スペキュラティヴ・デザインが拓く思考
──設計プロセスから未来投機的ヴィジョンへ
──設計プロセスから未来投機的ヴィジョンへ
「問題解決」のためのデザイン・プロセスの開発から、問いや視点を生み出し、アクションを経て、望ましい未来や「ヴィジョン」へと接続する「問題提起型」デザイン=「スペキュラティヴ・デザイン」へ。提唱者のアンソニー・ダン&フィオナ・レイビーは「ふつう理解されているところのデザイン」から「私たちが実践しているタイプのデザイン」へとして、このような次元を構想します。
●「Affirmative」(肯定的)から「Critical」(批評的)へ
●「Problem solving」(問題を解決する)から「Problem finding」(問題を発見する)へ
●「For how the world is」(今ある世界のため)から「For how the world could be」(実現しうる世界のため)へ
●「The "real" real」("現実的"な現実)から「The "unreal" real」("非現実的"な現実)へ
●「Process」(プロセス)から「Authorship」(根源)へ ......
2010年前後から興隆する「スペキュラティヴ・デザイン」とは、どのような射程をもったデザイン思想なのでしょうか。1960-70年代のアーキグラムやアーキズーム、ピーター・アイゼンマンなどによるラディカルな建築活動にも触発されて生まれた「スペキュラティヴ・デザイン」は、翻って、社会関係の構築が重視される近年の建築傾向へのカウンターとしても機能するでしょう。
ときに高度な情報工学や生命工学、地球科学などの技術を伴いながら、また新しい哲学的存在論を形成しながら、「スペキュラティヴ(思弁的、投機的)」にアクションすること、作品をつくる実践とその意味を考えます。
まず、「スペキュラティヴ・デザイン」の歴史的な源流はどこにあるのか。さまざまな源流があると思いますが、デザインリサーチの一部としての位置づけを考えてみると、1962年にインペリアル・カレッジ・ロンドンで行なわれたデザインの方法論に関する国際学会(通称・Design Methods Conference)に辿り着きます。このカンファレンスを運営したひとりであるジョン・クリストファー・ジョーンズ(John Christopher Jones)は、自身の国際会議の発表内容など基にまとめた設計プロセス論『Design Methods: Seeds of Human Futures』(John Wiley & Sons、1970)を出版し、後年建築家の池辺陽が翻訳をした(『デザインの手法──人間未来への手がかり』[丸善、1973])[fig.1, 2]ことで知られています。本書では、今から考えれば非常に一般的であるような手法、例えば「アイデアを生み出すにあたっては、ブレイン・ストーミングという手法を用い......」といったことですら記述されていました。このような手法紹介は、直感的な勘だけに依存するのではなく、理性的な秩序立った方法を成立させるための手法を検討した結果だと考えられるでしょう。
しかし、当時は「分析-統合-評価」のプロセスを経ればデザインは完成するのだ、そして問題は分析のフレームワークなのだ、と研究者らの多くは理解しており、問題発見から解決案の実装に至るまでの複雑さに対する理解が十全ではなかったのです。『デザインの手法』にも顕著ですが、彼ら「60年代デザイン方法論者」の手法はわかりやすいマトリクスなどになっており、列挙された条件を的確にクリアしていけばデザインは成立するように考案されています。ブルース・アーチャーも同様に、条件設定を明確に行なったうえで解決を図ればよいという考え方でした。詳細に関しては1980年代になってからデザイン研究者であるナイジェル・クロス(Nige Cross)編集による論文集『Developments in Design Methodology』(Wiley, 1984)にありますので、興味がある方はぜひ読まれてみてはと思います。ナイジェル・クロスは本書で80年代にデザイン方法論の進化過程をまとめ、新しいデザインリサーチのパラダイムを明示したことで知られており、60年代から70年代にかけての進化についてもまとめています。
ナイジェル・クロスによれば70年代には社会の複雑化が進み、事前に設定された設計評価条件や尺度に基づく方法ではデザインが機能しないことがわかったため、60年代のデザイン方法論は機能不全に陥ったと指摘します。これがホルスト・リッテル(Horst Rittel)によって指摘された、Wicked Problem(意地悪な問題)と呼称されるデザインの問題です。デザインには明快な解はなく、ひとつの解は他の問題の兆候を示し......といったように、1+1=2のように明快な答えを持たないのが意地悪な問題としてのデザインの特徴です。「Design Methods Conference」に参加していた建築家のひとりにクリストファー・アレグザンダーがいましたが、彼は70年代には60年代のデザイン方法論研究を、自身が発表した方法も含め「すべて忘れろ」とまで言いました。デザインプロセスにおける試作や対話、反復、ユーザー調査なども含めた「多様な実践としてのデザインリサーチ」によって、意地悪な問題にどう取り組むかが70年代以降に問われたのです。
そして少し時間を早送りし1993年、当時RCAの学長であったクリストファー・フレイリング(Christopher Frayling)が「Research in Art and Design」という論文において、3種類のデザインリサーチの方法を提示しました。ひとつは理論的な研究である「Research into Art and Design」で、つまりは論文を書くこと。2つめは「Research for Art and Design」で、論文を補完する意味での制作をすること。そして3つめが「Research through Art and Design」というフェーズで、制作自体が知の具現化であると指摘しました。この3つめこそが、現在「Research through Design」と呼称される「制作を通して問題の所在を明らかにし、解決案を模索する」研究のデザインであり、デザインの研究なのです。
このプロジェクトでは、新しい技術によって人間環境のなにが変わるのかということを拾い集める探査機のような目的に基づき、インタラクション・デザインの領域ではよく知られている「カルチュラル・プローブ(文化探査機)」というデザインリサーチの手法が用いられています。そして、この手法の開発者のひとりがほかならぬアンソニー・ダンなのです。このようにアンソニー・ダンはデザインリサーチの世界でも成果を残してきた人物でして、そういう流れのなかで2008年くらいに「スペキュラティヴ・デザイン」を提唱したと考えるほうが妥当でしょう。彼は進化する技術と前提に、試作としての作品を通していろいろな立場の人と対話をし、議論をしながら答えを見つけていくための急進的な方法、あるいは「態度」を生み出したのです。
こうして、ここまでを時系列的に簡単に整理してみると1993年にクリストファー・フレイリングが3種類のデザインリサーチの方法を示し、99年にアンソニー・ダンが『Hertzian Tales』を発表、その後10年ほどで「スペキュラティヴ・デザイン」を確立させた、という流れがあったことが確認できます。この数年で爆発的に広がった「スペキュラティヴ・デザイン」が対象とする領域はバイオ・テクノロジーから地球環境まで極めて広範に及びますが、スペキュラティヴ・デザイナーは作品に「私たちの判断を一時的に留保させる魔法をかけている」わけです。そうすることによって、社会の未来像を対話の対象にしようと試みているのだ、ともいえます。
以上をふまえ、今日のひとつのテーマである「なぜいまスペキュラティヴであることが要請されているのか」という問いについて考えてみましょう。スペキュラティヴ・デザインは急進的な発想方法ですが、それが要請されているのはなぜか。現在、多くの企業は既存製品にちょっとずつ改良を重ね、バージョンアップを積み重ねた結果として素晴らしい製品を提供してきました。しかし、人間が技術によって生活様式を早く、大きく変えつつあるなかで、インクリメンタル(漸進的)なプロセスを採用しつづけることは企業にとって適切なのかという疑問に対峙するわけです。スペキュラティヴ・デザイナーがあえて「フィクショナルなヴィジョン」を提示することで、誰しもが技術の進化速度に対して漠然とした不安を抱えるなかでも、みんなと「ありうる」プロトタイプとしての未来像を議論する契機となりえているのではないでしょうか。
物語か実装か?
fig.5──The Tangible Media Group,
"Direct and gestural interaction with relief: a 2.5D shape display".
fig.6──スプツニ子!《Tranceflora - Amy's Glowing Silk(エイミの光るシルク)》(2015)
ただ一方で、実装性・実現よりもある種の問題を露わにすることを優位とするモチベーションと、この世界でまずは着実に稼働するものをつくりたいというモチベーションとが、いますこし乖離していると思っていて、それをどのようにブリッジしていくことができるだろうという議論が大切かなと感じています。スペキュラティヴ・デザインを通して問題を提起して終わるのではなく、どうヴィジョンへと導き、具体的なアクションを起こしていくかという点を考えたいと思っています。
水野──問題を提起し議論を巻き起こすための「スペキュラティヴ・デザイン」と、つくったものを精査してその先を考えるための「スペキュラティヴ・デザイン」。この2つの傾向が並行して起きているという印象はありますよね。そして、物語性か実装性かという議論自体がインタラクション・デザインを中心に醸成されていることは極めて重要だと思います。アンソニー・ダンという人は、たしかに「スペキュラティヴ・デザイン」を提唱した人ですが、もともとはプロダクトデザインを勉強し、SONYにいた時期もあったデザイナーですし、カルチュラル・プローブに関する論文も初出は『Interactions』です。また、彼はもともとRCAの「デザイン・インタラクションズ」学科長で、それ以前の同学科はジリアン・クランプトン・スミス(Gillian Crampton Smith)がつくった「コンピュータ・リレイテッド・デザイン」学科だったわけです。名前は何回も変わっているのですが、基本線は、マン・マシン・インタラクションの関係性を探ることを目的とした学科です。
重要なのはインタラクション・デザインにおける設計・開発には、ほかのデザイン領域に比べて時間とコストがかかる、という点です。インテルやマイクロソフトといったIT系の大企業であればなおさらです。ですから「開発が終了した段階で、人間はどのように暮らしている可能性があるのか」「新たに開発される製品によって人間はどう変わる可能性があるのか」といった問題と、「実現するためにどのような技術を開発、実装すればよいのか」という問題がつねに並列に語られているのがインタラクション・デザインの領域の特徴のような気がしています。
われわれはいま、非常にやるべきことが多い時代を生きています。これからやってくる実用化が期待される先端技術=エマージング・テクノロジーについての知識や、例えば移民の流動のようなことから、地球に惑星が衝突したときの環境変動などといった途方もないスケールまで、いろいろな考えるべきことがあります。われわれがそのような要素に巻き込まれていくなかで、「なにをどうデザインするのか?」という上流の部分のデザインが重要な課題になってきています。デザインが上流に、例えば「素材」に立ち戻ろうとする傾向はデジタル・ファブリケーションとも大きな関係がありますが、そのなかには人間を含む動植物のDNAですらデザインの対象と考えられていますよね。こういう状況においてヴィジョンだけを描くデザイナーと、蚕を遺伝子操作し、育て、強い糸を紡ぎ、生地をつくるところまで全部自分で行なうデザイナーが分離しているのが現状だという認識でしょうか。
筧──そのときに、デザインやエンジニアリングで言われる、目指すべき世界として形成される「ヴィジョン」と、ここで言う「スペキュラティヴ」な眼差しは異なるものですよね。繰り返しになりますが、スペキュラティヴ・デザインでは問題提起を扱い、その問題に対して具体的な解を示し、アクションを取るところまでは行なわれないケースが多い。「スペキュラティヴ・デザイン」が露わにする問題や視点を、議論やアクションを経て「ヴィジョン」へと接続するプロセスが必要だという印象をもっています。例えば、MITメディアラボの長谷川愛さんの作品《I Wanna Deliver a Dolphin...》[fig.9]では、人間の女性がイルカを代理出産する世界が映像で描かれます。生物学・工学的知見から、現在どこまで可能になっていて、なにが技術的課題になるかというリサーチが背景としてきちんと語られて素晴らしいのですが、これを実際に実現する方向で動くか、これがそのまま実現したい未来かというと「議論」が必要です。巻き起こされる議論を通じて、「スペキュラティヴ・デザイン」がどう「ヴィジョン」の形成に作用していくかというところまで見ていくことが面白いと感じています。
fig.9──長谷川愛《I Wanna Deliver a Dolphin...》
●「Affirmative」(肯定的)から「Critical」(批評的)へ
●「Problem solving」(問題を解決する)から「Problem finding」(問題を発見する)へ
●「For how the world is」(今ある世界のため)から「For how the world could be」(実現しうる世界のため)へ
●「The "real" real」("現実的"な現実)から「The "unreal" real」("非現実的"な現実)へ
●「Process」(プロセス)から「Authorship」(根源)へ ......
──アンソニー・ダン&フィオナ・レイビー
『スペキュラティヴ・デザイン』(ビー・エヌ・エヌ新社、2015)
『スペキュラティヴ・デザイン』(ビー・エヌ・エヌ新社、2015)
2010年前後から興隆する「スペキュラティヴ・デザイン」とは、どのような射程をもったデザイン思想なのでしょうか。1960-70年代のアーキグラムやアーキズーム、ピーター・アイゼンマンなどによるラディカルな建築活動にも触発されて生まれた「スペキュラティヴ・デザイン」は、翻って、社会関係の構築が重視される近年の建築傾向へのカウンターとしても機能するでしょう。
ときに高度な情報工学や生命工学、地球科学などの技術を伴いながら、また新しい哲学的存在論を形成しながら、「スペキュラティヴ(思弁的、投機的)」にアクションすること、作品をつくる実践とその意味を考えます。
「スペキュラティヴ・デザイン」の歴史的源流
- 水野大二郎氏
まず、「スペキュラティヴ・デザイン」の歴史的な源流はどこにあるのか。さまざまな源流があると思いますが、デザインリサーチの一部としての位置づけを考えてみると、1962年にインペリアル・カレッジ・ロンドンで行なわれたデザインの方法論に関する国際学会(通称・Design Methods Conference)に辿り着きます。このカンファレンスを運営したひとりであるジョン・クリストファー・ジョーンズ(John Christopher Jones)は、自身の国際会議の発表内容など基にまとめた設計プロセス論『Design Methods: Seeds of Human Futures』(John Wiley & Sons、1970)を出版し、後年建築家の池辺陽が翻訳をした(『デザインの手法──人間未来への手がかり』[丸善、1973])[fig.1, 2]ことで知られています。本書では、今から考えれば非常に一般的であるような手法、例えば「アイデアを生み出すにあたっては、ブレイン・ストーミングという手法を用い......」といったことですら記述されていました。このような手法紹介は、直感的な勘だけに依存するのではなく、理性的な秩序立った方法を成立させるための手法を検討した結果だと考えられるでしょう。
- fig.1──John Christopher Jones,
Design Methods:
Seeds of Human Futures.
fig.2──John Christopher Jones
『デザインの手法──人間未来への手がかり』
しかし、当時は「分析-統合-評価」のプロセスを経ればデザインは完成するのだ、そして問題は分析のフレームワークなのだ、と研究者らの多くは理解しており、問題発見から解決案の実装に至るまでの複雑さに対する理解が十全ではなかったのです。『デザインの手法』にも顕著ですが、彼ら「60年代デザイン方法論者」の手法はわかりやすいマトリクスなどになっており、列挙された条件を的確にクリアしていけばデザインは成立するように考案されています。ブルース・アーチャーも同様に、条件設定を明確に行なったうえで解決を図ればよいという考え方でした。詳細に関しては1980年代になってからデザイン研究者であるナイジェル・クロス(Nige Cross)編集による論文集『Developments in Design Methodology』(Wiley, 1984)にありますので、興味がある方はぜひ読まれてみてはと思います。ナイジェル・クロスは本書で80年代にデザイン方法論の進化過程をまとめ、新しいデザインリサーチのパラダイムを明示したことで知られており、60年代から70年代にかけての進化についてもまとめています。
ナイジェル・クロスによれば70年代には社会の複雑化が進み、事前に設定された設計評価条件や尺度に基づく方法ではデザインが機能しないことがわかったため、60年代のデザイン方法論は機能不全に陥ったと指摘します。これがホルスト・リッテル(Horst Rittel)によって指摘された、Wicked Problem(意地悪な問題)と呼称されるデザインの問題です。デザインには明快な解はなく、ひとつの解は他の問題の兆候を示し......といったように、1+1=2のように明快な答えを持たないのが意地悪な問題としてのデザインの特徴です。「Design Methods Conference」に参加していた建築家のひとりにクリストファー・アレグザンダーがいましたが、彼は70年代には60年代のデザイン方法論研究を、自身が発表した方法も含め「すべて忘れろ」とまで言いました。デザインプロセスにおける試作や対話、反復、ユーザー調査なども含めた「多様な実践としてのデザインリサーチ」によって、意地悪な問題にどう取り組むかが70年代以降に問われたのです。
そして少し時間を早送りし1993年、当時RCAの学長であったクリストファー・フレイリング(Christopher Frayling)が「Research in Art and Design」という論文において、3種類のデザインリサーチの方法を提示しました。ひとつは理論的な研究である「Research into Art and Design」で、つまりは論文を書くこと。2つめは「Research for Art and Design」で、論文を補完する意味での制作をすること。そして3つめが「Research through Art and Design」というフェーズで、制作自体が知の具現化であると指摘しました。この3つめこそが、現在「Research through Design」と呼称される「制作を通して問題の所在を明らかにし、解決案を模索する」研究のデザインであり、デザインの研究なのです。
未来との対話から生まれる投機的デザイン
- fig.3──Anthony Dunne,
Hertzian Tales: Electronic Products,
Aesthetic Experience, and Critical Design.
- fig.4──Anthony Dunne and Fiona Raby,
Design Noir:
The Secret Life of Electronic Objects.
このプロジェクトでは、新しい技術によって人間環境のなにが変わるのかということを拾い集める探査機のような目的に基づき、インタラクション・デザインの領域ではよく知られている「カルチュラル・プローブ(文化探査機)」というデザインリサーチの手法が用いられています。そして、この手法の開発者のひとりがほかならぬアンソニー・ダンなのです。このようにアンソニー・ダンはデザインリサーチの世界でも成果を残してきた人物でして、そういう流れのなかで2008年くらいに「スペキュラティヴ・デザイン」を提唱したと考えるほうが妥当でしょう。彼は進化する技術と前提に、試作としての作品を通していろいろな立場の人と対話をし、議論をしながら答えを見つけていくための急進的な方法、あるいは「態度」を生み出したのです。
こうして、ここまでを時系列的に簡単に整理してみると1993年にクリストファー・フレイリングが3種類のデザインリサーチの方法を示し、99年にアンソニー・ダンが『Hertzian Tales』を発表、その後10年ほどで「スペキュラティヴ・デザイン」を確立させた、という流れがあったことが確認できます。この数年で爆発的に広がった「スペキュラティヴ・デザイン」が対象とする領域はバイオ・テクノロジーから地球環境まで極めて広範に及びますが、スペキュラティヴ・デザイナーは作品に「私たちの判断を一時的に留保させる魔法をかけている」わけです。そうすることによって、社会の未来像を対話の対象にしようと試みているのだ、ともいえます。
以上をふまえ、今日のひとつのテーマである「なぜいまスペキュラティヴであることが要請されているのか」という問いについて考えてみましょう。スペキュラティヴ・デザインは急進的な発想方法ですが、それが要請されているのはなぜか。現在、多くの企業は既存製品にちょっとずつ改良を重ね、バージョンアップを積み重ねた結果として素晴らしい製品を提供してきました。しかし、人間が技術によって生活様式を早く、大きく変えつつあるなかで、インクリメンタル(漸進的)なプロセスを採用しつづけることは企業にとって適切なのかという疑問に対峙するわけです。スペキュラティヴ・デザイナーがあえて「フィクショナルなヴィジョン」を提示することで、誰しもが技術の進化速度に対して漠然とした不安を抱えるなかでも、みんなと「ありうる」プロトタイプとしての未来像を議論する契機となりえているのではないでしょうか。
物語か実装か?
──「クリティカル・デザイン」「デザイン・フィクション」
- 筧康明氏(MITメディアラボよりSkype討議)
"Direct and gestural interaction with relief: a 2.5D shape display".
- fig.7──Michael Bruce Sterling,
Shaping Things.
fig.8──Michael Bruce Sterling,
"Design Fiction", in Interactions.
ただ一方で、実装性・実現よりもある種の問題を露わにすることを優位とするモチベーションと、この世界でまずは着実に稼働するものをつくりたいというモチベーションとが、いますこし乖離していると思っていて、それをどのようにブリッジしていくことができるだろうという議論が大切かなと感じています。スペキュラティヴ・デザインを通して問題を提起して終わるのではなく、どうヴィジョンへと導き、具体的なアクションを起こしていくかという点を考えたいと思っています。
水野──問題を提起し議論を巻き起こすための「スペキュラティヴ・デザイン」と、つくったものを精査してその先を考えるための「スペキュラティヴ・デザイン」。この2つの傾向が並行して起きているという印象はありますよね。そして、物語性か実装性かという議論自体がインタラクション・デザインを中心に醸成されていることは極めて重要だと思います。アンソニー・ダンという人は、たしかに「スペキュラティヴ・デザイン」を提唱した人ですが、もともとはプロダクトデザインを勉強し、SONYにいた時期もあったデザイナーですし、カルチュラル・プローブに関する論文も初出は『Interactions』です。また、彼はもともとRCAの「デザイン・インタラクションズ」学科長で、それ以前の同学科はジリアン・クランプトン・スミス(Gillian Crampton Smith)がつくった「コンピュータ・リレイテッド・デザイン」学科だったわけです。名前は何回も変わっているのですが、基本線は、マン・マシン・インタラクションの関係性を探ることを目的とした学科です。
重要なのはインタラクション・デザインにおける設計・開発には、ほかのデザイン領域に比べて時間とコストがかかる、という点です。インテルやマイクロソフトといったIT系の大企業であればなおさらです。ですから「開発が終了した段階で、人間はどのように暮らしている可能性があるのか」「新たに開発される製品によって人間はどう変わる可能性があるのか」といった問題と、「実現するためにどのような技術を開発、実装すればよいのか」という問題がつねに並列に語られているのがインタラクション・デザインの領域の特徴のような気がしています。
われわれはいま、非常にやるべきことが多い時代を生きています。これからやってくる実用化が期待される先端技術=エマージング・テクノロジーについての知識や、例えば移民の流動のようなことから、地球に惑星が衝突したときの環境変動などといった途方もないスケールまで、いろいろな考えるべきことがあります。われわれがそのような要素に巻き込まれていくなかで、「なにをどうデザインするのか?」という上流の部分のデザインが重要な課題になってきています。デザインが上流に、例えば「素材」に立ち戻ろうとする傾向はデジタル・ファブリケーションとも大きな関係がありますが、そのなかには人間を含む動植物のDNAですらデザインの対象と考えられていますよね。こういう状況においてヴィジョンだけを描くデザイナーと、蚕を遺伝子操作し、育て、強い糸を紡ぎ、生地をつくるところまで全部自分で行なうデザイナーが分離しているのが現状だという認識でしょうか。
筧──そのときに、デザインやエンジニアリングで言われる、目指すべき世界として形成される「ヴィジョン」と、ここで言う「スペキュラティヴ」な眼差しは異なるものですよね。繰り返しになりますが、スペキュラティヴ・デザインでは問題提起を扱い、その問題に対して具体的な解を示し、アクションを取るところまでは行なわれないケースが多い。「スペキュラティヴ・デザイン」が露わにする問題や視点を、議論やアクションを経て「ヴィジョン」へと接続するプロセスが必要だという印象をもっています。例えば、MITメディアラボの長谷川愛さんの作品《I Wanna Deliver a Dolphin...》[fig.9]では、人間の女性がイルカを代理出産する世界が映像で描かれます。生物学・工学的知見から、現在どこまで可能になっていて、なにが技術的課題になるかというリサーチが背景としてきちんと語られて素晴らしいのですが、これを実際に実現する方向で動くか、これがそのまま実現したい未来かというと「議論」が必要です。巻き起こされる議論を通じて、「スペキュラティヴ・デザイン」がどう「ヴィジョン」の形成に作用していくかというところまで見ていくことが面白いと感じています。
- 「スペキュラティヴ・デザイン」の歴史的源流/未来との対話から生まれる投機的デザイン/物語か実装か?──「クリティカル・デザイン」「デザイン・フィクション」
- 建築・都市のスペキュラティヴ・デザイン──「プロジェクト」と「プラクティス」/マーケット構造のなかのヴィジョンの力/文脈と原理をつなぐデザイン──「Deploy or Die」/
- 革新的開発か漸進的改良か──スペキュラティヴ・デザインと投資の生態系/スペキュラティヴ・デザインの教育への汎用可能性/ウィキッド・プロブレム(意地悪な問題)への非線形的アプローチ/スペキュラティヴ・デザインの日本的な応用可能生にむけた議論を