東京で一番住みたい街、吉祥寺──街の魅力とジェントリフィケーションをめぐって

新雅史(社会学者)×笠置秀紀(建築家、都市研究)

ジェントリフィケーションと街の清潔さや安全性

新──開発や商業の論理などによる歴史的な変遷があり、徐々に吉祥寺でなくてもいい街になってきた──、かつての吉祥寺を知っている人は、どこかに寂しさを感じているのだと思いますが、それが何であるかを言い当てるのが難しく、ある種のノスタルジーを帯びてしまうのが厳しいところです。整備や再開発は、ジェントリフィケーションと評されることが多いわけですが、細かく見るとなかなか反論できない点もある。たとえば、再開発されて歩道がベビーカー2台通せるような設計になっていたり、井の頭公園が舗装されて雨の日でも車いすに乗っている障がい者や高齢者が楽しめるつくりになっている。危険性がない、誰もが楽しめる街である──。それが吉祥寺のランキングを上げている要因なのかもしれません。

笠置──確かにそのようにポジティブに捉えられるとも思いますが、「危なくない」という要素は都市の中で厄介だと思いますね。都市を作る論理がリスクに対して比重が高すぎるように思えます。例えば建築や店舗の建材にまで及んでいて、デベロッパーのテナントに入ると安全性や経済性から画一化されて行きます。不燃性や施工の失敗を極限まで減らせる建材です。まさに郊外の風景を作りだしているのもそのような建材です。それに対して西荻窪では個人事業主のDIYが独特の個性を醸し出しています。安い素材ですが、試行錯誤のプロセスが見えてくる。「はらドーナッツ」などの店舗も巧妙にそのようなDIY感を取り入れています。
「はらドーナッツ」は関西を本拠地にする店で、全国に店舗展開をしていますが、吉祥寺には力を入れていて最大4店舗ありました。2010年に最大7店舗あったスターバックスを連想してしまいます。吉祥寺に来た人は、公園でくつろいで「はらドーナッツ」へ行くことでオーセンティシティを享受しているわけですが、それは作られた「オーセンティシティ」のように見えてしまうのです。

はらドーナツ

新──シャロン・ズーキンが『都市はなぜ魂を失ったか』(講談社)でのキー概念として「オーセンティシティ」ですが、多様な解釈ができる概念ですね。よく言えば間口が広いのですが、共通了解が取りづらい概念なので、その概念を用いて有意義な議論をすることが難しいように感じています。だからといって、「オーセンティシティ」という概念に可能性がないとは思いません。そのためにも、議論できるだけの概念にまで定義を含めてたたき上げることが必要だと思っています。それはさておき、よくある議論として、大手資本の進出によって商業面積が急増することで零細小売店が苦境に立たされる、あるいはフランチャイズ化・チェーン化によって零細小売店が大手小売資本の息がかかった状態になることがありますが、吉祥寺では、そうした問題はあまり聞きません。零細の個人商店にもそれなりにお客さんが入っていてうまくいっている。ここからは想像ですが、吉祥寺をかつてから知っている人には、そうした「問題のなさ」が余計にフラストレーションを募らせている要因であるように思います。生活に必要なものは売っている、来街者も多い、お金も回っている。だが「何かが失われている」という感覚があり、それをうまく言葉で説明できない。そのフラストレーションと「オーセンティシティ」がどう関係しているのかは今後の課題ですね。

笠置──人は多くなっているのに、売上は伸びてないようですよ。

新──けれど、落ちてないとも言えますよね。

────栗本慎一郎の『光の都市 闇の都市』(青土社、1981年)に喩えると、かつての吉祥寺の「近鉄裏」は悪所でした。しかし現在は非常に猥雑さのない健康的な街だという印象があります。「アメ横」周辺のようにホームレスも見かけない。それはジェントリフィケーションの結果として排除されたからなんですか? それが魅力がある街ということなのでしょうか。

新──いまの吉祥寺が魅力のある街なのか、それはあまりに大きなテーマですのでいったん回避したうえで、まずは都市の猥雑さについて論じましょう。かつての都市──たとえば吉祥寺──が猥雑なものを抱えていた、それはおっしゃるとおりだと思います。「近鉄裏」という言葉がいみじくも表しているように、旧近鉄百貨店が物理的な壁となって、「あちら側」が遮られていた。建造物という物理的な壁が、「性の商品化」の壁と連動していた。吉祥寺の男たちにとって、近鉄百貨店という「壁」を越えることが、大人の男になるための通過儀礼だったのかもしれません。いま、吉祥寺には、そうした壁がない。今日「近鉄裏」を歩きましたが、以前ヘルスと覚しき店に「休業のお知らせ」とデリヘルの貼り紙が貼っていました。そしてそのエリアを日曜日の昼間に若い男女があっけらかんと手をつないで歩いている。その姿を見て、以前であればこの界隈を歩くことへのわずかばかりの罪悪感がなくなったように感じました。
とはいえ吉祥寺から性がなくなったわけではありません。「吉祥寺 デリヘル」あるいは「吉祥寺 回春」とインターネットで検索すれば、多くのサイトがヒットします。吉祥寺で性にアクセスすることは依然として可能ですし、より容易になったといえます。「近鉄裏」の雑居ビルの1階にリアル風俗店がなくなったものの、おそらく、そのエリアの雑居ビルの2階・3階にはデリヘルの事務所や女性たちの待合所が置かれているはずです。男たちはインターネットで電話番号を調べ、男性と女性はラブホテルで落ち合っているのです。かつては、都市と性のつながりは「壁」で仕切られていた。そして、その「壁」の存在こそが、あちら側に何があるかという欲望を駆り立てさせた。しかし、その「壁」が崩れてしまい、性への欲望は街の構造と結びつかなくなっている。以上の変化は、80年代に山口昌男が論じた枠組みを用いるならば、次のように指摘することができるかもしれません。「中心」のすぐそばには「周縁」があった。だが「周縁」が隠蔽化されることは、「中心」の意味を失わせるではないか、と。ただ、その「周縁」を性や暴力だけに閉じる必要はないかもしれません。たとえば、吉祥寺にはスケートボードの文化があり、吉祥寺サンロード商店街にある段差を用いてボーディングしていたりします。もちろん彼らが商店街の人々と交わることはありませんが、独特の人間関係と経済圏をつくりあげ、「中道通り商店会」でボードのショップを出していたりします。ただ、ニューヨークなどと比べると、猥雑さが生む文化が街を活性化させるという回路が決定的に弱い。たとえば、ブルックリン発のインディーズ音楽が世界的なムーブメントになったり、デトロイトのストリートからエミネムやジャック・ホワイトというアイコンが登場したり、あるいはボーダーであれば一度はサンフランシスコで乗ってみたいというような、都市の「底辺文化」がメディア資本とむすびつき、それがブーメランのように都市の真正性を創出するという回路が見えない。おそらく日本では中央線がそうした回路をひらく可能性がもっとも高いエリアであると思いますが、なにか「閉じた」状態にある。ただ、そこには、わたしたち自身の都市に対する見方が問われているように思います。わたしたちはいまの「周縁」が見えていないだけかもしれません。

笠置──確かに分かりやすい「周縁」は姿を消しました。近鉄裏だけではなく、駅前で20年以上ゴーストビルだったターミナルエコーは都市伝説の宝庫でした。ハモニカ横丁でさえかつては古臭くて近寄りがたいバラックの街区というイメージがありました。現在の吉祥寺は透明で健康的です。かつてあったアニメ文化に関して、それが不健康というわけではないのですが、なぜ制作会社が吉祥寺にできていったかと言うと、一つは大泉学園の撮影所などからフィルムやカメラの機材を取り寄せるのに近くて都合が良かったのだそうです(「吉祥寺人岡田斗司夫インタビュー」吉祥寺Webマガジン[http://www.kichijoji.ne.jp/person/okada/fram3.html])。もう一つは制作をしていると外食ばかりになるので、毎日飽きないことが重要でした。色んな飲食店がある吉祥寺が最適だったのです。また、徹夜で仕事をして、朝ぶらぶらして家に帰るというようなライフスタイルが許容されるような場所でした。朝、出勤して夕方に帰ってくるという生活とは違う時間が流れていました。


新──都市の猥雑さと文化が結びつくのは極めて偶然の要素が強い。だから、当事者ではない者は、それらをやたらに排除しないという態度をとる以外にはないと思います。猥雑さとつながるかどうかはわかりませんが、都市の特徴は、個人事業主の多さとそれを支える起業家精神があるかどうかであると考えています。郊外には両者とも欠けていることが普通です。吉祥寺には、個人事業主が地域に根づいていて、アントレプレナーたろうとする文化もある。個人事業主も起業家精神も計画で創り出すことは無理です。フランチャイズとしてお店を出すのと、個人事業主としてお店を出すのは全く違います。什器や建材の価格も自分で考えなくてはいけないし、すべて自分の責任です。吉祥寺が魅力ある街であるかどうか、それを考えるうえで1つのリトマス紙となるのは、今の吉祥寺は個人事業主が活躍できたり、起業家精神が活かせる街かどうか、というのがあるでしょう。ジェントリフィケーションは、いくつかの解釈が可能でしょうが、商業分野に関していうならば「フランチャイズ化」と言ってよいかと思います。1970~80年代には、フランチャイズに乗る個人事業主を募集して、その展開で収益を出せるようなフォーマットが考えられました。一番の典型はコンビニエンスストアです。20~30坪でいいし、リスクも計算し尽くされ、納入する商品も考えなくていい。起業家精神は不要で、形式上の個人事業主です。今、日本全国でも、個人事業主がチャレンジとしてお店を出せるような場所が少なくなってきていると思います。そのような現状の中で、吉祥寺がギリギリうまくいっているのは、先ほども言いましたが、二代目・三代目の人たちが、吉祥寺全体の魅力を更新する努力をしているからだと思います。大手資本も同時にあり、ある程度の収益を出すことができる零細小売店も、既得権益層としてであれ、残っている。そういった両方がサバイブできているという状況があるからこそ消費者にとって居心地のいい街なのでしょう。ただ、こうした幸福な状態で続くことは今後期待できないと思っています。既存商店の二代目・三代目の人たちが、商店街の古びた店舗をリノベーションして、吉祥寺の新陳代謝を高めている。しかし、それは吉祥寺の外の人間は街に関わることができない、ということでもあります。吉祥寺の最大の問題であるのが不動産価格の高さです。だから、ある程度資金があり、ネットワーク的にも力のある人でないと新規出店は不可能です。いま、西荻窪には面白いお店が非常に増えていますが、それは西荻窪が適正な不動産価格を提示できているからです。いま、起業家精神のある若者が出店しようと考えると吉祥寺ではなく西荻窪あたりを選ぶ可能性が高いです。こうした状況が続くならば吉祥寺の魅力は落ちていくでしょう。

笠置──個人事業主でも、成功して大きくなる良い例はあります。「ハモニカキッチン」や「VIC」を経営する手塚一郎さんは、地域で10店舗以上も雑貨店や飲食店を展開して吉祥寺のシーンを作っています。かつてジャズの街を印象づけた野口伊織も吉祥寺で20店舗近い店を経営していました。小さくて個性的な系列店が点在しながら街の印象を生み出しています。鉄道会社や百貨店が量塊でもって街を作る渋谷と対照的です。またチェーン店の点在とも違った印象です。
吉祥寺は店の入れ替わりが早く、新しいお店はできては潰れていて、定着しない。だからこそ、質が高いお店だけが残っているわけですが、その残り方が最大公約数的なものか、和やかな吉祥寺イメージの後追い的なお店が多くなってきました。地元の人は「デニーズ」などのフランチャイズのチェーン店も好きだし、コンビニもよく使っていますし、吉祥寺の外から来る人が行くような店はそれほど享受していないと思います。

新──確かに地元の人たちがフランチャイズで消費して、高級な個人のお店に外部の人が来るという構図はありますね。

笠置──吉祥寺は行政側もしっかりした公共投資をしていますし、大手企業の良い物も揃っていて、小さな商店もそこそこ食べられるというバランスが絶妙に揃っています。ただ、「住んでよかった街ランキング」では吉祥寺は1位ではないことが多いのです。三鷹や練馬といった意外な街が上位に来ています。そもそもそんなに住める人がいないし、住宅の量も多くありません。


201307

特集 都市的なものの変容──場所・街区・ジェントリフィケーション


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