コンピュテーショナル・デザインと拡張するAI技術

小渕祐介(建築家、東京大学建築学科准教授)
ドミニク・チェン(株式会社ディヴィデュアル共同創業取締役)

日本に馴染まない思考

小渕──欧米では、コミュニケーションにズレがないように最適化するために情報技術が普及しました。職人や技、知恵があまりないところで展開されてきたものなのです。コンピュータで何ができるかという可能性を試しながらコミュニケーションが考えられてきました。日本の場合は、最初からその必要性がなかったのです。

ドミニク──お話を聞いていて、インターネットをはじめとした情報技術におけるこの15年ほどの歴史的現象のなかで、ゲーリー・テクノロジーズの発想に近いと思ったのが、「分散型バージョン管理システム」の話です。1990年代までは「Subversion」というあまり出来のよくないバージョン管理ソフトがありました。4〜5人で開発するのであれば、みんなで目配せをしながら、異なるバージョンをマージ(統合)することができますが、チームが100人とか1,000人規模になったり、ソフトウェアの規模が大きくなればなるほど、バージョン間のコンフリクト(競合)が起きてしまって使いものにならないのです。そこで、「Linux」をつくったリーナス・トーバルズが開発し始め、世界中から沢山エンジニアがコミットして、自分たちでバージョン管理システムをつくりました。それが「Git」です。いま、ほとんどすべての企業や個人のソフトウェアや、オープンソースのソフトウェアはGitによって管理されていますし、GitそのものもオープンソースのGitによって管理されていて、まさに世界中の何万人のエンジニアによって使われている巨大なオペレーションシステムです。そして、そのGitをWebの世界に持ってきたのがシリコンバレーの「GitHub」という会社で、簡単にいうとGitをWebブラウザー化しました。いま、世界のほとんどのエンジニアがGitHub.comを使って仕事をしていますし、Gitに触らない日はないといっても過言ではないでしょう。英語が使えなくても、コードが書ければ意味が通じますし、矛盾なくコミュニケーションをするためにまさに「必要とされたアーキテクチャ」なのです。
アメリカの契約型社会にヒントがあるという指摘でしたが、著作権の世界も同様です。僕はアメリカで生まれた「クリエイティブ・コモンズ」という活動に関わっていますが、10年間関わり、広めようとしながらも、この仕組みが日本文化に合うのかはいまだに悩み続けています(笑)。非常にアメリカ的な仕組みであり、ちゃんと署名をして意思表示をするという発想自体が日本文化になじまないと言う人も沢山います。確かに部分的にはその通りで、逆にその違いは面白いと思います。例えばコミックマーケットは「アノニマス」な集合です。原作者も出版社もその限られた日だけはおめこぼしをするという特殊なイベントとして成り立っていますよね。普段は署名性のある仕事をしている人でも、コミケでは二次創作物の交換したりする。そういった活動は基本的にマージナルな存在ですが、むしろだからこそ気軽に参加できたりする。クリエイティブ・コモンズのように個人として創作物をオープンにすることにも興味がありますが、同時にあえて明文化しないからこそ生まれる価値というものがあると思い至りました。

小渕──ドミニクさん自身は、アメリカ的なのか、日本的なのか、どちら側の人なのですか。

ドミニク──どちらも共感してしまいますね(笑)。日本では、「クリエイティブ・コモンズ・ジャパン」というNPO法人名でしたが、コミケに特化したライセンスを発表した2013年に「コモンスフィア」に変更しています。ただクリエイティブ・コモンズ・ライセンスを輸入するだけではなく、コミケに参加されている先生方と共に、コミケのルールのなかで一緒に同人ライセンスをつくりました。
僕自身は文化的に西洋(フランスとアメリカ)と東洋(日本)の板挟みでした。クリエイティブ・コモンズではアメリカの優れた制度を日本に輸入しようとしたのですが、この数年のあいだで、もしかしたら輸入して普及活動を行なうという発想だけではダメだったのではないかと思うようになっています。クリエイティブ・コモンズはグローバルなルールをつくることに成功しましたが、ローカルな文化を活性化させるためのアクションとしては、日本的ではないものを持ってくるのではなく、日本のなかでのリアリティに即して新しく発明したほうが、結果的に自分たちの目指すものにたどり着くのではないかと思い直しています。

小渕──私も日々、そういう悩みがあります。私の頭のなかは基本的に欧米的な考え方になっています。16歳まで日本にいたので、日本のこともわかっているのですが、根本的な考え方にあまり同意できない(笑)。アメリカは国として成り立った時点で、デモクラシーが前提にあり、個人の存在を基本に物事が決まっていて、その発展の歴史があります。日本でのデモクラシーの概念は近代社会に始まっていますから、それほど定着していない感じもあります。クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのシェアや、一個人がエンパワーされるシステムは馴染まないように思います。

ドミニク──やはりそう思われますか(笑)。とはいえ、ハイブリッドの僕としてはどちらか一方が正しいということではなく、個人のエンパワーメントとアノニマスなダイナミクスを架橋していきたいと思っています。
建築家の吉村靖孝さんによる「CCハウス」という展示があり、クリエイティブ・コモンズの人間としてお手伝いをしました。吉村さんもすごくプラクティカルな問いから始めています。日本の建築家は、特定の条件を持った狭小住宅を時間を掛けて設計しますが、それは一度しか使えないものなので、コストパフォーマンスが悪い。特定の施主のためにつくった設計図を利活用できるようにするため、CCライセンスによる改変権を付けた状態で工務店に販売するというものです。そうすると、東京で設計した住宅の図面を、例えば鳥取の工務店が買って、現地の施主のためにリミックスしてつくることができます。デザインの継承関係は辿れますし、印税のようなかたちで建築家にもお金が降りてきます。また、思想的なバリューとして託していたのは、ゼネコンや大手メーカーが広める、いわゆるモデュール化され、画一化された風景を、少しでもヴァナキュラーなものにしていくということです。じつは設計図の著作権はグレーゾーンで、あるのかないのかも法的には定まっていませんが、定まっていないから踏み出さないのではなく、むしろ積極的に「著作権があります」と言って、日本中の工務店巻き込んで文化をつくっていけば、建築家も報われるし、地方都市の多様性の実装にも貢献できるのではないかということで、すごく面白いプロジェクトです。これは権利や個々の建築家の署名性を前面化することで新しい文化を経済と一緒につくっていくという志向性の例ですね。

小渕──いまの話と「パラメトリシズム(Parametricism)」は似ているところがありますね。パラメトリシズムとは、ザハ・ハディドのパートナーだったパトリック・シューマッハが提唱した概念です。先ほどのグレッグ・リンの話も関連しますが、簡単に言ってしまえば、生物はDNAという基礎があり、それが、環境や条件によって変化していくという生物学に由来した理論です。遺伝子の構成である「ジェノタイプ(遺伝子型)」があり、それによって表われる「フェノタイプ(表現型)」がいろいろと変わっていくのです。建築は従来一品生産なのですが、ある種の原型をつくり、情報化し、それを場所や条件によって適応させていくことで同じロジックから多様性が生まれます。この理論には、もちろんいろんな難しい課題がありますし、批判もされていますが。例えば、形状は関係性によって成り立ち、形には拘らないと言いながらも結局形に拘っているとか。

ドミニク──建築家やデザイナーのクリエイティビティが今後どうなっていくかを考えさせる問題として、去年、東京オリンピックのエンブレムの問題がありました。僕もプロポーザルに出そうかなと思っていましたが、結局時間がなくてできず、そのアイディアだけをお話しします。問題が大きくなった背景には、佐野研二郎というデザイナーがつくったエンブレムそのものではなく、デザインプロセスが透明ではなかったことも大きかったと思います。過去の作品の類似性も指摘されましたが、法的にも未熟なかたちでしか議論がなされませんでした。
でも、例えばGitでデザインプロセスを管理できたとしたら、どういうジェノタイプからフェノタイプへ展開したかという経緯や引用関係がわかったかもしれないし、プロセスというかたちでの作者のオリジナリティが示せたかもしれません。エビデンス自体は最終的な建築やデザインのアウトプットの価値にはなりませんが、信頼性のために参照できれば、社会の評価軸を変えられるのではないかと思いました。まだツメが甘いので「Just an idea」なのですが......。そうしたプロセスにおける人間のクリエイティビティ、まさにAIで代替できない価値を担保していく可能性があるのではないでしょうか。


201607

特集 建築・都市──人工知能という問題へ


コンピュテーショナル・デザインと拡張するAI技術
建築のAIはバベルの塔か
人工知能の都市表象
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