ユーザー・ジェネレイテッド・シティ
──Fab、GIS、Processing、そして未来の都市

田中浩也(FabLab Japan発起人)+古橋大地(OpenStreetMap Foundation Japan理事)+太田浩史(建築家、Tokyo Picnic Club主宰)

古橋大地プレゼンテーション
マッパーたちが更新する、ボトムアップな世界地図

古橋大地──OpenStreetMap(以下、OSM)(http://osm.org[fig.7]は自由に利用できる地図情報を作成するプロジェクトです。OSMの歩みと現在の状況について簡単にお話ししたいと思います。OSMの活動が始まったのは2004年ですが、世界的に地図情報の書き込みが本格化するのは2007年頃からです。当初はイギリスやドイツなどヨーロッパの一部での書き込みしかなかったのが、次第に北米に広がっていき、2008年からは日本でも活動がスタートします。偶然なことに、われわれもここ鎌倉から日本での活動を始めています。2010年前後になると国レベルでの活動が増えてきて、政府のデータを一括してインポートしたり、アフリカや南米の途上国のデータも増え始めます。以上のような経緯で、「マッパー」と呼ばれる地図編集者たちが世界中に広がっていきました。

fig.7──OpenStreetMap(大きな地図を表示

OSMの最大の強みはなんといっても即時性です。Google Mapsの場合、地図情報は年に1回書き変わるかどうかという更新頻度ですが、OSMでは地図を書き込むとすぐに反映されますから、更新頻度という考え方がありません。また、昔と大きく変わった点として、いまはマイクロソフトと提携していて、Bing mapsの航空写真レイヤーを表示しトレースできます。また、国土地理院の航空写真データ等も同様にトレースしていいという許可が出たので、日本国内で編集すると背景画像を国土地理院の航空写真にも切り替えることができます。いずれにしても、写真をもとに地図の編集ができるようになったわけです。

では、実際にどういう人たちが地図を編集しているのか。最初の頃はITエンジニアが中心でした。しかし、現在ではひと言では括れないほど多様な人たちが参加しています。例えばOSMでディズニーランドを見ると、非常に細かく情報が書き込まれています[fig.8]。日本人だけでなく、世界中のディズニーランド・マニアがOSMに書き込んでいるわけです。ほかにも鉄道マニアが駅や線路の情報を書き込んだり、アニメオタクがお台場にあるガンダム像の立体モデルを書き込んだり、自分の興味のあることを片っ端からマッピングしていく人たちがたくさんいて、そういうさまざまなマニアがOSMに参加してくれています。

fig.8──OpenStreetMapのディズニーランド表示(大きな地図を表示

それでわれわれは今何をやっているかというと、Wikipediaとコラボレートして「ウィキペディアタウン」[fig.9]というプロジェクトをやっています。知の共有のひとつのかたちとして地域の情報を共有したい。そのときに、誰もが知識の共有の場としてWikipediaを考えるわけですが、じゃあ記事を書いたことがあるかと言ったら、実際のところみんな書いたことがないわけです。また、Wikipediaというのは位置情報を記述しにくいので、その部分をOSMが担おうという狙いもあります。そこでOSMのメンバー(マッパー)とWikipediaのメンバー(ウィキペディアン)と地域の人たちの三者で、地域を回るというワークショップをしています。まず地域の人たちが紙の地図に情報を書き込んで、僕たちマッパーがそれをデジタル地図に落とし、その情報をWikipediaに紐づけする。これまで横浜や二子玉川や京都でそういったワークショップをやっていて、ほかの地域にも広がっています。

fig.9──ウィキペディアタウン

街の情報をみんなで持ち寄るときには、えてして主観的な情報が入りやすい。だからこそWikipediaのように、書いていい情報と書くのにふさわしくない情報との振り分けが必要になってきます。OSMにしても事実情報しか書き込めません。「このお店がある」という事実は書けるけれども、「このお店が美味しい」という評価は書けない。しかし時として、街の情報として僕たちが欲しいのは「この店が美味しい」「この展覧会が面白い」といった主観情報です。また、主観情報を書き込むことができれば、「この場所にはこんな思い出があったな」と自分のなかでストーリーを組み上げることもできます。ですから、主観情報をどう扱うかということがここ数年の課題だったのですが、いまは「LocalWiki」(https://ja.localwiki.org[fig.10]という仕組みが回り始めています。LocalWiki上で主観情報と位置情報を紐づけて、そのなかから客観情報を抽出してWikipediaに載せるというかたちで、OSMとWikipediaとLocalWikiを組み合わせていくやり方が、新しい街の記述の仕方になりつつあります。

fig.10──LocalWiki

田中──食に関する情報が重宝されるというのはわかりますが、それ以外に具体的にはどういう主観情報があるのでしょうか?

古橋──いまのところ載せてある情報としては、ツアー情報や人の情報ですね。「駅前からこういうふうに歩くと面白い」とか「こういう面白い人がいる」といった情報を、イベントベースやインタヴュー形式で見せています。タギングのシステムを使ってタグで整理をしながら、位置情報はOSMを背景に紐づけていくというかたちで編集しています。

二次元の地図だけではなく、現在は街の3D化も着々と進められています。そのなかから、3Dの地図を使ってゲームをしようという試みも出てきています。代表的なものとして、島田卓也さんという方がつくった「水没都市~シマダシステム」[fig.11]というゲーム・システムがあります。OSM上の任意のエリアを指定して、「Unity」というゲームエンジンに3Dデータを簡単に流し込める仕組みです。このシステムを使うことで任意の街を舞台にした三次元ゲームへと展開しやすくなり、例えば作品例として、特定の街を水没させ、その水没した街にプレイヤーは潜っていき宝箱を探す──というようなゲームが発表されています。自分たちでつくった街を自分たちで遊ぶわけです。OSMのデータをどう使うかということに関して、現在ではこのような広がりが出てきています。

fig.11──「水没都市~シマダシステム」

デジタルな地図データをどのようにモノに変えるかというときに、とりあえず誰もがイメージするのは紙地図かと思います。紙地図をつくるときに、僕たちはField Papers(http://fieldpapers.org[fig.12]というサービスを使っています。Field Papersのウェブサイトで任意のエリアの地図を表示すると、印刷用のPDFファイルを自動生成することができます。また、印刷した紙地図に手書きで書き込んだ情報をスキャナなどで取り込むことによって、デジタルデータのほうに反映させることもできます。地図づくりのイベントをやるときには、まず現場の紙地図をField Papersで打ち出しておいて、それを参加者に配布し、街を歩きながら足りない情報を地図上に書き込んでもらい、それを回収して僕たちが入力するというプロセスを経ることになります。ライセンス上、Google Mapsは印刷して配布することができませんが、OSMではライセンスがクリアになっていますから、そういうやり方ができる。地図づくりには地域の人たち、特に歴史をよく知る年配の方に参加いただくことが多いので、そういうやり方のほうがうまくいくわけです。

fig.12──Field Papers

現在ではいろいろな企業がOSMを利用してくれるようになっていて、新興系のIT企業では、Google MapsではなくOSMを使うケースが増え始めています。2015年にはフェイスブックのデフォルトの地図がOSMに切り替わりました。地図についての苦情を報告するためのボタンがあって、報告すると「あなたもOSMのマッパーになりましょう」と誘導されたり、マッパーを増やす仕組みが埋め込まれています。また、大きなものとしては、トヨタがカーナビでOSMを使い始めています。北米トヨタの車に搭載される標準ナビに関しては、TeleNavという会社が提携してやっているのですが、地図の中身はOSMです。OSMが2004年にスタートしたときの立ち上げメンバーで当時大学院生だったスティーブ・コーストという人間がTeleNavに就職して、現在はOSMのプロジェクトを担当しています。

以上のように、Google Mapsが寡占状態であった市場の多様性を広げているのが現在のOSMの状況です。それはもちろんコストの問題もあるのでしょうが、トヨタの場合などは、コストよりも品質のほうが重要なはずです。では、なぜトヨタがOSMを選んだのかというと、おそらく彼らがコントロールしやすい側面があったからだと思うのです。GoogleやAppleが主導するAndroid AutoやCarPlayになると、それぞれの企業にコントロールを委ねないといけない。ローデータから自分たちが関与できるという点で、トヨタにとってはOSMのほうが都合がよかったのではないかと推察しています。

Google Mapsには、地図と航空写真とストリートビューという主に3つのモードがありますが、僕たちもストリートビューのような仕組みをつくり始めています。Mapillary(https://www.mapillary.com/map)というサービスがあって[fig.13]、スマホのカメラやリコーのTHETA(シータ)などで撮った写真をMapillaryのサーバに送ると、自分でストリートビューをつくることができます。このデータ自体もオープンデータなので自由に使えます。この大きな特徴は、画像から3Dデータが生成できるという点で、街の3D化が写真でも実現できます。このようにOSMのストリートビュー、「オープンストリートビュー」とでもいうべきものが実装可能になったので、あとはこの活動を日本中に広げていくことができればと思っています。

fig.13──Mapillary

地図、ストリートビューときて、今度僕たちがやろうとしているのは航空写真のオープン化です。その一環として「OpenAerialMap(OAM)」[fig.14]https://openaerialmap.org)という活動が去年からスタートしています。地球観測衛星からの画像ではなく、自分たちでドローンを飛ばして写真を撮って共有しようという試みです。現在は画像を共有化するためのサーバとしてOAMのβ版の稼働が始まったところで、その提供者を世界中に広げる活動が始まりつつあります。いまのところ考えられる方向性は、防災という切り口です。災害が起きても、その状況を迅速に航空写真として提供できるところがまったくないのが現状です。そこで防災用にカメラやGPSを載せたドローンを飛ばして写真を撮り、画像やマップデータをみんなで共有しようと。そういう観点から「DRONE BIRD」[fig.15]https://readyfor.jp/projects/dronebird)というプロジェクトを始めたところです。

fig.14──OpenAerialMap(β版)

fig.15──「DRONE BIRD」

いま伊豆大島の方々と話をしているのですが、1986年の三原山の噴火は、元町という島の中心部の近くでも割れ目噴火が起きました。その際、溶岩流がどこからどこに流れているのかという情報がなかなか得られず、住民の方々が不安な時間を過ごしたと聞いています。そこで、情報が手に入らないのならば、自分たちでドローンを飛ばして情報を得ようと。そのために、普段使いのドローン運用の仕組みを真剣に議論されています。地域の人たちがボトムアップ的に、自分たちの力で情報を得て、なにかあったときに迅速に共有できる仕組みをつくる──そうならないかぎり、彼らは安心して島に住めないわけですね。その話をふまえて、いまDRONE BIRD基地の候補地を探している段階で、場と人材とドローンをどのように共有していくか、そして最終的に航空写真まで落とせるかということを考えています。DRONE BIRDの活動が広がると、結果としてOAMも広がっていく──そういう青写真を描いています。

最後にまとめとして数字の話をして終えたいと思います。現在、OSMのマッパーは世界中に240万人ほどいて、さらに増え続けています。240万人というと、だいたい大阪市の人口くらいの規模です。1日あたりの活動量で見ると、2012年には1日あたり20人くらいだったのが、現在では60人くらいの人が地図を編集している計算になります。比較材料として、Google Mapsと提携している大手地図制作会社ゼンリンでは、人件費をかけて年間29万人ほどの調査員がデータをつくっています。単純計算で365で割ると、1日あたり約795人が編集している計算です。ゼンリンがつくる地図というのは、これだけの人材、しかもプロフェッショナルな人材を投入して維持されているものなんですね。そう考えると、ボランティア・ベースで1日60人というのはまだまだ全然足りない。ですから、僕たちは地道に仲間を増やしていくことを引き続きやらないといけません。少なくとも、この1日あたり795人という数字を当面の目標としてやっていきたいと思っています。

201602

特集 ユーザー・ジェネレイテッド・シティ
──Fab、GIS、IoT...、
ネットワーク世界がつくる建築・都市


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概念化の源流から見るネットワークの世界
〈人間-物質〉ネットワーク世界の情報社会論
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