3.11以後の建築

五十嵐太郎(建築史家、建築評論家)
山崎亮(コミュニティデザイナー)
小野田泰明(建築学者、建築計画者、東北大学大学院教授)
司会:鷲田めるろ(金沢21世紀美術館キュレーター)

ディスカッション──被災地から地方へ、地方から被災地へ

鷲田──ありがとうございました。復興は特殊なことではなく、社会の縮図であり、冷徹なシステムからいかに脱してコミュニティを築くかというお話で、今回の展覧会にも深く関わるお話でした。五十嵐さん、山崎さん、いかがでしょうか。

五十嵐──東日本大震災のような地震は頻繁に起こるわけではないにせよ、長期的に見れば、必ず反復していく自然現象です。また、先ほどもお話しましたが、震災後に起きる出来事は特殊なことではなく、日本各地の地方都市で起きていることと関係しています。金沢は災害のリスクは低いと思いますが、地方都市や地域の課題と共有でき得るという意味で展覧会を見ていただければと思います。藤井光さんという映像作家が『ASAHIZA』という南相馬市の映画館をめぐるドキュメンタリーを撮っています。普通に考えると南相馬市であれば、原発の話だけになってしまいます。もちろん原発の問題にも触れていますが、映画館がかつてコミュニティの場として成立していたことを丁寧に洗い出しながら、街の産業構造が変わり、人口が減っているという視点でつくられていて、普遍性を持っていると思いました。原発の問題だけを過激に抽出すると、朝日座という映画館の問題は共有可能ではない特殊な出来事になってしまいます。少子高齢化はどの地方でも確実に起きていることです。今回の展示で取り上げているそれぞれの地域のテーマはそのような意味でつなげて見ていただければと思います。

山崎──僕もそれに近い感覚を持っています。被災地で起きていることは日本全国で起きていることの縮図であり、そういう意味で、今回の展覧会に出ているような被災地での取り組みがヒントになれば良いなと思っています。川内村というところの合意形成をお手伝いしたことがあります。避難している人たちとワークショップをしましたが、皆さん「戻りたい」と話していました。放射能の除染が進んでいませんでしたので、当時の村長は森以外の部分を除染しましたが、それでもあまり人は戻りませんでした。なぜかと言えば働く場所がないからです。そこで、3社を誘致して110人の雇用を生みましたが、川内村の人は30人しか就職しませんでした。なぜかと言えば買い物をする場所がない言うのです。なので、スーパーとコンビニをふたつずつ誘致しましたが、移動手段がないと言い、人は戻りませんでした。巡回バスを走らせましたが、あまり人は乗りませんでした。結局、いわき市や郡山市に避難した人たちは、子どもが中高生になっていたりして、もう一度村に戻って生活をしていこうとはなかなかならないという問題です。みんな「戻りたい」を合言葉にしながらも、各個人にはいくつかの戻らない理由があるのです。次の人生へ切り替えようと言う時の皆さんの言葉が、島根県の沖合の海士町や、西日本の集落でのワークショップの時の若い夫婦や高齢者が「戻りたいけれど......」と言うのとほとんど同じなのです。
バスアーキテクツさんが徳島で村の人たちと協力しながら、生活し続けたいと思えるような街をつくっていく取り組みをされていますが、まさに被災地でないところでも同じ問題があるということです。「3.11以後」というくくりになっていますが、1995年以降と捉えてもそれほど変わることなく考えられると思います。被災地で起きている問題の解決には、過疎地でここ20年ほどの間に起きた人口減少問題の中に沢山のヒントがあると思います。小野田さんが話をされていたお金の流れの問題も象徴的です。すべて節割で補助金のメニューがあるため、一体化した方が良い建築プロジェクトがあっても、基礎から屋根までバラバラの設計で、施工業者も変えてつくっていかなくてはいけません。いま、政府は地方創生をしようとしていますが、バラマキになってはいけないとも言っています。やはり包括補助金のあり方を考えなければ、いままで通りの地方創生になり、ますます「家族が減るのに家は大きくなる」というご指摘通りの状況が加速されてしまうと思います。

バスアーキテクツ《えんがわオフィス》 Photo: TAJIRI Terumasa(『EMAC』Vol.2より再録)

ソーシャルワークの中で一番難しいのはやはりコミュニティワークです。濁った池の中で元気のなくなった魚を治しても、その濁った池に戻してしまえば再び元気はなくなります。では濁った水を誰がどうするのかという問題です。その時に、社会福祉分野だけでは難しいので、医療、福祉、保険、薬事などがすべて一緒になって地域包括ケア、統合ケア、そしてもうひとつコミュニティケアをしなくてはいけません。先ほど田中正人さんの話が出てきましたが、コミュニティ活動に参加しない人たちをどう見守っていくのか、支えていくのかという問題です。建築の分野で配置や開口やアプローチの工夫によって、少し互いを気にしたり、声を掛けることが意識されます。コミュニティの中でケアできることは沢山あります。重要なのは意識変容とその先の態度変容です。小野田さんが示された、仙台市街地に近い方へ高台避難したいという意見が多かったところでも、適切な情報を把握すると意識が変わり行動が変わるというお話が象徴的でした。やはり歴史などを知ると意見が逆転するのです。住民参加型のワークショップもすごく似ていて、住民の意見をただ聞くだけでは、いまある状況のみから言葉が出てきたり、例えば『クローズアップ現代』でしているような話のみに影響されてしまいます。インプットをちゃんとした上でアウトプットの意見をまとめないとあまり意味がありません。今回の展覧会で見ていただきたいのは、建築家がクリエイティブな結果を生み出すために、地道なインプットやリサーチをしていたり、地域の方々と協働しているというところです。都市計画家と契約してつくってしまえば早いのですが、そうではないプロセスで進めることが長く効果を発揮することになります。僕の好きな言葉に、アフリカのことわざで「早く行きたいならひとりで行きなさい、でも遠くまで行きたいならみんなと行きなさい」というものがあります。専門家が集まって物事を進めれば早くできますが、遠くまで行こうとした場合は、速度は遅くてもやはりみんなで話しあった方が良いと思います。コミュニティデザインは効率が悪いし、話は遅いし、何度も同じ質問をされたりしますが、これこそが大事だと思って活動しているつもりです。

鷲田──ありがとうございました。お金の流れと問題解決をそれぞれぶつ切りにするのではなく包括的に捉えなくてはいけないというお話は、最後の「建築家の役割を広げる」というセクションとリンクしているのではないかと感じました。また、今日小野田さんと一緒に会場を回っている時に、4つ目の「使い手をつくる」のところをおもしろいと言ってくださったのが印象に残っています。公共建築をつくっていく時に住民とコンセンサスを得ていくかについて、さまざまな建築家の工夫が紹介されています。

小野田──参加はすごく大事なことです。ただ、その方法の運用には十分な注意が必要かもしれません。各地で仕事をしていると、自治体それぞれの違いをすごく感じることがあるのですが、会議のやり方から行政の人たちの動きまで色々です。ある場所でうまくいった方法を別のところで試そうとしてもうまくいかないことが多い。地域資源のありようを見ながら、その場所に寄り添って丁寧に仕掛けていかないとだめなんですね。もちろんある共通する方法論があり、極端な個別化は戒めるべきですが、ワークショップに来た人たちだけで投票すれば民意が収斂するといった単純なものでは決してありません。ゲームとしての革新性に引っ張られずに、現実の複雑さに向き合う忍耐が、被災地では必要なわけです。なかなか話がまとまらない漁村で、アプローチを変えてビジネスの話から入るとうまくいった事例もあります。
七ヶ浜町は小さいだけでなく、7つの浜に分かれており、それぞれ自治組織を持っています。行政はそれぞれと話をしながら民意を積み上げています。一人ひとりと面談をして、収入に合わせて「財産にもなるし、銀行に良い貸付の制度があるから自力再建をした方がお得です」という調整をして、他の自治体に比べて公営住宅の数を減らしています。数を絞り込めば当然コントロールもしやすいので、前に述べたようにコミュニティを喚起出る公営住宅が丁寧につくられています。丁寧につくるとイニシャルコストは若干増えたりもしますが、追加の福祉などに対するコストが減るのであればということで、精査しながら適切な額を確保しています。地元の人と間に緊張感のある信頼が存在するので、こうしたことが通りやすいのかもしれません。一方、自治体の規模が大きくなるとそういったことはなかなか難しくなります。住民の顔が見えないから、他と違ったことをやるとどこから弾が飛んでくるかわからない。また、大きすぎるので現実的に個人面談することも難しい。
このように被災地では、それぞれの場所や集団で、何がもっとも良いのかを議論しながらつくらなくてはならないわけです。単にコミュニティというとふわっとしていますが、建築という具体的事象を契機として議論するとわかりやすくなります。わかる人とわかってくれない人がいる時に、空間を媒介にすれば、わかってくれない人に合わせて単純化するのではなく、より複雑な問題に対応した解が採用出来る。実際に使ってみるとなかなか有効なツールです。あまりヨーロッパの例を出すのは好きではありませんが、比較研究していると彼らの建築のバリュー(価値)を吸い上げる仕組みに舌を巻くことが多いです。日本人は信頼でつくり上げてきた部分が強く、仕組みをつくるのは上手ではないのかもしれません。
金沢は新幹線が開通すると、グローバリゼーションの中に突入することになりますが、建築や都市の価値を維持できるのか、またはどこかと似たような都市に成り下がってしまうのか、皆さん次第だと私は思っています。実は私自身、金沢の浅ノ川中学校の出身で、平和台の高校に通っていたので、このあたりはよく通っていました。だから実感しているのですが、金沢の都市構造は他の街とまったく違って豊かなんですね。そうした土地固有の価値に手を加え、流通可能な財に仕立て上げるのはみなさんの創造性にかかっています。創造性のヒントを得る場所としてこの美術館はうまく機能しているのかもしれません。今日も非常に沢山の人が来ておられるのでビックリしました。日本でこんなに人が来ている美術館は他にありません。金沢の人たちのリテラシーが高いのか、雨が降っているのでたまたま兼六園から人が流れてきているのかはわかりませんが(笑)。

鷲田──話題は「地域資源を見直す」というテーマに広がってきましたが、五十嵐さんはいかがでしょうか。

五十嵐──今日は午後に雨が降る前から、館内はすでに人であふれていました。おそらく、金沢の人たちは建築の出現が人の流れを変えたということを実感されていると思います。もちろん場所に恵まれているということもありますが、それに対して空間のデザインが最大限以上に可能性を引き出しています。展覧会をご覧になっている人たちを見ていると、建築の専門ではない人たちも沢山いて、驚くべきことだと思いました。普通に建築展を企画すると、どうしても建築が好きな人しか来ません。ところがここでは観光客や家族連れも入場します。『るるぶ』に載っているからとか、レアンドロ・エルリッヒによる「スイミング・プール」の下まで行けるということもあるかもしれませんが、たまたまチケットを買って観覧する人とのめぐり合わせを起こしている美術館は、日本だと少ないと思います。ポンピドゥー・センターやMoMAであれば、普段美術館に行かない人もつい入場券を買ってしまうということがあると思いますが、そうした美術館は国内ではまだ少ないと思います。
使い手の話がありましたが、第一部で取り上げられている20世紀の半ばにつくられた公共施設は、建築家が啓蒙的に「これがシティ・ホールの姿だ」という形態を市民に与え、それがあるプロトタイプになって日本各地につくられていきました。丹下健三は特にそうだと思いますし、それが可能だった時代でした。いま、「新国立競技場」の問題にしても国立だから使い手が誰かわからないということもありますが、上から与えられる施設の是非について、揉めることができる時代になっているということでもあります。かつてのオリンピックではそんな議論はなかったと思います。驚いたのは、丹下健三さんが当時まだ首相でなかった田中角栄大臣に直談判し、文部省の予算を増額してもらったというエピソードです。あの素晴らしい「国立代々木競技場」ができたことは良いと思いますが、いまはそれが自慢話にならない時代でしょう。建築家がある種の神として君臨できた時代に対して、小野田さんが示されたように、いまは違った形で建物をつくるフェーズになっています。
昨年末に、中国で四川大地震のエリアを初めて訪れました。非常に復興のスピードが早かったのは国家が有無も言わさず、上から決められるからです。廃墟になった街がまるごと保存されて観光地になっていますが、それもあっという間にトップダウンで決められましたし、そこに住んでいた人が全員移住するためのニュータウンも地震から2年後に完成しています。それはやはり社会の背景が違うから可能なことです。
今回の展覧会では、山崎さんもよく言われているように「そもそもなぜつくるのか」や「つくってどう使うのか」という前提が問われています。特に「使い手とつくる」のセクションはそのあたりに関係しています。新居千秋さんの展示は、最初に卒業設計なども含んだ大量の情報をいただくところから始まりました。「個展ではないんです」と言って削ってもらおうとしましたが、よく見ると、1970年代にアメリカでローレンス・ハルプリンやイアン・マクハーグの影響を受けていたこと、その後イギリスで役所の仕事の方法を学んだことなど、ワークショップ的なものの成り立ちについてのプレヒストリーが入っていました。いまとのつながりが見せられると思い、全体的には少し減らしましたが、あえて前史の部分も残しています。

社会福祉と建築の深いつながり

山崎──新居千秋さんの展示は、4つ目の展示室に入ってすぐ左手のところにあります。参加のデザインの歴史と、ご自身の設計のプログラムの話が入っています。新居さんは魅力的な仕事をされている方だとずっと思っていましたが、実は昨日初めてお会いしました。開口一番、僕がかつて勤めていたSEN環境計画室の三宅祥介さんの話が出てきました。三宅さんは元々武蔵工業大学機械工学科の卒業で、非常に細かい図面を描いていましたが、建築へ転科します。建築学科の4年生の時にその新居千秋さんが戻ってこられ、アメリカのハーバード大学デザイン学部ランドスケープ学科の大学院を紹介したのです。アメリカでワークショップなどを学んだ後に日本で立ち上げられた事務所で僕は働いていました。新居さんと元々のボスである三宅さんは同い年でもあり、何となく親近感を持っていましたし、彼らのような仕事をしたいなと思っていました。
「使い手とつくる」のセクションは、展示室を見ていただくと、その方法がすごく変わってきていることがわかります。新居千秋、青木淳建築計画事務所+エンデザイン、乾久美子、工藤和美+藤村龍至+東洋大学ソーシャルデザインスタジオという4組の方々は、共通点を感じる部分もあるかもしれませんが、それぞれまったく違うアプローチで進められています。小野田さんがおっしゃっていたように、良い空間をつくるということと、利用者の意識や行動がどう変わり、さらにその回りの人たちにどう影響を与えていくのかは深く関係しています。そのことは4組の展示から再確認できました。

乾久美子《延岡駅周辺整備》

ワークショップや住民参加は、やればやるほど「人の幸せをどうつくるか」という社会福祉に近づいていきます。狭い意味での福祉は、障害者や高齢者のためだということになっていますが、福も祉もどちらも幸福を意味しています。よく話すことですが、デザイナーの指導者のような人であるジョン・ラスキンが好きで、彼の1862年の言葉に「良きライフこそが財産である」というものがあります。「あの人はええ生き方したわー」と言われるような人が沢山いる地域や国が豊かであるということです。studio-Lの「L」にはその大好きな「ライフ」という意味も込めています。ラスキンは美術批評家であり、アーツ・アンド・クラフツ運動を先導したウィリアム・モリスにも影響を与えています。アーツ・アンド・クラフツ運動はウィーンやドイツに飛び火し、その後バウハウスやモダンデザインになり、第一部の展示にある日本の戦後にまでつながっていきます。現代の建築や都市計画では、参加型のデザインやまちづくりが重要で、ソーシャルワークやコミュニティワークに近づいています。その社会福祉協議会が影響を受けているのは、イギリスで生まれた慈善組織協会(COS、charity organization society)です。慈善組織協会は200以上のバラバラに活動していたチャリティ団体を組織しようというものでしたが、その立ち上げの際に、資金の2/3を出していたのがラスキンです。彼は父親の遺産で突然大金を手にしてしまったので、どう正しく使うかを悩んでいたそうです。また、オクタヴィア・ヒルの住宅運動でも3軒だけですが、ラスキンがお金を出して、年率5%の利子を払わせる持続可能なモデルをつくらせました。
さらにその慈善組織協会に影響を与えていたのがアーノルド・トインビーです。有名な歴史家アーノルド・J・トインビーの叔父にあたります。30歳で亡くなっていますが、社会的弱者の施設トインビー・ホールが設立されています。アメリカではそれがハル・ハウスとなり、フランク・ロイド・ライトが講演をしたり、アーツ・アンド・クラフツ運動のワークショップが開かれたりしています。アーノルド・トインビーがオックスフォード大学でかじりつきながら授業を聞いていたのがジョン・ラスキンであり、実はモダンデザインや建築と広い意味での福祉は、それほど距離のあるものではなく、どうしてもつながってくるものなのです。建築やまちづくりと社会福祉は、ハードとソフトの両側から人びとの幸せをつくる職能であり、それを同時に考えていた人たちはかつて沢山いました。ここ150年ほどの間、それぞれの職能で考えることが沢山あり、わかれていたように思いますが、今後日本において建築の仕事が少なくなるのであれば、その建築家の発想力を最も活かせるのは社会福祉や社会教育の分野だと思います。その分野で既に活躍している建築家の方はいますが、これからさらに増えて減ることはない仕事なので、もっと関わる人が増えても良いと思います。建築的発想力を発揮して価値のある情報を提供し、お金をいただき、建築家の単価を上げることが、社会へクリエイティブな影響力を与えていくと思いますし、この展覧会がそのきっかけになればと思っています。

  1. 二つの建築展の経緯と特徴
  2. 1995年以降の建築的創造性
  3. ディスカッション──被災地から地方へ、地方から被災地へ
  4. 質疑応答

201412

特集 金沢21世紀美術館「ジャパン・アーキテクツ」


3.11以後の建築
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