3.11以後の建築

五十嵐太郎(建築史家、建築評論家)
山崎亮(コミュニティデザイナー)
小野田泰明(建築学者、建築計画者、東北大学大学院教授)
司会:鷲田めるろ(金沢21世紀美術館キュレーター)

質疑応答

鷲田──社会と建築家の関係の中で、福祉という分野についてお話いただきました。そろそろ会場の方々からご質問を受けたいと思います。

会場1──福井工業大学学生です。今日の鼎談のタイトルは「3.11以後の建築」でしたが、そのお話をお願いします。

山崎──先ほどもお話しましたが、僕はあまり変わっていないと考えていますし、「1995年以降の建築」だと思っています。

五十嵐──最初に説明したように、何かチャンネルが切り替わって、それまでのものがダメでまったく新しくなるということではありません。もちろん現場では、前日まであり得なかったことを考えなくてはいけなくなりますが、少し引いた視点で見れば、じわじわと低温やけどのように起きていたことが極端になって、局所的に表われたと言えます。ゆるやかに変わっていく変化は見えづらいので、直接的にいま起きている圧縮された出来事を見るのがわかりやすいと思います。むろん、個人的には変化は確かにありました。東北大学が直接被災し、大破した研究棟が使えなくなり、身のまわりもで大変なことが起きました。研究室では初めて仮設住宅地の集会所の基本設計に関わるようなことがあり、またあいちトリエンナーレ2013の芸術監督も震災がなかったら依頼がなかったと思います。

小野田──おふたりと同じく考えていることはそれほど変わっていませんが、私自身は残念ながら震災で生活そのものが激変しました。建設費が2倍になるという状況の中で良いものをどのようにつくるのかといった具合にミッションのハードルが上がりました。さらに、被災地はリスクが満載なので、それらリスクをどう整理するか上手くなったような気もします。そうしたリスクヘッジの一環として、設計施工一体のデザインビルドをこのところ採用しています。しかしこれも、建築家が施工者の下に組み込まれるので、建築家の発言力が減る危険性を持っています。ファストフードならぬ、ファスト建築と自嘲的に言っているのですが、注意しないとその片棒を担ぐことになりかねません。「もっと安く」という方向に引っ張られて、まともな公共建築が建たなくなってしまうわけです。日本はこれから、観光によって土地が持つバリューを可視化、物象化して、お金を稼がなくてはいけないにもかかわらず、土台となる建築がファスト化になだれ込んでしまっては元も子もない。ただ、被災地でものを実装するためには、そうした面倒なことも共存しなければならない、つらい状態にあります。
震災によって、いままで見えなかったものが見える、見てはいけないものを見てしまったような気がします。震災以前から制度の研究をしていました。これはイギリスの制度です(fig.23)。公共建築を注文する時に、リスクを回避してバリューを上げるために、とても複雑でうまくできたシステムがあります。RIBA(Royal Institute of British Architects、王立英国建築家協会)があり、CABEやPUKといった公共組織が、施主である自治体や施工者を支援しています。一方の日本は属人的で、市長や担当が頑張らない限り、誰も助けてくれないという辛い仕組みになっています(fig.24)。コミュニティを考えることはもちろん大事ですが、社会の上部構造がわれわれの活動を規定していることに自覚的でありたいと思っています。なぜ日本でそういった構造的な議論が起きにくいのかと思うのですが、右か左かのイデオロギーの話に回収されてしまうからじゃないかなと最近は考えています。イギリスは過酷な階級社会でもありますが、エキセントリックなイデオロギーに回収されることなく、社会構造を懸命に議論・検討する専門家がいます。ですから、ポスト3.11は、社会の上部構造をもずらしていけるものなのかもしれません。
被災地にいて、何がニュースになるかを下から見ていると、本当に大事なことというよりも、その周辺にある受け入れられやすい事象だけが吸い上げられているようにも感じます。皆さんには、それに流されない違う視点を持っていただきたいと思います。ご自身が見たくない、説明のつかないことも積極的に見たほうがいいということです。われわれ自身は、だれも見たくないような面倒な調整作業を淡々とこなしながらこのまま被災地の最果てで朽ち果てていくんだろうなという諦念を持っているので、まあいいのですが、むしろ、あなた方に、ポスト3.11の建築とはどうあるべきなのかを逆に問いたい気持ちです。

fig.23

fig.24

山崎──小野田さんは誰も見たくないだろうとおっしゃっていましたが、僕はすごく大事なことだと思います。今回の展覧会では、年表やダイアグラムを出してくれた建築家も沢山いました。展覧会全体の中ではじっくり見てもらうことが難しいので、「もう少しわかりやすくなりませんか」「ここの情報を削れませんか」などと議論もしてきましたが、いわゆる美しい建築展とは違っています。そうした図などをじっくり見て、関係性を見ていただけると、表面的にでき上がっている建築物よりも感動してもらえるのではないかと思います。

小野田──直感的にダイアグラムをつくることはできますが、やはりそこにあるフローに分解しないと上部構造の隙間を縫って物事を実現するのは難しいかもしれません。タイヤグラムには、量と関係性が明示されているダイアグラムと、割と直感的に概念を引っ張りだすダイアグラムがあって、われわれが設計に使っているのは前者です。この図が不完全と申し上げたのは、ある程度の関係性は示していますが、具体的な指示ルートやお金の流れとの関係がいまひとつ明確でないからです。それには法律やお金のリテラシーが必要です。成文法の国のフランスではMOP法という包括的建築法で縛り、イギリスは柔らかいマグナ・カルタの元で、さまざまなガイドラインを繰り出して調整しています。ドイツと日本は国のタイプと制度のありようが似ていますが、公共建築は「プランB(Bebauungsplan)」という各地区のコミッティーの許可を得ねばならず、そこでディスカッションします。ただ、「プランBがあるからドイツの建築はつまらない」とドイツの建築家は言っていますので(笑)、諸刃の剣ですが。
いま、日本では国立大学の文系を軽くしようという流れになっていますが、空間の質がこのように社会制度と密接にかかわっている現実を見ると、時代錯誤かもしれませんね。世界からお金を取る国になるには、世界史や地理を丁寧にやった方が良いだろうし、難しい議論を根気強くやるトレーニングも不可欠でしょう。

会場2──金沢美術工芸大学でデザインを学んでいる者です。コミュニティと建築が関わってこれからの人口問題などを解決していく必要があるというお話がありましたが、制度や仕組みを考えていくにあたり、デザインや建築を学ぶことがどう影響するのでしょうか。

山崎──ダイアグラムの話がありましたが、物事をまとめて人びとに提示するのは案外難しいものです。いわゆるグラフィックデザインで美しく見せるだけではなく、関係性や意味、構造などをどう表わすか、表わさないかなどを整理していくのは、建築を学んだ人が得意としていることです。それは住民参加のイベントなどにおけるインプットにおいても大事になります。インプットがアウトプットに影響します。その街がどういう状況にあるのか、どんな課題があるのか、どういうふうにしてほしいという人が何人くらいいるのか、地域の中での小さなお金の流れなどを整理することで、共通の話題で議論してもらうことができるようになります。
また、建築の人たちは住民の方々からの意見やアイデアを理解するだけではなく、それに対して刺激を与えていくこともできます。事例を沢山調べる能力を持っていることと、事例をそのままやりたくないという気持ちを持っていることの両方が重要です。徳島の山奥で葉っぱを売ってビジネスをしているところがあっても、建築家はそれを絶対に真似しないでしょう(笑)。小野田さんも指摘していた通り、状況が変わればやり方を変えなければいけないはずで、沢山の事例を頭の中で融合したからこそのアイデアがあり、それはプロとして自信を持って良いと思います。各地域やプロジェクトの要素を分解して、構造化し、いくつかを組み合わせて解決方法を出すということです。一方で住民の主体性を醸成するためにも自分のアイデアにあまり固執しない方が良いとも思います。最終的には住民の方々が納得して、乗ってきてもらうためのたたき台でしかありません。
そういった2点は建築を学んだ人たちが地域の人たちと話をしていく時に有利な点です。あと瑣末なことで言えば結構徹夜ができるということです(笑)。僕も製図台の下で仮眠をしていたことがあります。明日プレゼンテーションがあるという最後の夜に、理由もなく、自己満足だと言われようとクオリティを高めること、ベストを求めることは教えようと思ってもなかなかできません。

小野田──気を付けてほしいのは、建築は遅効性をもつ事象であるいうことです。何年もたって、ゆっくり効いてくるものです。被災地でも時々総務系の会議に出ることがあるのですが、復興実務サイドの会議と違って、会議を円滑に進行する方向に話がひっぱられることが多いようにも思います。ここで踏ん張って難しい判断を下し、後の発注などを楽にしてあげた方がよいところが、すっ飛ばされることがままあるのです。会議はうまく進行出来ても、その先に恐ろしいリスクが残ってしまう。また矛盾したことを言ってしまうかもしれませんが、恐れずにジャンプしてください。ワークショップでは住民の意見を聞くことも大事ですが、意見を積み上げるだけでは良いものにはなりません。ものをつくるからにはそうした覚悟を持った方が良いと思います。これは、阿部仁史さんと一緒にやった「東北大学百周年記念会館 川内萩ホール」というプロジェクトですが、このように黒いホワイエをつくり、元々の講堂をコンサートもできる赤い内装のホールに変えています(fig.25)。一般的な常識からするとアウトでしょう。それを365日どう運営して、収支をどうするのかなどということも提示しながら、粘り強く説得する。そこにはワークショップはありません。創造側の確信と労力をかけた詳細な検討資料、つまりジャンプのための確信や努力があるわけです。そうしたものを持つためには、学生時代に試行錯誤したり、製図台の下で寝たりもしながら(笑)、身を削ればその分だけ作品が良くなるという確信を有していることが必要なような気がします。ワークショップやコミュニティも大事ですが、学生の皆さんにはそうしたジャンプが出来る身体をつくり上げてほしい。クライアントが出来合いのものではなく、わざわざ建築家に依頼するのはやはりそうしたジャンプを期待しているからです。もちろん独りよがりではいけないので、並行した検討データの提示は必須ですが。

fig.25

[2014年11月2日、金沢21世紀美術館にて]


ジャパン・アーキテクツ「3.11以後の建築」

会場:金沢21世紀美術館
会期:2014年11月1日(土)〜2015年5月10日(日)
休場日:月曜日(ただし、11月3日、11月24日、1月12日は開場)、
    11月4日、11月25日、12月29日 〜 2015年1月1日、1月13日、5月7日

五十嵐太郎(いがらし・たろう)
1967年生まれ。東北大学教授。建築史、建築批評。著書=『終わりの建築/始まりの建築』『新宗教と巨大建築』『戦争と建築』『過防備都市』『現代建築のパースペクティブ』『建築と音楽』『建築と植物』など。

山崎亮(やまざき・りょう)
1973年生まれ。コミュニティデザイナー。株式会社studio-L代表。東北芸術工科大学教授、京都造形芸術大学教授。主なコミュニティデザイン=兵庫県立有馬富士公園、島根県隠岐郡海士町、鹿児島県鹿児島市「マルヤガーデンズ」ほか。主な著書=『コミュニティデザイン』(学芸出版、2011)、『ソーシャルデザイン・アトラス』(鹿島出版会、2012)、『コミュニティデザインの時代』(中公新書、2012)ほか。

小野田泰明(おのだ・やすあき)
1963年生まれ。東北大学大学院教授。都市計画・建築計画、文化経済学。主な著書、共著書=『せんだいメディアテークコンセプトブック』(2001)、『オルタナティブ・モダン』(2005)、『プロジェクト・ブック』(2005)、『空間管理社会』(2006)、『ネクストアーキテクト2──カケル建築家』(2009)、『モダニティと空間の物語』(2011)など。


201412

特集 金沢21世紀美術館「ジャパン・アーキテクツ」


3.11以後の建築
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