市民社会の建築家・青木淳

倉方俊輔(建築史家、大阪市立大学准教授)

集団の混成計画

《三次市民ホール》を訪れた感覚は、従来の多くの市民ホールや市民会館と圧倒的に違う。訪れる一人一人の快適さを考慮して、丁寧に設計されたホールという形容とは異なる。その理由を考えてみると、1,006人という大ホールの定員をまとめて扱い、そこに演じる側の空間が付属し、見る側の1人が開場してから終演するまでの決まった時間を過ごすというのとは、根本的に別の発想から設計されていることに気づく。
さまざまなスケールの集団が市民社会にあることが前提とされているのだ。1人で佇んでいても市民である。それが10人であれば、バラバラにいる1人の10倍、というように単純にはいかないし、それぞれに違った顔を持つ。その顔は集団によって異なる。それが100人、1,000人になると、ふるまいも変わる。ある市民は、時にこちらの集団の一員であり、時には別のグループに加わるだろう。このように流動的に、小集団を形成しながら生きる市民と、この建築は向き合っている。レッテルを貼られた静的なユーザーでなく、動きを有した使い手を前提としているのだ。
地上から5m上げられた「町のようなホール」と、さまざまな目的に活用されている下部のピロティは、空間の形によって人を刺激し、自律的なさまざまなスケールの集団が市民社会に存在している状況を可視化させる。期待されているのは、ここでの出来事が、日常の市民生活にフィードバックされるような関係性だろう。これは興行を主眼とする商業建築では成り立ちにくい。「お客様」の一人一人を丁寧に扱い、満足を与えて帰ってもらうだけであれば、民間の建築でも構わないわけで、公共建築はその単なる代替ではない。わざわざ建てるのであれば、公共性を育む機能が含まれていないといけない。この本来の施設用途から出てくる当然の道理が、本施設を市民社会を強化する装置にしている。それが町の中に投げ込まれた。第二の「町」は、周辺の「町」と一旦切れながら、つながっている。
最後にエントランスに言及したい。第一の町と第二の「町」の媒介になっている緩やかな階段は、全体のなかでもっとも「建築家」的な部位かもしれない。機能は昇降のみだが独立した形で、空間の体験は印象的。これまでの青木さんの作品との連続性も直接に感じられる。だが、無駄ではない。経験の最初と最後を締めている。ホールらしい晴れがましさをモダンな空間で継承し、動きを直接に表した形態はユーモラスなキャラクターになっている。この心に刻まれる部位が無かったら、「町のようなホール」という体験はバラバラになってしまうだろう。身体的な体験においても視覚的な形態においても、エントランスはキャラ立ちしている。こうした種類の象徴性は、本人はいわゆるポストモダニズムと一緒にされる危険性からそのような言い方はしないが、青木さんの作品に一貫して見てとれる。

リノベーション、ドボク、カワイイ、キャラ

以上、《三次市民ホール》から観察してきた青木さんらしさをまとめよう。建築観においては、やりすぎない形(リノベーション)、そのままの構造(ドボク)、自律したディテール(カワイイ)、自然に思える象徴性(キャラ)といった現代的な感覚の持つ良さを取り入れていた。どれも従来、ともすると「こんなの『建築』じゃない」と思われていた要素である。計画面においては、人間の持つさまざまな動きのスピードと、人間が構成するさまざまなスケールの集団を前提としている。建築の使い手は、バラバラの個人でもなければ、マスでもない──そして2つはいわゆる「近代社会」を構成する概念として結託している──というのは、青木さんの人間観の反映と言えるだろう。そして、具体的な設計が防災性能や指定管理者制度といった時代の課題を柔軟に捉えて、展開されるのも、面白いところだ。そんなものは流行の「ポリティカルコレクトネス」だとして、時代や場所から超越した作品性・思想性を一気に打ち立てようとはしない。反対に必要以上に大きく取り上げて、新時代の建築を創出する自己の正当化を図ることもない。与条件のひとつとして捉え、他の条件と同様に処理する。したがって、完成した建築を訪れると、防災性能の向上や指定管理者制度の導入といった現代の流れが、良いもののように思える。与条件のうち、最大のもののひとつが施設用途である。《三次市民ホール》は、今の時代に公共建築をつくるという意識から、設計が始まっている。《大宮前体育館》が「健康増進施設」の展開であるのと同様だ。以上のような設計によって、身体的にも精神的にも「一人一人が思い思いに」いられる場所が育まれている。感じられるのは、青木さんの市民社会に対する最終的な信頼だ。

最新作品集に対する不安

『JUN AOKI COMPLETE WORKS |3| 2005-2014』は、その名の通り、青木さんの作品集の3冊目だ。ただし、これまでの2冊以上に、建築家作品集然としていない。取り澄ました竣工写真も、建築家の思想を伝える模型写真も、排除されているわけではない。ただ、それらは建物のどの場所かわからないような断片的な写真や、人々の行動を伝えるスナップショットなどと並置されている。明らかなのは、竣工した建築物も、建築家の自意識も、使われ方も同等に扱って客体化しようという、青木さんの一段と高次な意識である。前の2冊と違って、収録されたテキストが青木さんが執筆した4本だけであることも、こうした方向性と一致する。青木淳が論じられるのではなく、青木淳が関わって生まれた建築が論じられて、テキストは竣工時の「つくり手」の自意識の主張ではなく、「受け手」としての現在の観察になっている。時間を経て、ゴロンと投げ出されたものとして、建築の思い思いの断片を切り出した写真、そしてテキストが同等に並べられている。
少なくとも前半の2本のテキストに関しては、このように言える。《青森県立美術館》を扱った「2005年」と「2008年」は、出現した建築物を改めて観察し、自らの心理が何だったのかを振り返った発見的な文章だ。たとえば次のような一節が、訪れた側の感想としても腑に落ちる。

そう、青森県立美術館は、空間の質として言うならば、見てくれを気にするいわゆる「デザイン」ではなく、逆に、見てくれを気にしない「デザイン」を目指していたことに、数年経って、思い当たったのです。★4

当然のことながら設計者である青木さんは「つくり手」としての心理も、記憶のなかに保持している。それと現在からの観察を行き来させている。だから、他の人が行なうよりも、質の高い批評になっている。「思い当たった」とは、じつは誠実な言い方である。「建築家」とは統一された主格のようでいて、しかし、なぜこの形でなくこちらなのかという瞬間の判断がすべて理性的に行なわれているわけではないだろう。また、時間の経過による認識のされ方の変化を完全に繰り込めるわけでもないし、そもそも与条件に規定されている。与条件すらも変化し続けるものでラスト(最後/最新)の瞬間にそうであったというだけに過ぎない。なのに、近代の「建築家」が自分の設計が一瞬に理性的に完成したかのように振舞うのはおかしい、と指摘したのが磯崎新であることは言うまでもなく、青木さんの文章はいつもやさしい言い方のなかに、建築的知性の歴史的蓄積を含んでいる。
ただ、後半の「2008年から2011年」と「2011年から2014年」を読み進めると、そのようなコンセプトに破調が生まれているのではと感じる。前者で論説の主な対象になっているのは、つくる「主体」の意識だ。後者では東日本大震災以降の「状況」が前面に出ている。建築というモノはほとんど語られていない。これらは通常の作品集に載るような、建築家のテキストという範疇に収まっているように感じる。発見的な《青森県立美術館》の文章を読んだ後だけに、ズレが気になってしまう。
それは《大宮前体育館》と《三次市民ホール》の竣工からの時間的な距離が《青森県立美術館》ほど離れていないからだろう、という解釈が考えられる。建築家の自意識や時代状況が、建築というモノの意味を説明してくれるわけではない。直接的には無関係である。時間が経つにつれて、当時の意識や状況が剥がれ落ちて「受け手」としての言葉に変わっていく。後半部はまだ生乾きなので「つくり手」の言葉が自然に出てしまっているだけで、これから《青森県立美術館》のような文章になるのではないか。この解釈が適切だとしたら、安心だ。とすれば、こうした写真とテキストとのズレも、また青木さんらしい。書籍全体のコンセプトも理性でガチガチに固めるのではなく、時間的な距離による意識の変容が自然に現れているということになるから。
ただ、不安が無くはない。2つのテキストはいつになくシリアスに感じられる。むろん、青木さんはいつも真摯だ。けれど、それは真摯を言い訳にする「建築家」の自意識の産物ではない。いつも「建築家」よりも「建築(というモノ)」を上に置いて、それに対して建築家ができることは何かを問いかける。そんな青木さんがこれまで書いてきたものと比べると、今回、つくられたものの質の話ではなく、主体の話に終始していることが気にかかる。結論が「『私』をもっとも無防備な状態におく」というものだとしても、何かそこに、時代状況を私が引き受ける(という宣言を行なう)というヒロイックな「建築家」のパフォーマンスへの接近を感じてしまうのだ。それくらいに本稿の初めに引用したリーマンショック以降の社会、東日本大震災、そして「建築家」を取り巻く状況の深刻さが、青木さんの思考に暗い影を落としているのではないか。もちろん、これらは深刻な問題だが、「建築家」が身を硬くすることで、状況が良いほうに向かうとは思わない。これが青木さんの変化や、最新の到達点として一般に認識されるとしたら、それもあまり良い方向性とは言えない......以上はおそらく私の考え過ぎだろう。

201606

特集 青木淳 かたちってなんだろう


《大宮前体育館》から考える
《馬見原橋》から考える
建築が町にできること
市民社会の建築家・青木淳
論理場としての建築の開放性について
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