オリンピックは時代遅れの東京都市計画を変える好機

蓑原敬(都市プランナー)

1. 1964年オリンピックとは何だったのか

1960年、日本は第二次世界大戦後の模索期を脱出し、自由主義陣営の一員として、近代的工業国に生まれ変わるための本格的なスタートラインに立った。基本的には農業国だった上に、戦争で壊滅的な被害を受けた日本を、所得倍増計画を策定し、臨海性の装置産業や造船業、内陸型の機械、電気製品の工業の開発によって近代的な工業国に転換させようとした。その時、東京はまだ、幹線道路すら狭く、地下鉄、空港、公園、下水道などが未整備で、木造バッラクにより埋め尽くされていた開発途上国の大都市で、東京ムラと蔑称されていた。
1964年のオリンピックは、東京都心を近代化に向けて大きく飛躍させるための跳躍台だった。オリンピック施設の配置は、東京都心改造を加速させるように決められたといっても過言ではない。羽田空港が整備され、東海道新幹線が開通しただけではない。首都高速道路の一部、青山通りや玉川通り、環状7号線などの主要道路の一部が拡幅、開通し、戦前から計画されていた地下鉄5路線の都心8キロ圏や、モノレールなどもオリンピックに合わせて開通している。そして、代々木公園のように国有地や米軍施設用地が公園に転換され、そこをオリンピック施設が一次利用した。ここで、東京中心部の姿は大きく変わった。
実は、ナチスによる「民族の祭典」としてのベルリン・オリンピックの後を受け、1936年には、1940年の第12回オリンピックの開催予定地が東京に決まっていた。先進国と肩を並べることを世界に印象付けるための機会だったが、日中戦争の激化の中で、東京は開催を返上している。敗戦後約20年、東京オリンピックはこのイベントを再起させたとも言えるが、戦後の緊縮財政の中で、お祭りには逆らえない日本人の心性を利して、国家投資の集中を可能にした、見事な東京改造の加速戦略だった。
忘れてならないのは、幻に終わった1940年東京オリンピックでも丁寧な施設計画案ができていて、1964年、実現した施設計画も、全体の配置において1940年計画を引き継いだ部分が大きい。特に、主競技場を神宮外苑につくる案は、明治神宮外苑の風致を著しく害するという理由で取りやめになり、駒沢練兵場に移された経緯がある。また、選手村を時代の先端を拓く実験住宅地にすべきだという提案もあった。

2. 2020年オリンピックの意味

以上の簡単な要約から見ても、1964年オリンピックを巡る状況は、現代とは全く違う。韓国や中国、トルコなどがオリンピックや万博誘致に熱心だったのは昔の日本と事情が似ているが、アメリカやイギリスなどの先進国が誘致に加わる動機付けは全く違う。国が最終的には登場するが、オリンピックを集客のための一大イベントとして、経済の活性化に役立てようとしているのだ。だから、膨大な公共資金を使って国威を発揚するなどという考えではなく、イベントの経済効果を考え、民間企業的な発想の下にイベント経営を考えている。
しかし、今の日本は、複雑な立場にいる。今や、誰が見ても先進成熟工業国になってしまった日本である。しかし、欧米とは違って、都市の生活環境は便利で効率的だが、相変わらず時代遅れの自動車優先の交通政策をとっている。都市の住居は貧しく、都市景観は無秩序で、乱雑なままだ。しかし、独自のきめ細かな文化、平穏な社会関係を維持している極めて安全な国である。グローバル経済の上で、枢要な一員であるが、国際的に見ると経済金融政策、移民政策においては閉鎖的である。そして、世界のどの国よりも、首都への一極集中が進んでいる集権国家である。しかも、東日本大震災の復興過程にあり、少子高齢化の中で東京以外の地方、首都圏の縁辺部すら、停滞と疲弊は顕著である。
この日本、この東京の現時点で、オリンピックが開かれることが決まったのだ。先進成熟国として、この機会を活用しない手は無い。しかし、どのような動機付けの下に、どのような戦略でオリンピックに臨むべきなのか。

3. 2020年オリンピックによる東京再生の戦略

当然、上に要約した今の日本と東京の状況に即応した戦略でなければならないはずだ。
(1)オリンピックにおける東京改造は、グローバルな戦略に立って、海外からの投資を呼び込み、海外からの観光客や移民を加速させるものでなければならない。国内投資に頼り、国内労働力に依存すれば、ただでさえ疲弊している東京以外の地域を置き去りにすることになる。その意味で、選手村の開発などについても、アジアの投資家を募って、開発を進めるべきだろう。さもなければ住宅投資バブルとそのハジケを招き、また、海外労働力を入れなければ、ただでさえ難渋している被災地の復興をさらに遅らせることになるだろう。
(2)1980年代初頭、東京湾臨海部開発の初期段階では、東京を世界都市として、ロンドン、ニューヨークと並んでアジアの第三の極とする志を持ち、そのような臨海部空間をつくる提案がなされていた。残念ながら、その後の経過で明らかなように、グローバル経済への開放体制にたいする抵抗勢力が強く、第三の極は、シンガポール、上海、ソウルなどにもっていかれている。
しかし、日本社会の安定性、東京の生活文化の魅力がもつ底力は大きく、もし、オリンピックを好機として、初心に戻ることに成功すれば、当初の夢は夢で無くなる。臨海部でこそ、特区制度を活用して思い切った規制緩和を図るべきだろう。周辺環境と隔絶した新しい巨大施設をデザインするとすれば、臨海部こそ適地である。この場合、時間的な制約もあることなので、国、都、区が一体となった統合的な事業組織をつくる必要があろう。(博覧会協会の公共組織版)
(3)世界的な社会文化のフラット化が進む中で、東京は、アジアの一極としてアジア人に親和する位置と環境を持っている。と同時に、近代化の過程で西欧文化を熱心に移入すると共に、近代化以前から高度に発達してきた、きめ細かな気遣い、もてなしの文化と伝統的な佇まいを随所に残し、成熟したハイブリッドな近代化路線を築いてきた。ひとつの都市とは思えないほど多様な地区で構成されていて、世界都市として差別化できる特色を備えている。今後のアジアの経済成長の中で、アジアの多くの中産階級、高所得階級を惹き寄せる魅力を持っている。
東京という大都市を平準化させないで、それぞれの地区特性を生かした多様な生活環境、都市空間のモザイクを維持発展させなければならない。銀座、浅草、新宿、渋谷、神楽坂、下北沢など、それぞれの地域特性を生かした再生事業を進めるべきだ。返上したオリンピックの時代ですら大事に育て守ろうとした明治神宮外苑の環境を激変させることなど都市計画の常識が疑われる。
(4)ロンドン、ニューヨークなどに比べて、演劇、音楽、美術の鑑賞などを観光目的とする客が圧倒的に少ない東京の現状を変えるために、例えば、銀座などで文化活動を支援し、文化施設を集中的に開発するべきである。歌舞伎座の再開発が例示しているように、木挽町地区などでは、優れた文化施設を誘導できる開発規制になっている。また、すでにヨーロッパなどでは注目されている、東京郊外の駅前商店街、郊外住宅地が持っている小津安二郎の映画風の魅力を維持し再生する努力は、高齢化社会にも即応する戦略である。
(5)開発途上段階を終えた先進成熟国では、少子高齢化が進行していて、今後のサステイナビリティ(持続性の保証)が都市再生上も最大の課題である。初期投資だけではなく、投資された土木、建築施設の維持管理過程に掛かる運営組織、維持管理費用を計算に入れた投資が必要なことは、すでにPFIの導入などによって日本でも実証済みである。巨大公共投資が発生する施設はPFIでやるべきではないか。
(6)すでに明らかになってきている地球環境の変動によって、臨海部では、台風、高潮などに大きな被害がでることが予測されている。臨海部開発では、定住人口をできるだけ増加させない政策をとるべきである。首都圏直下型地震、太平洋トラフ型の大震災にも備える必要がある。このため、選手村開発は、永住者ではない居住者を対象とするべきである。
(7)世界先進国に共通な都市政策になっているのは、低炭素化戦略であるが、それ以上に、人間生活環境として、自動車の利用を抑制し、歩いて暮らせる都市環境を作ること、生活環境に海辺を親和させ、緑地を増やしていくことだろう。東京は、その点では著しく立ち遅れている。これを劇的に改善する絶好の機会である。そのため、都心三区では、自動車の流入抑制、LRTの導入などを図るべきである。すでに臨海部からの通勤交通に対する公共交通の容量不足も問題になり始めているので、オリンピックまでに、臨海部から銀座などを経由して東京駅、新橋駅などへの鉄軌道、バスなどの公共交通によるアクセスの強化を図るべきである。

オリンピックまで後6年。東京が、近代化の上では成熟しているが、近代化によってフラット化されなかった後発のハイブリッド型世界都市圏モデルとなり、21世紀の多様化した世界を文化的にリードできるように変身するチャンスが来ている。この機会を逃してはならない。
ただ、3.11後の中央政府や中央のメデイアの対応をみると、政官分離、中央集権の構造が堅固で、トップ・ダウンのリーダーシップが期待しにくいように見える。
万博では一定の成果を上げた産官学提携の仕組みの構築、関係区の連帯によるボトムアップ型の計画誘導の仕組みを構築することが必要だと思える。
市民的な合意形成が非常に困難なこの時期に、時間制限がある仕事をやり遂げるためには、自らの生活圏域、活動圏域の改善を主体的に追い求める市民、営業者、企業家が専門家、メデイアと連携して活動する仕組みを育てることも重要な戦略になるだろう。
このような社会的な実験は、間違いなく、21世紀における新しい合意形成の仕組みやガバナンスの体系を先導するものとなるだろう。


みのはら・けい
1933年生まれ。都市計画。蓑原計画事務所主宰。著書=『街づくりの変革──生活都市計画へ』『成熟のための都市再生──人口減少時代の街づくり』『地域主権で始まる本当の都市計画・まちづくり』ほか。


201312

特集 「東京オリンピック」からの問い──2020年の都市計画は可能か


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