スペキュラティヴ・デザインが拓く思考
──設計プロセスから未来投機的ヴィジョンへ

水野大二郎(デザイン研究者、デザインリサーチャー)+筧康明(メディアアーティスト、インタラクティブメディア研究者)+連勇太朗(建築家、NPO法人モクチン企画代表理事)

建築・都市のスペキュラティヴ・デザイン
──「プロジェクト」と「プラクティス」

水野──ところで、「スペキュラティヴ・デザイン」は建築やまちづくりとも接続していくだろうと僕は考えています。つい先日、認知症の高齢男性が徘徊中に線路に立ち入って死亡し、JR東海がその妻と長男を相手に損害賠償を求めた訴訟に対し、最高裁は、妻の賠償責任を認めた2審判決を破棄し、JR東海の請求を棄却する判決を出しました。2035年の日本は3人に1人が高齢者(65歳以上)に該当し、そのうちの約4人に1人が認知症を発祥する可能性があると言われています。こういう未来において、同様の事故が頻発する可能性は非常に高まるわけです。これまでよりも圧倒的に多い人々が認知症でいる未来をどのように想像し、まちづくりをしていくことが可能か?といったテーマは、実際に行動に移すことが可能なヴィジョン作成を要請することになると思います。そうしたことに加え、建物を建てる狭義の建築についても、スペキュラティヴなヴィジョンはどのようにつくりうるのか、連さんに伺ってみたいと思います。

連勇太朗氏
連勇太朗──20世紀以降の「近代建築」あるいは「モダニズム」と呼ばれる建築は、建築理論家も当初はラディカル・アーキテクチャと呼んでいましたが、アヴァンギャルドの建築として出発しました。バロックや新古典主義など、様式によって建物をつくってきた時代から、20世紀の建築や都市は理念を掲げ、それを具現化していくという思考プロセスに特徴があります。そういう意味で、ある種のスペキュラティヴな発想の芽生えが20世紀当初の建築にはあり、理念からかたちを生むということが建築におけるモダニズムという運動の本質だと言えます。そうした運動も、ル・コルビュジエによって発明された「ピロティや屋上庭園がある白いキューブ」という建築言語が大衆化した時に、「近代建築」というスタイルに変容していくわけですが、20世紀の建築の知的伝統にはそもそも未来への投機というモチーフが強くあったわけですね。ところが、1950年代後半から、理念を先行させていくような創作態度が、ユートピア主義なるものとして批判されるようになります。そういった反省を経て、60年代に入ってから数学の集合論や言語学を創作理論のベースにしたクリストファー・アレグザンダーや、大衆的な論理を建築理論に取り込んでいくロバート・ヴェンチューリ、市民運動家でもあるジャーナリストのジェイン・ジェイコブズなどによって、20世紀前半を特徴づけた大きなヴィジョン型先行型の作家主義が批判の対象となり、科学的な視点やユーザー視点がデザインの根拠として注目される潮流が興隆します。水野さんがおっしゃったインクリメンタルな創作態度もこの頃から建築の世界では重要視されるようになります。しかし興味深いのは、そうした現実に即したプラクティカルな提案が60年代以降歓迎されるようになりますが、一方で、60年代以降もル・コルビュジェの持っていたヴィジョンや理念をベースとした創作方法はかたちを変えて延命していくということです。60年代を見ていくとル・コルビュジェ以上にラディカルな提案が数多く出現するようになります。

──ユートピア主義への反省のなかでは、よりプラクティカル/ファンクショナルな方向へと向かいそうですが、なぜさらなるラディカリズムが勢いづいたのでしょう。

fig.10──アンソニー・ダン
&フィオナ・レイビー
『スペキュラティヴ・デザイン』
──ル・コルビュジエの場合はそれこそスラムなどの都市的課題への具体的な問題解決のためにヴィジョンを提示するわけですが、アンソニー・ダン+フィオナ・レイビー『スペキュラティヴ・デザイン』(久保田晃弘監修、ビー・エヌ・エヌ新社、2015)[fig.10]でも紹介されているアーキズームやスーパースタジオなどは、市場主義が過剰に進んだときに都市はどのように変化していくのかとか、管理社会が到来したときに都市はどのように見えるのかといったような、もはや現実世界につくることを目的としない未来イメージ──それは多分にディストピア的でもあるのですが──を構想するわけです。要するに現実世界を批評する方法としての「建築」がこの頃発展します。こうした流れは、一般的にはアンビルドと呼ばれ、独自の流れで発展していきます。

ロンドンのAAスクール出身であるレム・コールハースは『S,M,L,XL』の冒頭で、「建築とは全能と不能の危険な化合物である(Architecture is a hazardous mixture of omnipotence and impotence)」という有名なイントロ文を書いています。例えば、ル・コルビュジエのように「建築家」という存在は、理念を掲げそれを具体的なヴィジョンとしてかたちを与えることができるという点である種の全能性(オムニポテンス)を体現しているわけですが、反対に実務の現場ではクライアントの判断や市場原理に従わなければならず、そういう意味では無能(インポテンス)な状態であるという建築家が直面している矛盾した状況やその危うさを指摘しています。コールハースは、スーパースタジオと世代的には近いですが、筧さんがおっしゃったようなヴィジョン・ドリブンによって生成されるフィクションと、現実のプラクティカルな領域との乖離に苦悩し、そして同時にその状況をうまく扱ってきた建築家です。

『スペキュラティヴ・デザイン』でもうひとり参照されている建築家にピーター・アイゼンマンがいます。彼はコールハースより少し上の世代ですが、建築界における脱構築主義者として有名になります。最近、アイゼンマンのレクチャー動画を見ていたのですが、興味深い整理をしていました。建築家には2種類いると。「ひとつは『プロジェクト』を持っている建築家で、もうひとつは『プラクティス』をしている建築家だ」と[fig.11]。「プロジェクト」とは、今日お話している「スペキュラティヴ・デザイン」の文脈と近く、直接的な社会への有用性を目指すのではなく、建築の自律性や批評性を保ち、新たな思考や思想を生み出していくことを目的とした方向性です。逆に「プラクティス」とはビジネスとして建物を建てていく方向性です。5年ほど前に、MoMAで「Small Scale, Big Change」(2010-11)という展覧会がありましたが、これは世界的な潮流であるいわゆる「ソーシャル・アーキテクチャー」を扱ったものであり、日本でも3.11以降にインクリメンタルな建築活動が急激に支持されるようになりました。地域に入っていき、町の問題や町づくりそのものをサポートする主体として建築家が活動するというものです。このとき、彼らを批判する言葉に多いのが、「問題解決にばかり取り組んでいて、ヴィジョンがないじゃないか」「問題の構造には触れず、目の前の現象に局所的に対応しているだけじゃないか」「共同体のためにコモン・スペースとシェア・スペースをつくることがなにになるのか」といったものです。アイゼンマンもこのような状況で活動する建築家を「アクティビスト」として批判しています。

fig.11──Peter Eisenman, "Project or Practice?"

そのようなことを考えると、今日の議論に必要な視点は、デザイナーや建築家はヴィジョンをつくったり、問題提起・社会批評をしたりできる職能でありながらも、現実の社会のなかでそうした能力を発揮できていない、あるいは求められていないという構造的な困難があり、それをどう考え乗り越えるのか(つなげるか)ということだと思います。『スペキュラティヴ・デザイン』の最後で「デザインには展示、展覧会が重要なフィールドだ」という言葉がありましたが、スペキュラティヴであることの社会的な必然性と、それをどうプレゼンテーションしていくかということを巡っては、建築の状況ともしかしたら近似しているのではないかと思いました。

マーケット構造のなかのヴィジョンの力

水野──建築とデザインは「プロジェクト」と「プラクティス」で思考が分かれるという点も近似していますね。そうしたことについて、アンソニー・ダンの教え子たちがRCA卒業後どうしているかをみると理解できることもあるように思います。例えば、教え子の多くがデザインリサーチャーになっていますが、彼らは「プロジェクト」を展開している人ですね。一方、企業内デザイナーになる「プラクティス」を展開する人もいます。あるいは、アーティストとして「プロジェクト」型の「プラクティス」をする人もいます。企業にとってデザインリサーチャーの価値は新規ビジネス開発のためのアイデアやプロトタイプを出していくこと、ヴィジョンを作成し実装することで「プロジェクト」と「プラクティス」が両立した状態をつくることだともいえます。建築においては、「建てる/建てない」建築家のみならず、ヴィジョンを「つくる/つくらない」職能という図式もあるのでしょうか。建築系のコンサルティング業務において、「スペキュラティヴ」であることはどのように受け止められているのでしょうか。

──残念ながら、建物を設計するという職域において、そういう職能はないんじゃないかと思います。やっぱりコンサルであれば「プラクティス」が求められますし、なにかをつくらなければ価値が認められないわけです。他方、「スペキュラティヴ」な思考方法をしている建築家は世界にはある程度いると思いますが、ただ彼らの市場での価値は相対的に低いでしょう。アウトプットは展覧会での作品か、あるいは実験的な住宅作品となって結実することもあるでしょうが、作品としては面白くてもそれが社会を変えていく契機になるか、懐疑的にならざるをえない状況です。

水野──工業デザインの世界では、アドバンス・デザインのような発想があります。これはコンセプト・カーにみられるような発想で、スペキュラティヴ・デザインとは根本的に違うものです。コンセプト・カーはそれが市場の商品になることが目的ではなく、その系統で進化しきたこともさほど盛り込まれていない。むしろそのコンセプト・カーに盛り込まれた新技術からなにかひとつでも芽が出るといいという感じです。技術投資であって「スペキュラティヴ」とは異なるのです。

あるいは、ファッションの世界ではプレタポルテ(高級既製服)の世界でも、一部だけあえて売れないであろう商品をつくることがあります。『スペキュラティヴ・デザイン』にも、ファッション・デザイナーのフセイン・チャラヤンが登場していますが、自分たちのブランドとしての立ち位置を明確にするための作品を利益度外視でつくる。オートクチュール(高級仕立て服)の世界では昔からやられていたことです。オートクチュールのクライアントは世界で3,000人程度しかいないと言われているのですが、なぜあんなに一生懸命やっているのか。例えばパリコレなどで強烈なイメージを表現し、一般にもイメージを消費させることによって、ブランドがつくっている鞄やスカーフなど、比較的安価な別商品を買わせるためです。結果として、これらの活動はビジネスモデルにしっかり着地しているんです。工業デザインやファションでは、デザインや建築とは違う点はこのように多々あると思われます。連さんがおっしゃったように建築の世界で「問題解決にばかり取り組んでいて、ヴィジョンがないじゃないか」という批判があるということは、ヴィジョンをつくることができる人をちゃんと育て、支えなければいけない、ということでもありますよね。デザイナー側だけの問題ではなく、クリエイティブ産業全体の問題なのかもしれないと思います。

──そういう考え方は可能でしょうね。そこでもう一度整理したいのですが、スペキュラティヴ・デザインは、バイオ・テクノロジーやナノ・テクノロジー、地球科学など、いままで考えられなかった科学技術や理論の台頭と同期して注目されているわけですよね。企業にデザインが所有されるマーケット構造のなかで、RCAやMITメディアラボなどが創作するヴィジョンやフィクションの力が社会と接点を持てているという実感はアカデミアのなかにありますか? あるいは実際は限定的なものなのでしょうか? 社会とのサイクルはどの程度形成されているとお感じですか。

──研究者やデザイナーのなかでも、自分がつくるものはヴィジョンと一致するサイクルで回したいという人と、なにかをつくるのであれば社会に即応するものをというサイクルで回したい人がいます。問題提起と産業は別に考えましょうという人と、両立させましょうという人ですね。例えばネリ・オックスマンなどはアーティストであり、高度にヴィジョナリーだけれど、そのヴィジョンとともに生み出されるガラスの3Dプリンティング技術[fig.12]や、微生物を利用した3Dプリンティングとか、その場で新規性のある技術を使って実際に動くものをつくってしまい、そこからさまざまに応用展開していくことも同時に行なえる研究者でもあります。研究者はそれぞれのスタンスをつくっているようにも見られるし、マクロ的には2つの態度をどうすればブリッジできるかを思案しているようにも見えます。

fig.12──Glass 3D Printing (G3DP)

文脈と原理をつなぐデザイン──「Deploy or Die」

──社会がフィクションの力を信じられない、未来のためのヴィジョンに価値を見出せない現在の傾向そのものをどう考えるかということも重要だと思います。広く言えば、政治も科学もフィクションやヴィジョンが推進力にならない傾向が続いている。このボトルネックを越えていく議論はどのように可能なのでしょうか?

水野──よくわかります。たしかにそういう議論が必要だと思います。アンソニー・ダンらが「クリティカル・デザイン」を発表した当時、美術作品との違いは何なのかが問われました。彼は、「クリティカル・デザイン」は美術作品ではなく、ありうる可能性を考えるための試作物──当時それは「ジェノタイプ」と名付けられていました──であると回答していますし、『Hertzian Tales』でも「Critical design is not art」と書かれています。

彼らのデザインは、必ずしも社会実装できるわけではありませんし、完全に機能するプロトタイプでもありません。そうした大量生産を目標にするのではなく、議論を巻き起こすことを目標とすべきだと彼らは捉えています。鑑賞者が自らの問題と認識するためには、アート作品のように、日常から切り離されたものとして扱うのではなく、自分たちの日常に入り込みうる「プロトタイプ」として鑑賞できることが重要なのです。スペキュラティヴかつ現実的で、例えば企業とコラボレーションして製品化できるデザインがつくられるかどうかは、その先の試み次第です。クリティカル・デザインやスペキュラティヴ・デザインに長く触れていると、「面白いコンセプトだけど、本当に実現するのだろうか」と思ってしまう自分もやっぱりどこかにいるからです。実際に駆動するデザインを求める声は今後ますます大きくなるでしょう。ヴィジョンを持って制作し、そのうえで実際に機能を果たすことになれば、非常にリアリティをもって社会を揺るがすことができるのではないかと思います。

──技術開発やデザインにいかにリアリティを持たせるかはつねに議論されてきましたね。「Demo or Die」(実証なき研究は無価値である)の時代には、デモンストレーションとして動いてはいるものの社会的な背景との接点をもっていない状態が見られました。「Demo or Die」とは、MITメディアラボで90年代から00年代にかけてよく言われていたフレーズで、実際に動くデモンストレーションをつくることが重要視されました。現在は「Deploy or Die」(実装なき研究は無価値である)だと言われていますが、Deploy(展開)があるということとスペキュラティヴであることの乖離が感じられるようにも思います。 スペキュラティヴ・デザインは、Diegetic(物語世界に属している)であることを目指していますが、それでは現実世界では動かないというジレンマを抱えています。MITメディアラボ内でも実際に動くけれども説明のつかない存在(デモンストレーション)と、物語性はあっても動かない存在(ダイジティック・プロトタイプ)のどちらがより説得力をもつのか、あるいはこれらのバランスをいかにとるのかという議論がよくされています。

水野──かつてMITメディアラボのニコラス・ネグロポンテ(Nicholas Negroponte)は「Publish or Perish」(論文を出すことが研究者の目的である)という格言をもじり、「Demo or Die」というテーゼを出しましたね。そして現在の所長である伊藤穣一は、それを「Deploy or Die」とさらに拡張させました。ところで、落合陽一さんは『魔法の世紀』(PLANETS、2015)で「文脈のアート」と「原理のアート」と分類されていました。文脈のアートは現代美術における文脈に依存する価値を重視し、原理のアートは文脈に依存せず、新しい技術の応用によって成立する発明による感動を指すようですが、MITメディアラボのこれまでの試みはいわば「原理のアート」中心主義とでも言うべき状態でした。「スペキュラティヴ・デザイン」はその両者を統合させ、物語性をもったプロトタイプを構築するための方法論たりえるのではないかと考えています。

──水野さんがおっしゃったように、文脈と原理をつないでいきたいという思いがあるからこそ、ただつくるだけでなく社会性も踏まえたものづくりである「Deploy or Die」を提唱しているのだと思います。社会で機能しないと意味がないという眼差しなのだと思いますが、そこにスペキュラティヴ・デザインがうまく接続されていないのが現状かと見ています。

水野──「文脈」、あるいは「未来シナリオ」依存のデザインと、「技術」依存のデザインがうまく出会わなければ、ビジネスとしてもモノとしても実装できないのでしょうね。それは、先ほどお話ししたスペキュラティヴ・デザイナーの生計の立て方とも直接関係してくる問いだと思います。

201604

特集 スペキュラティヴ・デザイン
──「問い」を発見する、
設計・デザインの新しいパラダイム


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