《大宮前体育館》から考える

青木淳(建築家)+菊地敦己(グラフィックデザイナー)

「約束事」を壊す、公共建築

菊地──《青森県立美術館》《大宮前体育館》《三次市民ホール》の3つの作品は、青木さんの設計の中心的な位置にあると思うのですが、ルイ・ヴィトン[fig.8]や住宅設計の仕事もずっとそこに並走していますね。

青木──そうですね。どれも自分の好みでつくるのではないという点では同じですが、それらのあいだには違いがあります。
公共建築はクライアントの顔が見えないので、何が求められているのかではなく、そこにどんな空間ができたらいいのか、ということから考えます。役所が発注するので彼らがクライアントだと言うこともできますが、実際にその建物を使うのは市民です。では、市民って誰かというと、これもどの市民と特定することはできない。そして建物ができてはじめて、それを使う市民が現われる。そういう状態で設計するわけです。だから、公共建築ではクライアントがいないので、理屈からスタートすることになります。
ところが、住宅であれば住む人が、ルイ・ヴィトンであればルイ・ヴィトンの人たちとそのお客さんがクライアントです。クライアントがはっきりしているから、課題が明確で、これは健康的で楽しい仕事です。

[fig.8]《ルイ・ヴィトン 松屋 銀座》(2013)、撮影:阿野太一

菊地──ルイ・ヴィトンと住宅の仕事は似通ったところがあるということでしょうか。

青木──似ていますね。住宅をつくるときに「どういうふうにしたいですか」と聞いてもすぐに答えはでてこない。設計を進めながら、次第にその人の価値判断や考え方がわかってきます。ブランドとの仕事も同じようなところがあります。ブランドがどのように考えているのかを聞いても答えは返ってきません。つくっているなかで徐々に方向が見つかっていきます。

菊地──青木淳という建築家を考えるときに、どの仕事から見るのかでずいぶん様相が変わってくるのが面白いと思います。海外から見た青木さんは、ルイ・ヴィトンのイメージが強いのではないかと思います。青木さんはご自身の仕事の中心は公共建築にあるとお考えですか。

青木──公共建築は冒険的につくれるのでとても面白いのですが、できるまでずっと不安なんです(笑)。『JUN AOKI COMPLETE WORKS |3| 2005-2014』のなかで「約束事」について書いています。ルイ・ヴィトンの仕事は楽しいですが、モダニズムと同じ美学が貫かれていると思っています。つまり、その美学の範疇のなかでやるという「約束事」がまずあります。それに対して、公共建築の設計は自由演技で、これまでの美学ではなかったところからやる面白さですね。テーマそのものを自分で考え、しかも「約束事」をなるべく壊そうとしています。

菊地──《青森県立美術館》ではルイ・ヴィトンに通ずる意匠的なアプローチもあったと思いますが、それ以降の作品にはほとんど感じられません。「装飾性」と言ってもいいのかもしれませんが、《青森県立美術館》を境に変わった印象があります。それは意識的なものなのでしょうか。

青木──ルイ・ヴィトンの仕事において、装飾はとても大きい問題です。装飾は近代的な考え方では無駄なもの、よくないものとされていますが、必ずしもそうではありません。装飾=ネガティヴなものという「約束事」をひっくり返したいと思い、装飾的なもの、表面的なものこそに意味があるかもしれない、と思ってやってきました。その問題意識は《ルイ・ヴィトン 銀座並木》(2004)ができた時にだいたい理解できたと感じたので、そこから先は、装飾の議論にはリアリティが感じられず、あまり追求していません。今、興味があるのは、装飾性のないところで何ができるか、ということのようです。

ふたたび作品集について


会場からの質問──『JUN AOKI COMPLETE WORKS |3| 2005-2014』について質問をさせてください。この本の巻末に収録されている図面の色分けについてお聞きしたいと思います。通常ですと図面の色分けは敷地と建物、外と内といった境界を示すと思うのですが、この本の図面は、同じ内部空間でも色が微妙に違っていたり、グラデーションになっていたりしますね。この色分けの意味について教えて下さい。

青木──色分けについては、じつは、同じルールでつくられています。住宅は住宅の、大きな建物は大きな建物の、とジャンルによってのルールの違いはありますけれど。種明かしをすると、菊地さんにならって、ルールから逸脱しないようにして、どのような問題が起きるかを試しているんです。ところで、この図面、正確には図面ではありません。平面図では壁厚が読み取れないし、断面図ではスラヴ厚も読み取れないからです。では何かというと、最初にこの建物を考えたときのスケッチをCADで再現したもの、ということになりますね。

菊地──言うなればこれはイメージ図ですね。建物のどこに主眼を置いているかが見えやすくなります。

青木──そうですね。建物によっては天井伏図しかないものもありますが、それはその建物にとって一番重要だったのが天井伏図だったからなんです。
この姿勢は、作品集全体を通して言えることです。ふつうの建築作品集では、カラー写真で建築の全体がわかるように構成しますが、今回はそういう見せ方はしていません。写真も文章もデータも作品集としての約束事とちょっとはずれるようなつくり方をしています。

菊地──写真についていえば、《大宮前体育館》は構成を自ら崩しているようなところがあるので、全体像を撮影し構成を見せようとしても捉えにくい。また、あの建築が持っている空間の感触もうまく伝わりません。であれば、説明的なものをなくし、ディテールや人の動きを写真家の主観を持って撮影したほうが自然なのではないかと考え、このような方法を採っています。建築の専門家は、全体が見えないことでストレスを感じるかもしれませんが。

青木──どうなんでしょうね。ぼく自身はストレスを感じないのですけれど。じつは、この作品集ができた時はとても不安になりました。こんな本にしちゃって大丈夫かなって......。でも菊地さんには、この作品集がわかりづらいとすれば、それは《大宮前体育館》がわかりづらいからですよと突っぱねられてしまいました(笑)。

菊地──まだ青木さんが不安にかられた理由がわかっていないんです。具体的にどのようなところに不安を感じられたんでしょうか?

青木──よく考えてみるとその不安は、自分がこの10年につくったものに対しての不安だったのかもしれません。構成がわからないようにつくること自体、ふつうに考えればおかしいわけです。わかりやすくつくっていれば何の問題もないところをあえて構成がわからないようにつくっているので......。

菊地──青木さんの建築は、今後はもう少しかたちが前にでてくるのではないかと思うのですが。

青木──そうですね。もうすぐ竣工する十日町のプロジェクトは、今までよりさらにかたちがないんですが、その後はもっとかたちがでてくるような気がしています。と自分で言うのも変ですね(笑)。



[3月22日(火)、代官山 蔦屋書店にて]




青木淳(あおき・じゅん)
1956年生まれ。建築家。青木淳建築計画事務所主宰。作品=《青森県立美術館》(2005)、《大宮前体育館》(2014)、《三次市民ホール》(2014)ほか。著作=『原っぱと遊園地』(王国社、2004)、『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS|1| 1991-2004』(LIXIL出版、2004)、『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS〈2〉青森県立美術館』(LIXIL出版、2006)、『JUN AOKI COMPLETEWORKS |3 | 2005-2014』ほか(LIXIL出版、2016)。

菊地敦己(きくち・あつき)
1974年生まれ。アートディレクター、グラフィックデザイナー。2000年ブルーマーク設立、2011年解散。同年に菊地敦己事務所設立。オルタナティブ・ブックレーベル 「BOOK PEAK」主宰。青森県立美術館VI/サイン計画、サリー・スコット、ミナ ペルホネンのブランド計画などを手がける。作品集=『PLAY』(誠文堂新光社、2009)。


201606

特集 青木淳 かたちってなんだろう


《大宮前体育館》から考える
《馬見原橋》から考える
建築が町にできること
市民社会の建築家・青木淳
論理場としての建築の開放性について
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る