第5回:せんだいメディアテークをめぐって
[討議]
《せんだいメディアテーク》以降
難波──《せんだいメディアテーク》の前と後の変化について、お二人に質問したいと思います。佐々木さんは《メディアテーク》の話の最後に、自身の構造設計観を二つのテーマに整理されました。ひとつは「骨組構造」で、最後はフレームを消していくというテーマです。もうひとつは「空間構造」で、こちらのテーマはフラックス・ストラクチャーへと展開していきます。この二つのテーマが《メディアテーク》以降は一体化しているように見えます。それは意識的なプロセスなのかどうか、お聞きしたい。
伊東さんは《メディアテーク》の話で、当初はチューブの存在感を消したかったのに、最後はチューブの物質的な存在感が自分を守ってくれるような考えに変わったという話をされました。それ以前は、軽く、透明で、流れるような空間を追い求めていたのが、《メディアテーク》をきっかけに、あらためて物質的存在としての建築のあり方に気づき、それ以降は建築の物質性をテーマにするようになったという趣旨でした。でも最近では、またもとのような流体的空間に戻っているような感じがしていますが、いかがでしょうか。
佐々木さんには二つの大きな流れが、現在の構造的なテーマとどう関係しているのかということ、伊東さんには《メディアテーク》以降に建築の物質性に対する考え方がどのように変わったのかということ、現在までのご自身の活動をどのように認識しているかについて、お話しいただけますか。
佐々木──「フレームの消失」は、ただフレームを消失させるのではなくて、普遍的システムとして定着したラーメンから美学的にも力学的にも自由な形でありたいという志向の結果です。美学と力学の自由を求めていくことで、既往のカッチリした軸組構造に対して「フレームの消失」というテーマでやってきていたということがあとからわかった。結果論であって、最初から意図していたわけではありません。
難波──でも、佐々木さんは、以前ラーメン構造が好きではないと言われたことがあるし、大学院の時の研究テーマが空間構造だったことを考えると、「結果論でしかない」といういまの答えはちょっと格好よすぎですね。僕の見るところ、ラーメン構造は嫌いなのでフレームは消したい、だから何とか立体構造に近づけたいというのが本音ではないでしょうか。伊東さんはいかがですか。
伊東──「フレーム」と関係して言うと、僕はずっとグリッドに対する抵抗感があって、極言すると東京の中高層建築はほとんどすべてグリッドでできている、それってつまらないといつも思っているのです。東京の建築はすごくきれいでよくできているけれど、それだけでいいのでしょうか。そのなかで人々がみな同じような暮らしをしていて動物的な感受性をどんどん失っているんじゃないかなって。僕のつくる建築はささやかな建築だけれども、例えば《多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)》ではグリッドを歪めていくことによって別の質を生み出すとか、《台湾大学社会科学部棟》の図書館では放射状に広がる幾何学によってグリッドとは違ったシステムがどういう空間を生むかを試すとか、なんとかしてグリッドや均質さに抵抗しようとしているのです。
はじめの難波さんの質問は、物質的なテーマからまた離れてきているということですが、物質に対する執着は僕としてはけっこう持続しているつもりなんです。例えば以前はアルミを使うときに、アルミがアルミであることを失うような──例えばそこに光が当たってアルミという素材が消えるような──ことをやりたいと思っていたんだけど、いまはアルミそのものの存在感を見せる方向で素材を使います。木でも石でもレンガなんかも使うし、ますますそういう素材感を出していこうとしていますね。いままでは視覚的に建築を考えてきたけれど、触覚とか嗅覚とか聴覚とか、もっと感覚で人間と向かい合う建築をつくることによって、もう少し人間が人間的な存在であることを回復したいという思いがあるからです。
難波──伊東事務所のスタッフだった平田晃久さんに対して、伊東事務所にいて一番抵抗を感じていたことは何だったかという意地悪な質問をしたことがあります。その際にすぐに返ってきた回答は、伊東さんはグリッドを崩したり歪めたりして流動的な空間をつくるけど、外形はいつも単純な箱にする。その点に違和感を感じたと言っていました。この指摘についてはどうですか。
伊東──僕は空間がどこまでも続いていくといいなと思っているんですよ。《せんだいメディアテーク》もそうですし、ほとんどは幾何学でどこまででも広がっていける設定をしているのだけれど、でも現実は敷地があったらそこで切れる。だから切断面が出ているだけという考えです。例えば《台中国立歌劇院》のファサードも切断面です。バサッと切ったほうが潔いなというか、そんなことを考えています。
難波──確かに現実問題として、境界条件は自由にならないわけですね。
佐々木──伊東さんの言う「切断」は、シェルのタイプにも影響します。球殻のように閉じたシェルとHPシェルのように開いたシェルの二つのタイプがあるうち、例えば《瞑想の森市営斎場》はHPシェルのような開いたタイプでできています。僕としては、「切断」を自由曲面の形態とその境界条件との関係でとらえることが可能だと考えています。
建築にとっての「強さ」
会場──《せんだいメディアテーク》や《MIKIMOTO Ginza2》では、「強さ」ということを伊東さんはおっしゃっていましたが、一見あのような軽やかな建築にとっての「強さ」とはどのようなことですか。
伊東──建築の構造は実際にそこに力がみなぎっているかが見に行くとすぐに感じるものです。人間は動物だから、吊られている構造の中に入ったらこれは下から支えられているのとは違うことを察知するんですよ。佐々木さんにはそういうことをいつも一緒に考えていただいています。佐々木さんの考える構造はとにかく力強いんだよね。薄ければ薄いほど、軽ければ軽いほど逆に、力がみなぎっていることがわかる。《カリフォルニア大学バークレー美術館》なんかは薄くすることによって、鉄板の緊張感が出たよい例です。
難波──哲学で「アンタンシテintensité」──英語ではintensity、日本語で言えば強度──という概念がありますけど、僕はそれがぴったり当てはまると思います。つまり単純に力学的な強さではない。システムとしての緊張感ですね。
会場──伊東さんは佐々木さんとの協働の一方で、ほかの構造家とも仕事をされています。どういう基準で構造家の方を選んでいるのか、とくに佐々木さんとのプロジェクトではどのような期待をされるのでしょうか。
伊東──プロジェクトの規模と構造家のオフィスの規模も多少関係しているかもしれませんが、明確な理由はありません。僕がお願いしている構造家は、木村俊彦先生、佐々木さん、アラップ社のセシル・バルモンド、そのお弟子さんのようなかたちで金田充弘さん、あと木村門下生の新谷眞人さんです。佐々木さんの特徴は美しく解いてくれることかな。構造家に限らず設備の専門家なんかとも対話しながらつくっていくことは僕にとってたいへんに重要です。
難波──伊東さんはよく「佐々木さんを怒らせないとだめだ」と言われますね。スタッフとしてはなかなか大変だと思いますが、佐々木さんの怒りの理由を推し量り理解できるスタッフでないと務まらない。伊東事務所にはそれができる優秀なスタッフがたくさんいるということだと思います。
伊東──怒らせるというわけではないんだけれど、佐々木さんはあるときにスイッチが入るんですよね。それがないと僕にとっては面白くない。そういう瞬間をやっぱり期待していて、そうなると面白いですよ。話し方から変わってきますから。そうなったら「やった!」ってなるんです。
- 左から、難波氏、佐々木氏、伊東氏
201605
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2020-06-01