常に思う開放的な場について
『長坂常|常に思っていること』刊行記念トーク
『長坂常|常に思っていること』刊行記念トーク
モノがもっている性格を告白させるデザイン
- 長坂常氏
- fig.7──《FLAT TABLE》
提供=Schemata Architects
門脇──エポキシはこのころの長坂さんのトレードマークで、《FLAT TABLE》は代表作でもあったんだけど、失敗の連鎖でできているんですね。
長坂──体を張ってつくっています(笑)。《FLAT TABLE》は、凸凹を探してそこにエポキシを流し込んで濃淡をつくるというのがコンセプトです。凸凹にエポキシを流し込むことによって木目と色が混ざり合うんです。
長坂──同じころ、アクリルファイバーをつかった《kurage 3》(2008)という照明器具をつくりました[fig.8]。アクリルファイバーはもともと遠くに情報を届けるためのものなので、曲げると光が漏れてしまいます。つまり情報が漏れてしまう。それを逆手にとって、曲げて照明をつくりました。曲げ方を検討して造形をつくっています。上部にLEDのライトがついていて、いろいろ色を変えたりすることができます。
- fig.8──《kurage 3》
写真=Takumi Otas
これは《ColoRing》(2013)と言って、「うづくり」と「津軽塗」という伝統工芸の技法を組み合わせています[fig.9]。うづくりは、木の表面をこすって年輪を浮き上がらせる技法です。そして津軽塗は、凹凸をつくりながら漆を塗り重ね、研磨してフラットにして模様をつくる技法です。《ColoRing》では、一般的な針葉樹の薄い合板に3色の塗料を塗り重ね、木目の深さに沿って塗料の地層をつくり、最後に研磨して色のグラデーションをつくっています。
- fig.9──《ColoRing》 写真=Takumi Ota
門脇──これらは見た目としてもカッコいいのですが、それ以前にモノがもっている性質をあからさまに告白させてしまうという操作をしている。アクリルファイバーもそうですし、木材もそう。それが一貫した長坂さんの姿勢かなと思います。
長坂──ふつうの人ならあたりまえだと流してしまうようなものでも、そこに近寄って自分の作品につなげていくことは心がけています。これも津軽塗を展覧会で見たときに「美しいな、どうやってつくるんだろう」と思って調べて、「こうやってつくるんだ」ということがわかって感動し、ではそれを使って何かつくろうと考えました。
門脇──もうひとつは、材料の組み立てがプロダクトに結びつく、その一連の過程が全部見えるのが長坂さんの作品の特徴です。ふつう建築家は木材の小口は見せちゃいけないと習うんですね。もともと木材はそこから水を吸うからということだったんですが、それが慣習化する過程で、デザインとしてもみっともないととらえられるようになった。だから建築家は、木材同士を斜めにカットして小口が見えない納まりにしたりする。でもそうすると、板と板という本来は別々のものが癒着して、ひとつの固まりのように見えてしまう。長坂さんは、それはよくない、という判断をする。だから《ColoRing》は、木材の小口が見えている。
長坂──そうですね。もとの木材の部分を残しているのも同じことです。全体をカバーすると印刷と変わらなくなっていまい、これが木であることを見る人が感じ取れなくなる。そのために当然小口も見せますし、木のあらわしの部分も出てくるんです。
門脇──材料や部材の一つひとつを尊重するので、結果として、モノの組み立ての過程が全部見えてくる。よく考えてみると、われわれが普段使っているプロダクトで、材料からできあがるまでの過程が全部わかっているようなものってほとんどないですね。でも長坂さんの作品は、見ればその過程がひと通りわかってしまう。そういう意味でとても特異なプロダクトですし、つくるプロセスがブラックボックス化した現代のプロダクトのあり方に対する批評性を感じます。
つくり方も含めた店舗設計
長坂──これは《Aesop青山店》(2011)[fig.10]の材料になった家です[fig.11]。Aesop本社のあるオーストラリアに視察に行ったときに、Aesopのボトルとアンティークの木の組み合わせが非常にきれいだなと感じました。それが頭から離れなくて、アンティークを使うことは決めていたんだけど、アンティーク素材をカタログから選ぶのはカッコわるいので、どうやったらカッコよくたどり着けるかを考えたプロジェクトです。そこで、計画中にたまたま見つかった一軒の家の解体現場に行って材料をもらってきました。なかには床材や家具など、いろいろ掘り出し品があって、それらを分解して陳列棚のベースにしました。水平方向に古材を使うと強度が足りないので縦方向のみに使い、水平方向は強度が安定する新材を使っています。
- fig.10──《Aesop青山店》
写真=Alessio Guarimmo
- fig.11──《Aesop青山店》の材料になった、解体前の家
提供=Schemata Architects
門脇──ここでも、棚板と背板が癒着しないでそれぞれ独立していて、かつそこに商品のボトルが入ってきても、ボトルと背板と棚板がそれぞれ別の存在として見えている。
長坂──《3.1 Phillip Lim MICROCOSM》(伊勢丹新宿店ポップアップストア、2014)は、周りの空間がものすごく個性的で、そこにどう刃向かっていいかもわからない。だったらむしろ受け入れようということで、ミラーを徹底的に使おうとしました。中心にミラーを置いて、周りにもミラーを置いていくと、映り込みと実体が重なってくる。こういうことによって何が実体で何が映り込みかわからなくなるような空間をつくりました。空間の個性をデザインによってオーバードライブさせるとも言えます。
什器は、合わせ鏡のように天板にミラーフィルムを貼っているので、足元に仕込まれた照明が反復し続けるようになっています。
この什器の考え方を発展させたのが、照明器具《UNPLUGGED》(2014)です。これは、レストランのテーブルに置くろうそくのような照明です。テーブル一つひとつには、どうしても電源を拾えないし、天井高が高いと照明が届かないこともあるので、結果的にローソクに頼ることが多い。でもろうそくってちょっとムーディすぎて、ぼくが使う空間にはあまりふさわしくない。それをどうにか回避したいというのがあったので、「Unplugged(電源を使わない)」照明のあり方はないかと考えました。
見かけ上はアクリルの四角い塊です。下面に丸い有機EL光源が入っていて、そこから光が平行に出ています。各面にはミラーフィルムを貼って合わせ鏡にしているので、キューブのなかで光が反射しまくっています。でもアクリルの特性上、光がまっすぐ入ると途中で屈折することはないので、側面から光は見えません。かならず小口だけに下の光源で起こっていることが映り込む。何回も光が反復しているけど、表現として出てくるのは小口だけ。なのでかなり不思議な風景になる。暗い場所では周りになんとなく光が漏れて、卓上の照明になる。
でも気づいたら1個あたり十数万円の価格になっていて、こんなのアンプラグドで置いていたら持って行かれるというので不採用になりました(笑)。とても気に入っているのでどこかで使いたいと思っています。
間引くことが、自由で「抜き差しなる」関係をつくりだす
長坂──《Sayama Flat》[fig.12]は知っている人も多いと思うので簡単に説明します。nLDKの和室と洋室が組み合わさったさまざまなタイプの住戸があるマンションのリノベーションで、それを1戸あたり100万円以下で直さないといけませんでした。これは、現状復帰以下の予算ですね。どうしたものかということで考えた挙句、まず4室だけ先行して自分たちに預けてもらい、400万円で工事させてくださいとお願いするところから始めました。できあがったらお呼びするので、とにかくそれまでは待ってください、うまくいかなかったら400万円で解体したと思って許してくださいと。プレゼンもせず、図面も描かず、現場で手描きで考えながら計画しました。当時はキッチンなど、当然新たに加えることも視野に入れながら計画を始めたんですが、あるときに現場で解体しているときに「お、カッコいいな」とだんだん気づいてきて、もしかしたらこのままでいけるんじゃないかと。たとえば文章も、ところどころ間引くと新たに意味を持つ文章を書くことができる。これはそれを表現するために後から描いたドローイングです[fig.13]。こういうことが《Sayama Flat》の空間で起きたことではないかと。LDKの特徴として、和室と洋室が同居しながらもドアを介すことによって違和感を感じさせないような仕組みになっていますが、そこの間仕切り壁をひとたび取り払うと、洋室と和室が隣り合う不思議な空間ができてくる。
- fig.12──《Sayama Flat》
写真=Takumi Ota
- fig.13──《Sayama Flat》ドローイング
提供=Schemata Architects
門脇──これはそれまでの長坂さんを全部ぶち壊した作品だと思います。説明はいろいろできるんだけど、ぼくがすごく長坂さんらしいと思うのは、とにかくやってみるという感じ。やってみるプロセスのなかに何らかの面白さが発見できるだろう、ということに対して絶大な自信がある。
長坂──そうかもしれません。念のための言い訳は先にしておいたんだけど。
門脇──これは話の進め方によってはまったく受け入れてもらえないと思うんですよね。だけど笑って許せる雰囲気をつくっているというか、そういうところまで周到に考えているんだろうなと勘ぐってしまいます。
長坂──いやいや、そんなことはないです(笑)。でもぼくは、クライアントに恵まれてますね。
《Sayama Flat》のクライアントは、ぼくたちの事務所に来たとき、「建築家の先生っていつも自分のところはカッコよくするのに、ほかではよそ行きのデザインをするじゃないですか」と言ってくれたので、信用できるなと思った。それじゃ、とことんやってみようということで始まった。
- 門脇耕三氏
長坂──カッコいいと思ったんですけどね。ぼくは戸建の住宅が建っている途中ですら眺めてカッコいいなと思っているときがよくあります。なんであのまま工事を進めちゃうんだろうって感じてしまう。だからそういうものがそもそも好きなんです。《Sayama Flat》の現場も、解体している最中きれいだなと素直に思っていました。
だけど、そのきれいさが他人に通じるとは思わないという常識は持っているので、だんだんほかのメンバーが「カッコいいよね」と言いはじめて、でも本当にクライアントに通じるのかと悩んで、おっかなびっくり見せていった。この価値が位置付けられるにはかなり時間がかかったような気がします。
門脇──確かにカッコいいんだけど、そこには一言で言い表わせないいろんな感情が混じっている気がします。たとえば障子がコンクリートの壁に一生懸命ひっついていて愛らしく見えるかとか、洋室と和室が一緒に見えてどこか変で笑えるなとか。
長坂──そうですね。そう言われるとカッコいいというよりは、見たことないものができたことに対する嬉しさはあると思います。
門脇──徹底的に長坂さんは合理主義で、とくにコストに関しては注意深く考えていると思うのですが、多少は思うとおりにならない部分があったとしても、どこかにちゃんと重きを置いて、全体のバランスをとるということを必ずやりますよね。全部が完璧にできていなくても、ここさえうまくいっていれば大丈夫、というポイントをかなり意識的につくっていると感じています。
長坂──《Sayama Flat》までは、引き渡し後に見に行くと、その空間を見てちょっと残念に思うことが多かったんですよ。洗濯物が干してあったり、自分が想像したのとは違うものが置いてあったり。でも《Sayama Flat》は、引き渡し後自由に手を入れていいというのルールが決まっていたので、ペンキを塗ったり自分たちで工夫をして生活している人がいました。だから初めて使われはじめても「いいじゃん」と思えたプロジェクトでした。
「それはなぜか?」ってことですが、ひとつ思っていることとして、きっと自分で考えたフォルムをそこに挿入させておらず、ただ、他人がつくったものを間引いて、他人がつくったもので構成されているからだろうと思っています。そして、こういう状態を「抜き差しなる関係」とぼくは言っています。抜き差しならない緊張感で、モノを選んで入れないといけないような空間じゃなくて、なんでもオッケーな空間をつくりたいという思いです。
- ゴールを設定しない正直なデザイン/開放的な場づくり/「白く塗る」ことをやめる
- モノがもっている性格を告白させるデザイン/つくり方も含めた店舗設計/間引くことが、自由で「抜き差しなる」関係をつくりだす
- 「人の動き」を設計に参加させる/すべてのモノが対等に扱われるフラットな空間/質疑応答