不寛容化する世界で、暮らしのエコロジーと生産や建設について考える(22人で。)

塚本由晴(建築家、アトリエ・ワン主宰)+中谷礼仁(歴史工学家)

「共」の機能を果たす設計

塚本──建築のプロジェクトというのは、個別のクライアントの個別の敷地に対応するだけではなくて、産業的連関と民族誌的連関とを対比させて、それをどう関係づけ直すかというプロジェクトでもある、というのが私の理解です。
特に1970年代以降、建築家は内部と外部の対比ということをずっと考えてきた。どんな建築にも内部と外部はあります。しかし、そのことについてとことん考え抜くことを、普通の建物はやっていない。曖昧に内と外ができていて、みんななんとなくそんなものだろうと納得している。ところが、建築家と呼ばれる人たちは建築の内部と外部をいったん分けたうえで、その対比を徹底的に考え抜いてぶつけるということをやってきたわけですね。そうしたなかから、伊東豊雄さんの《中野本町の家》(1976)や安藤さんの《住吉の長屋》(1976)のような建築が生まれた。それは70年代には説得力があって、その後、ほかの建築家も続いたのだけれど、いまではわりとやり尽くされた感がある。それに代わる新しい対比を、何もかも曖昧に混ざっている日常のなかからいかにして取り出すかが大事です。
われわれは民族誌的連関と産業的連関の複合物のなかで生きている。どうしたってそれがわれわれの自画像だと思うんですね。言い換えると、われわれは産業社会的人間には完全にはなりきれていない。畳を見れば座りたくなるし、効率性や生産性とはまったく関係のない行事にも喜びを見出せる。それだけの興味もスキルも知識も、まだわれわれには残っているわけです。そうした民族誌的連関と産業的連関のハイブリッドを生きながら、それを対比させてぶつける。内と外の対比に代わる対比が考えられるとしたら、私はこの図式かなと思って提案しているわけです。
増田信吾さんの「磐座(いわくら)」信仰の話はこの図式とも重なってきそうですが、いかがですか?

増田信吾氏
増田信吾──大坪克亘と一緒に設計をやっています、増田信吾と申します。前に僕たちはARCASIA(アジア建築家評議会)というところから、自分のオフィスのバックグラウンドになるものを自国の建築史のなかから見つけてリサーチして発表してくれというお話をいただいたんですね。お題のタイトルは「Future of the Past」でした。それでいろいろ文献を読んだのですが、そのなかで社(やしろ)が建つ前の、「磐座」(神の鎮座するところ、多くの場合は自然の岩石を指す)信仰という、原初的な宗教形態とされる自然崇拝に着目しました。先ほどの図でいうと、社文化というのはどちらかというと産業的連関に近く、空間と建物の必要以上の工芸性によって権力を広めていくという認識ですが、「磐座」信仰は社によって空間をつくっていくことが始まる以前の、場所を見出すこと、そしてそこへ人が寄り集まっていく、という一蓮の人と場所の特別な関係性を示しています。
それを現代に置き換えて言えば、すでに世の中に建物は十分にあって、空間自体に対する不満というのは、少なくとも僕たちにはあまりない。それよりも空間の外、窓の外に広がっている景色や状況がどうあるかとか、そっちのほうが建築にとっては大事なのではないか、ということにつながるのではないか。空間自体よりも窓の外を設計したほうが、いい建築ができるのではないかと。自分がアパートを探すときも、結局何で選んでいるかといえば窓から見える景色や所有できる外部だったり、窓から入ってくる光や風といった要因が大きい。ですから、僕たちは窓だけ設計した、窓を建物より大きく設計したと見えがちですが、南面の光を反射させて暗い庭を照らして明るくなるようにしたり、最終的に出てくる手すりをどう処理するかという身体的なことを念頭に置いて場所づくりを大事にした設計をしています[fig.20]。そっちのほうが結果的に建物のなかに良い状況を取り込めるので、設計することと生活のリアリティにコンセンサスが取れている気がします。

fig.20──《躯体の窓》(2014)© 増田信吾+大坪克亘

中谷──構築されたものの隙き間に窓をつくることで、外部にアクセスすることを重視した設計だと。それは塚本さんの図で言うと、産業社会の中心からずれることを目指した建築という認識でいいでしょうか?

増田──そうですね、近いと思います。最近は窓でさえも建物を閉じるという意味を持ちすぎてしまうと感じていて、もっと直接的な関係がないものに挑戦したいと思っています。最近つくった《始めの屋根》(2017)[fig.21]は建物から離れたところにつくった渡り廊下で、極端な話、なくてもいいものです。ただ、これがあることで、敷地やそこで暮らす生活のあり様が変わってくる。なので、民族誌的連関と産業的連関の中間よりも、さらに民族誌的連関のほうに踏み込むことを目指していると言えるかもしれません。しかしそれが時代を逆行している感覚かというとそうではなくて、いらないっちゃいらないものなのに「案外いいもの」として認識できてしまったら、それは今までの価値観の外側で受け入れられたということなのでむしろ圧倒的に新しいのだと思います。

fig.21──《始めの屋根》(2017)[写真=増田信吾]

中谷──塚本さんの最初のほうの図でいうと、設計は「私」的なものだけれど、それが実際に形になったときに「共」的な機能を果たしうるものをつくったと。そういう捉え方でいいんでしょうかね。先鋭的な学生であればあるほど、最近はこういうものばかりつくってるんですね、内部をつくらないで。それに納得いかないところもあったんですけれど、いまのお話を聞いて少し腑に落ちた気がします。

この世界をどうするかが大事なんですよ

塚本──増田さんが言ってるのは、建築のエコロジカルな展開についての話だと思います。ようするに、建築は単なる生産物ではなくて、何と一緒にあるかによって場所の質が変わってくる、それをマネージメントするものなんじゃないかと。空間を生産物として考える20世紀の産業社会的考え方でいうと、建築は製品あるいは商品で、あからさまな中心性、目的性をもっていたわけですね。だから、産業社会的考えが根強く残っている社会のなかで増田さんのような実践をやると、「あなたのやっていることは目的がない」と言われてしまう。これに対抗するロジックをわれわれは考えないといけない。そのときに「いま生きているこの世界をどうするかが大事なんですよ」と、歴史的に説明するほうがいいと思うんですね。製品をつくることを中心に置かないで。建築には違う中心性があるんだということを言ったほうがいい。
そういうスタンスはマンション業界と一緒に仕事をしてもなかなか見えてこなくて、たとえばケアの業界などのほうが「何と一緒に暮らすのか」という視点に対する感度が豊かに思える。エレン・H・スワロー・リチャーズという、1842年生まれでMITで最初の女子学生だった人がいるんですが、彼女がつくった「Ecology of Livelihood」という概念があります。「暮らしのエコロジー」とでも訳せる概念ですが、当時、生物学の分野で「Ecology」という概念が使われ始めていたので、誰だったか有名な科学者に違う言い方をしてくれと強く言われた。それで彼女は「Home Economics(家政学)」という言い方をしたわけです。その後「Home Economics」の背景に「Ecology of Livelihood」があることはあまり注目されていなかったように思うのですが、ケアの現場はあらためてそれを沸々と煮立たせているところがある。
金野千恵さんはケアの業界と近いところで建築の仕事をしていますが、それによって建築観がどう変わったかお話しいただけますか。

金野千恵氏
金野千恵──設計事務所tecoをアリソン理恵と共同でやっている金野と言います。今日のお話を聞くことで自分のやっていることを位置づけられそうな気がして、来てよかったという思いですが、そのなかで特に「共」がプールだとおっしゃっていたのが印象的でした。
いま、ある会社のプロジェクトで「夢の家を描く」というお題をもらっていて、物理的な家の理想形というよりは、その家が成立する環境であったり、自然や歴史的な蓄え、そうしたものの関係性を含む資源を描きたいと考えています。アリソンと議論するなかで、曼荼羅のようなものを描こうと試みているのですが、それは最近、仕事の関係でインドネシアに行った際に強い印象を受けた建築があり、それが考えの起点になっています。小屋組部分が10m以上ある、妙に小屋に気積をもつ建築で、「あれはなんのためなのか」と現地の人に聞いても、「特になんのためでもない」と言うのです。神のための空間、という説が有力だそうですが、頂部までの屋根を地域の皆で助け合って葺き、火を炊くとそこに煙が溜まって茅が燻されたり、穴が穿たれていて光が漏れる仕組みをつくったり、茅が小動物の住みかになっているであろうことなど、あらゆる自然要素や生態系を含めたみんなが集まる空間になっているところが面白いなと感じました。そういう資源の全体像を読み取り、形を与えていくことに興味があります。今日、塚本先生は「共」を図で説明する際に輪郭を描いていらっしゃいましたけど、私は輪郭のないもの、むしろ「私」や「公」に輪郭を与えるもの......。

塚本──そうだね、プールだな。

金野──そうですね、プールに「私」と「公」が浮いていて、そのプールが2つの輪郭を決定しているのではないか、とお話を聞きながら考えていました。あらためて曼荼羅の世界観をどうやって描くかを確認できた、というのがひとつです。
そのこととケアの話は通ずるところがあります。現在、ケアの仕事をいくつかやっているのですが、そのなかで《地域ケアよしかわ》(2014)[fig.22]はシャッター商店街だった団地の1階を改修して訪問介護のステーションにするというものです。70m²の狭い空間に事務の机がいくつか置ければいい、あとは地域の人が使える空間にしてほしいという、最初から目的が曖昧な空間が三分の二くらいを占めている。当初は私も予想できなかったのですが、最初はお年寄りではなく子どもたちが集まってきたんです。目的のない空間を用意することで、だんだんその地域の問題が炙りだされてきて、夜まで親が仕事で不在にしている家の子どもたちが、一人でそこで夕食やおやつを食べている。そういう子どもがある程度居ることがわかり、それを民生委員さんがどうにかしたい、と立ち上がって事業者と協力し、いまでは「子ども食堂」というのを週3回やる場所になっています。課題と資源をあぶり出す寛容な建築のあり方、というのを強く感じるプロジェクトとなりました。
これをきっかけに福祉関係の仕事にいくつか携わるようになって、最近では特別養護老人ホームの壁を壊して庭をつくった《minowa・座・garden》(2016)[fig.23]というものがあります。壁があると、車イスからでは施設のなかが見えない。そうなると見ちゃいけないと思ってしまう空間になる。建築計画学で習った「施設」というのは、部屋の間取りが強く、内部空間で完結する計画が前提になっていました。そうした前提が最近は解体されつつあります。現在、65歳以上の高齢者が4人に1人くらいになってきて、介護者の人数不足が明らかになっています。その時に、介護者だけで高齢者を支えるのではなく、外に開いて地域の人みんなに手伝ってほしいという考え方から、この計画では敷地境界にあった壁を全部壊して、地域と共有する庭をつくったわけです。それでオープンしたところ、最初に来たお客さんは徘徊するおじいちゃんで(笑)。正確に言うとオープンする2日前だったのですが、スリッパを履いたままのおじいちゃんが庭の花壇に座っていて、施設から出て2日間歩き続けてそこに腰を落ち着けたそうです。そういう見知らぬ人が来て、座っていいんだと思える安心できる場所になっているのかなと思えました。いまは従来の施設もこうした地域に開く空間に変えていこうという動きがケア業界全体に起こり始めていると感じています。
でも、こうやって一つひとつのモノのあり方を捉え直し、再構築していくような仕事をしていると、産業の力で効率的に安価にできることを推進していく流れとはどんどん距離が開いていくような気がして、このまま距離が離れると、うまくいく側面もありますが、明らかに相手にされない場面も増えていくのかなと。正直、錯綜した気分にもなります。

fig.22──《地域ケアよしかわ》©teco

fig.23──《minowa・座・garden》©minowahome

塚本──おじいさんが花壇に座りたくなるというのは空間のアフォーダンスなんです。だけど、それを成立させるには、特養の空間をどうガバナンスするかというもうひとつの問題があって、その両方が重ならないとうまくいかない。管理することに重きをおいてガバナンスを閉じた場合は、いくら提案してもアフォーダンスを生まないんですよね。《minowa・座・garden》を運営しているのは馬場拓也さんですよね。若くてとても面白い人ですが、その人が考える特養のガバナンスの空間があるので、さまざまなアフォーダンスが生み出されるわけですね。ただ、これまでケアの世界はあまりにガバナンスが硬直的で、それにあわせて空間も産業的だった。それを変えていくことになるので、やると効果は絶大なんですよね。

クラブ活動と脱建築

中谷──それに関連して、最後に僕が参加しているプロジェクトを紹介させていただこうと思います。北海道の浦河町にべてるの家という共同体があります。1984(昭和59)年に設立された精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点で、生活共同体、働く場としての共同体、ケアの共同体という3つの性格をもっています。数年前、その代表の関係者の方が東京の池袋に姉妹的な活動拠点をつくられたんですね。これも冒頭で申し上げた「移動」の良い例です。寒村でこそ成立した共同体が、そのアプリケーションを持ち込みながら、都市での活動を始めたというわけです。なまえをべてぶくろといいます。地域で孤立した障害のある人は、生活困窮に陥りやすく、そのうちの少なくない数の人々が路上生活をはじめています。一方で、既存の福祉支援策では、原因が重複した生きづらさをもっている人たちに対して、根本的なケアとしては不十分です。べてぶくろは、本人にとって必要な社会資源につながるまでの間、安心して暮らせる住居を提供しようというところから、はじまりました。
べてるの家が都市に乗り込んできたということを知った時、大変勇気づけられました。僕の方でお手紙を書いてお願いをして、べてぶくろに通っている人たちが、借家のべてぶくろの空間や、自分の住まいを改善するためのワークショップと実際の改造を行なってみることを提案しました。
普通は家族という精神的な絆があって、それを取り囲むのが家であるという考えに陥りがちなのですが、そうではなくて、家が家族を規定しているんじゃないかと僕はこの10年くらいのあいだで思うようになってきた。「べてぶくろ」ではメンバーが集まることのできる家が必要です。なぜかというと、病気や貧困という問題を共有することによって共同体がつくられることがあり、その問題の解決には物理的なよりしろが必要だからです。部屋つき大学サークルのような、その内部で別の論理や倫理を持った場所がないと生きられないわけです。彼ら彼女らは都市の隙間にひっそりと暮らしているかもしれない。その環境がよくなくても具体的にどうしたよいかわからないかもしれない。それは生活を自分で改善することが、都市において、いかにlivelihood-buildinghoodと隔絶されてしまっているかを明瞭に物語っています。個々の人々はいろいろな経歴を持っているはずですが、しかしなかには、ドイツ語を学んでいたメンバーの経験を活かしてドイツ語教室がべてぶくろで行なわれていたりしていました。
さまざまな経験を抱えているが、それを建設のための言語に置き換えられない時にどうすればよいか。そこでクリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」を説明することにしました。というのも、べてるの家ではそこで活動する人々のためのスローガンを自分たちでつくっているのですが、それがすごくうまいんですね。たとえば、

・三度の飯よりミーティング=Meeting is more important than eating.
・安心してサボれる職場づくり=We want a workplace where you can goof off without fear.
・手を動かすより口を動かせ=More your lips, not your hands.
・公私混同大歓迎=We welcome the mixing of public and private.

といったものです。
べてぶくろでこの提案に応じてくれた人たちは、予想通り、こちらの企図を一気にわかってくれた。では、自分たちなりのパタン・ランゲージもつくってみましょうということにした。
そうしたら「勇気のいらない玄関」とか「シャバの青空」とか、すごい言葉がいっぱい出てくる(笑)。「『シャバの青空』ってどういうことですか?」ってたずねたら、引きこもっている家から通院するときに、木賃アパートの旗竿の敷地を歩いていると、両側の建物の隙間から青空が開けると。そこでハッとさせられると言うわけです。すごいと思った。社会から情報を貰いすぎて、自分のなかでそれを消化できずにバランスを崩してしまうときに、言葉で表現できることは、すごく大事なんです。
そうやっていろんな言葉が出て、関係づけられる言葉を改造したいスペースのイメージへと整理、展開していったら、「立体花壇」とか「お風呂のような会議場」にまとまっていきました。じゃあそれはなんなのだろうとみんなで考えたら、ある人が「土間かな」と言ったんです。それを聞いてみんな共感して、それでべてぶくろの近くに鯰組という工務店があったので、そこの岸本棟梁に指導者になってもらって土間をつくった。そのプロジェクトの命名(「出会い」を建てるプロジェクト)も、ネットでの社会発信も、参加メンバーのさまざまなスキルで実に早かった(べてぶくろ「出会いを『建てる』プロジェクト」)[figs.24-26]
これをさっきの産業化の話に当てはめると、いま建築家が接している社会というのは、第3次産業で閉じすぎた状態になっています。「べてぶくろ」のような別の原理を持つ空間にコミットできなくなっているわけです。そこにコミットするには、公的な法体系や産業社会のなかでの仕事とは別の「クラブ活動」が必要になってくる。そういうもうひとつの活動が今後重要になってくるんじゃないかと思うんです。





figs.24-26──べてぶくろでつくった土間。実測から完成まで。[すべて提供=べてぶくろ]

塚本──イヴァン・イリイチの「脱学校」に倣って言えば「脱建築」ですね。建築なんだけれど、いまの産業社会のなかで言われている建築とは違う。

中谷──そう。コミュナリーにつくる方法は僕もすごく考えました。でも、建築家という職業がもつビューロクラシー的な部分を外さないかぎりそれはできない。それがあるからみんな悩んでいるんです。だから時たま動けばいい。「クラブ」をつくって、建築的素養をもつ指導者としてふるまえばいい。

塚本──石山修武さんもそれをやろうとしていたわけですよね。施主に家の設計を頼まれても、「あなたたちが描いたものに赤ペンは入れるけど、俺は設計しないよ」というやり方でやっていましたが、あれは「クラブ活動」じゃないの?

中谷──そうですね。でも石山さんは一方で随分過酷な義務を自分にも相手にも託しすぎたと思う。やはり社会全体を相手にしすぎたのではないか。「べてぶくろ」でも土間建設後、現場監督ががんばりすぎて離脱してしまった。それは反省点です。ただ、その土間をつくっているときはみんな普段では表わすことのない能力が発揮されていたのも確かです。釘を打つことに関してはものすごく正確だったり、それこそ宝の持ち腐れだった能力がコミュナルな場所では発揮される。そういう場を職業的な活動とは別に、あるいは並行して、意識的に構築できる職掌がいるといいなと思っています。

塚本──常山未央さんのお施主さんはそんな感じじゃないですか?

常山未央氏
常山未央──そうですね。いま中谷さんがおっしゃっていたような「クラブ」を、私は日々本気で、プロフェッションとして取り組んでいるところがあると思っています。私が設計に関わった《不動前ハウス》(2013)[figs.27,28]は目黒駅から徒歩10分くらいのところにあるシェアハウスで、お施主さんは外資の会計士と、大手の不動産会社に勤めていた方です。「勤める企業に自身の生活を委ねるのではなく、働き方や生き方を自分で組み立てられなければならない、それには生活の場所となる家を見直す必要がある」ということで、都心に広い家を買い、それを自分の考えと近い人とシェアして、開いて生活していきたいと考えた方です。そういう自分で考える力を持ったお施主さんを私は都市の資源だと感じました。再建築不可の土地に建っている空き家にそのまま住むことはできますが、血縁がない他人同士が住むうえで、空間のアフォーダンスを上げるには、場所と人の関係性をうまく調整する必要があります。その場にある一つひとつのモノや人を資源と考えて、その資源同士をつなげて循環させていくような空間。増田さんや塚本先生がおっしゃった「エコロジカルな展開」を実現する場所づくりを、建築を実践する立場から手助けすることができるんじゃないかと考えています。
現在は大阪の泉佐野でも、空き家だった古民家をシェアハウスにする仕事をやっています。普通はリノベーション会社にシェアハウスをやりたいと言っても内装をきれいにすることしか選択肢がないと思うのですが、そこに私たちが関わることで、新しい空間やモノの活かし方、地域とお施主さんをつなげていくような試みを提案できると考えています。泉佐野は毎年秋にだんじり祭りがある町です。工事を請けてもらった地元の木材屋さんを訪ねた時に、大量の桧の丸太があったんですね。聞いてみるとそこではだんじりの「前てこ」というブレーキに使う材を毎年1300本近くつくるそうなんです。それから出てしまう端材を活かしてフローリングに使うことにしました。そうやって人や地域やさまざまな資源をつなげながら、その場所がよりよく、より長く使われていくようにする循環を生み出すことが、町や都市の財産になっていくのでは考えています。


figs.27,28──《不動前ハウス》ともに©Sadao Hotta

塚本──皆さんすばらしいですね。パッと振っても的確なレスポンスがサッと返ってきて(笑)、議論をさらに深めていくことができる。おかげでとても有意義な議論ができたと思います。今日は長い時間、ありがとうございました。
この対話シリーズ、僕らのあいだで1回目から「ビエンナーレ」って呼んでるんだよね、2年後にまた4回目をやりましょう。




[2017年1月14日、LIXIL:GINZAにて]




塚本由晴(つかもと・よしはる)
1965年生まれ。建築家、東京工業大学大学院教授。貝島桃代とアトリエ・ワン主宰。アトリエ・ワンの作品=《ハウス&アトリエ・ワン》(2006)、《みやしたこうえん》(2011)、《ツリーハウス》(2016)、《まちや・アパートメント》(2016)ほか。アトリエ・ワンの著書=『空間の響き/響きの空間』(INAX出版、2009)、『Behaviorology』(Rizzoli、2010)、『図解アトリエ・ワン2』(TOTO出版、2014)、『コモナリティーズ』(LIXIL出版、2014)ほか。

中谷礼仁(なかたに・のりひと)
1965年生まれ。歴史工学家。早稲田大学創造理工学部建築学科教授。著書=『セヴェラルネス+──事物連鎖と都市・建築・人間』(鹿島出版会、2011)、『動く大地、住まいのかたち──プレート境界を旅する』(岩波書店、2017年3月刊行予定)。共著=『近世建築論集』(アセテート、2006)、『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社、2012)ほか。
「千年村プロジェクト」http://mille-vill.org/
http://www.nakatani-seminar.org/


201703

特集 タクティカル・アーバニズム──都市を変えるXSサイズの戦術


『Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change』イントロダクション
路上のパラソルからビッグ・ピクチャーへ──タクティカル・アーバニズムによる都市の新たなビジョンとは?
「合法的」なゲリラ的空間利用──愛知県岡崎市「殿橋テラス」の実践から
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