのは、伊東邸とそこに隣接していた《中野本町の家(White U)》(1976年)が、2棟で一体のように見せながら建築そのものを外している、つまり地下室とペントハウスだけがあって本体であるべき部屋が見えないような構成になっていたわけだが、その外された部分、見えなかった部分をあえて形にするとしたら、「スティールハット」のいささか不可解な現われかたになるのではないか、だとしたらこのミュージアムはたんに一住宅の移築転用棟と新らたな設計による棟とを足したものではなく、伊東の建築的ヴィジョンの大きな領域をすくいとるかたちでできている。そういうアーカイブなのかもしれない。
興味深いのは「シルバー」と「スティール」の建築面積がほぼ同じであることだ。このワークショップに参加する子どもたちは、同じ建築面積でこれほどに違う形態・空間になることを知って驚くにちがいない。それこそが建築の基本、すなわちシステムであることを学ぶ手がかりにもなるだろう。
「スティールハット」はエントランスホール、3展示室、休憩のためのサロン、屋上テラスからなる。不整形であるためにか、個々の部屋がはっきり区切られているという感じがしない。閉じているが連続している。そんな三つの展示室の壁・天井にはパノラマのように多島海がつくられ、それぞれの島には伊東の手がけてきた建築が載せられている。その模型の縮尺率がそれぞれ違っているのでまた思いがけない興味がわいてくる。最後の展示室から階段を伝って降りる高い天井のサロンは半ば屋外の気分だ。けっして閉じた建物ではないのだ。こうして建築の、建築のシステムの驚異に触れた子どもたちが図書閲覧スペース(伊東の約90件のプロジェクト図面のアーカイブがある)にこもって実施図面集などを読みふけるようになったら凄い。その日は確実にくるだろう。

スティールハット/展示棟 内観



ほかに例のないこのミュージアム計画に連鎖反応をおこしたかのように、やはり伊東の手がけた今治市《岩田健母と子のミュージアム》がすぐ近くに8月20日オープンした。埼玉県川口市の彫刻家岩田のじつに愛らしく毅然とした作品群が見られる屋外展示室だが、それは《中野本町の家(White U)》の虚としての中庭を思い出さずにはおれない。しかし一変して親しみやすいポジ空間になっている。ひとつの空間が多様な表れを秘めている建築の力をそこでも知ることになるだろう。今治市《伊東豊雄建築ミュージアム》のアーカイブとしての様相は、まだ刻々と動きつつある。


写真撮影=畠山直哉
協力=伊東豊雄建築設計事務所


参考と引用
『新たなる船出』(今治市伊東豊雄建築ミュージアム、2011年)
『伊東豊雄─2010』( エーディーエー・エディタ・トーキョー、2010年)

うえだ・まこと
1935年生まれ。『都市住宅』、『GA HOUSES』編集長などを歴任。2003年度日本建築学会文化賞受賞。著書『都市住宅クロニクル I ・II』『集合住宅物語』『真夜中の庭――物語にひそむ建築』『住まいの手帖』(共にみすず書房)、『植田実の編集現場――建築を伝えるということ』(花田佳明との共著、ラトルズ)他多数。現在、住まいの図書館出版局編集長・東京芸術大学美術学部建築科講師。


201109

特集 建築アーカイブ/建築ミュージアム


より良き建築文化の土壌を築くために ──建築アーカイブから見えてくるもの
アーカイブとしての建築空間 ──《伊東豊雄建築ミュージアム》
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る