第1回:森美術館からの学び

高島純佳(森美術館ラーニング・リーダー)+白木栄世(森美術館アソシエイト・ラーニング・キュレーター)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

作品かアーカイブか──ドキュメンテーションの方法について

──森美術館では、ラーニングというビジュアルにしづらい取り組みをどのようにアーカイブし、ドキュメントとしてかたちにしていこうと考えていらっしゃいますか。

高島──数年に一度の頻度で開催される大規模なシンポジウムは毎回記録集として残し、そのほかの活動はブログレポートで公開しています。また最近はワークショップ形式のプログラムはできるだけ映像に残すなど、さまざまなアーカイブ化の方法を考えているところです。

──現在はラーニング・プログラムのメンバーが4人いらっしゃるとのことですが、もしも5人目が入ったとしたら、どのようなことをやってもらいたいと考えていますか。

白木──若い人にぜひ入ってもらいたいですね。美術館で取り組むべきラーニング・プログラムのかたちを、若い世代なりの考え方で見つけていけるような人と一緒に協働していきたいです。

──難しいことかもしれませんが、プログラムをつくる過程でどのような意図を持って進行していったのかその変化も含めて記録として残っていると、若い人たちが参加する際に協働しやすくなるかと思います。

白木──そこには良し悪しがあって、映してほしくないところもあるというのが正直なところです。自分のなかにもプロセスを通じた葛藤がありますからね。つい最近のワークショップでも、開始の1時間前はできるだけアーティストと距離をとり、彼のことを理解してもらえるような言葉をきちんとつくることに集中していました。そのような瞬間も映像で記録されてしまうのはやはり困るだろうと思います。もちろん、そうした葛藤がプロセスのなかに含まれていること自体は伝えたいことではあるのですが。

西澤──コミュニティに介入するような参加型アートの作家の場合、作品自体が資料の集合体やドキュメンテーション的なものになることがあります。コミュニケーションをビジュアル化する彼らの技術を、ラーニング・プログラムのアーカイブのツールとして用いる可能性は考えていらっしゃるでしょうか。

白木──ここ最近、多くの映像記録を担当してもらっているのは、武蔵野美術大学の私の後輩にあたる映像作家なのですが、彼は新たなコミュニケーション・ツールの開発について研究していて、映像を撮りながらも私たちと参加者とのコミュニケーションを客観的に見て、しかるべき編集をしてくれています。

高島──「N・S・ハルシャ展」ではワークショップの記録映像も会場内に展示したのですが、それを観て涙を流す人もいて、作品のみならず記録もまた大きな力を持っていると思いました。

白木──ドキュメンテーションということで思い出すのが水戸芸術館での田中功起さんの展示です(「田中功起──共にいることの可能性、その試み、その記録」、2016)[fig.9]。それこそ作品なのかアーカイブなのかわからない状態で、過去と現在の比較を含めて、生の声を届けるような内容でした。

fig.9──「田中功起──共にいることの可能性、
その試み、その記録」(2016)

西澤──あの展示で興味深いのは、田中功起という作家が画面のなかにあまり出てこず、藤井光さんが撮っていることです。展覧会の設営ディレクションは田中功起さんがやっているものの、そのひとつ前の展覧会で使用した仮設壁を使ったりもしていて、展覧会をつくった主体がよくわからないようになっていました。
ここまでのお話を聞いていて、じつはラーニング・プログラムも主体をめぐる構図としては似ている部分があると思いました。つまり作家を頂点に位置づけるのではなく、いろいろな人が主役になれる状態が生まれている。しかしそれは同時に、初めての参加者からすると、それが一体誰に向けて実施され、どのように享受すべきなのかということがすぐにはわからず、戸惑う場合もありえます。「楽しみ方は自由です」とだけ言うのでもなく、美術館側がコントロールするだけでもなく、その塩梅を調整していくことも、ラーニング・プログラムを継続していくうえで重要になるのではないかと思います。

高島──最終的な目標として、オーディエンスの方々がオーナーシップを持てるようなかたちのプログラムになることが理想的ですね。

白木──2009年にヘルシンキの2人組のアーティスト(テレルヴォ・カルレイネン、オリヴァー・コフタ=カルレイネン)と、日常の不満を表明すれば誰でも参加ができる100人規模の「不平の合唱団」というプログラム[fig.10]をつくったことがあるのですが、その最中にイルカを食べることの是非を参加者同士が議論しはじめたことがあります。さまざまな意見が出ましたが、このときもまずは参加者にオーナーシップを持ってもらい自由にディスカッションしてもらったうえで、最後にはアーティストの「作品」として、責任をもってまとめてもらいました。
もしも「アーカイブ」としてまとめることになったとすれば、おそらくディスカッションの生々しいやりとりも含めてすべてを記録しなければいけなかったはずです。ちなみにこのときは、映像作家が編集した舞台裏バージョンのDVDを参加者だけに配布しています。

fig.10──MAMプロジェクト010:テレルヴォ・カルレイネン+オリヴァー・コフタ=カルレイネン《不平の合唱団──東京》(2009)[撮影=御厨慎一郎、提供=森美術館]

西澤──美術館が管理するのか、アーティストの作品とするのか、参加者の活動の記録とみなすのか。「誰に、どのように見せるか」を考慮しながらアウトプットのかたちをプログラムごと、そのつど判断していくことが必要で、そこには定形がないのですね。

大学との連携のかたち

白木──先ほど若い人に入ってほしいという話をしましたが、なによりも、一緒に運営や企画をすることが大事だと思います。大学との連携で言うと、テートではキングス・カレッジやゴールド・スミス・カレッジとうまい関係をつくっています。地方の美術館でも密接に大学と連携し、大学の先生が講座をもって美術史的なレクチャーをしたり、キュレーターやアーティストが大学で授業をすることもあります。それから大学の先生が真剣に展覧会を批評することもあり、緊張感のある相互関係ができているんです。ほかにも展覧会の評価をリサーチ専門のビジネス・ユニバーシティに委託をしている美術館もあります。

浅子──それはすごいですね。そこではどのような評価方法を採用しているのでしょうか。

高島──たとえば美術館があることで、移民の方とどのくらいの交流があったかとか、識字率がどれだけ上がったかなど、広い範囲でリサーチしています。単に展覧会動員数だけではなく、美術館自体にヒスパニック系が何割、アラブ系が何割来場したかとか、本当に細かいデータを出すんです。

浅子佳英氏
浅子──じつは八戸市新美術館のプロジェクトでも現在、美術館のなかの一部に大学の施設が一部だけ入るという話があがっています。まだ具体的なプログラムは決まっていないのですが、キュレーターが大学の授業に混じって授業をするという考えは僕らにはなかったので、そういうことができると面白そうですよね。

西澤──大学のカリキュラムが徐々に実学向きになっていく傾向があると思います。そんななか、文化や芸術の有用性をどう説明していくべきでしょうか。

高島──森美術館では、グローバル化が進むなか、いかに多様性を受け入れ、いかに生活のなかで他者を理解し生きていくかについて考える根源的な部分で、アートが必要であるとしています。

西澤──先ほどのLGBTの話もそうですね。ただし日本では、多様であることに価値があるということを正面から主張しても、日本自体がそれほど多様な人種構成にはなっていないと考えられていたりまだまだ古い価値観が残っていたりして、お題目が横滑りするだけで表面的な理解にしかつながっていない部分が多い気がします。もっと解像度を上げて周囲を見ていけばさまざまな多様性があるはずなのに、多様性をあぶり出すこと自体が忌避されているようにも、蓋をして問題を発見しようとしていないようにも見えます。

高島──たしかにロンドンは複数の民族が集まる都市で、社会問題が実際にそこで起こっていて、アートはその現実に対して何ができるかを真摯に考えています。その実践を、背景が異なる日本にそのまま持ってくるだけでは機能しないかもしれません。森美術館のある六本木には、観光目的でやってきた人もいれば、近隣に住む外国人の子どももいます。じつは身近なレベルでいろいろな多様性が潜んでいるんですよね。そのなかで、学校の授業では出てこないし、日常的には気づかないままになっている自分のコアな部分を再確認するきっかけをもたらすことは、やはりアートならでは機能だと思います。

白木──今まで当たり前だと思っていたことをアートを通じて考え直す試みとして、ワークショップ「視覚のない国をデザインしよう」(2016)[figs.11, 12]を実施しました。もしも自分の視覚がまったくないとしたらどのような国や街ができるだろうかということを、アーティストのほか建築家や区議会議員の方を交えながら真剣にディスカッションする、日常生活では得がたい観点を持つ機会をつくりました。


figs.11, 12──ワークショップ「視覚のない国をデザインしよう」(2016)プログラム風景[撮影:御厨慎一郎、提供=森美術館]

垣根のない場所をつくるための工夫

西澤──森美術館では、ラーニング・プログラムとして「展覧会プログラム」、「観客開発プログラム」、「学術的プログラム」を掲げていらっしゃいます。このなかで「観客開発プログラム」とはどのようなものですか。

高島──日常的にアートを楽しむ未来のファン層を育てたり、自分の美術館だと考えてもらう人たちを増やしたり、オーディエンス同士のつながりを生んでいくためのプログラムです。

西澤──そのような垣根のない場をつくるために、運営上心がけていることはありますか。

高島──オーディエンスと同じ目線の高さで話をしたり、座り方を円座にしたり、マイクをまわさなくとも話せるようにしたり、誰かひとりではなくみんなに照明があたるようにライティングしたりすることで、なるべく参加者が壁を感じないような工夫をしています。

白木──最近の工夫としては、中央に鉛筆とメモ帳を置き、参加者自身が必要を感じたら自分で手にとって使うようにしています。自発的にアクションしやすくなる環境を意識的につくっているのです。
それから継続的に来てもらうことを前提とした数日がかりのプログラムにすると、オーディエンス同士の距離間が徐々に近くなっていくことが感じられます。とくにティーンズ・プログラムは3日かけてやっており、1日目はなかなかお互いにシャイで喋らないのですが、共通の話題が見つかるとすぐに仲間を見つけてくれるので、最終的には自分の悩みを打ち明けたりすることもあります。ただわれわれはカウンセラーではないので、こう解決したらいいというようなことは言えません。ただ事実として聞いているのです。

浅子──現在そのような場所はなかなかないですから、ただ聞いているだけでも、子どもたちのための場としてとても有効に機能していると思います。

西澤──では議論はどのように進めるのでしょう。円座を組んでいるところに、ファシリテーター役が話を振っていくのですか。

白木──私たちがファシリテーションしているのは事実ですが、あくまでも黒子として振舞うことが大切だと思っています。参加者が自らの発見を他者と共有したり、自分の言葉で話せるようになったり、深く関われたと思えるようにする役割を担っています。


201710

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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