都市を変える? 都市でつくる?──403architecture [dajiba]『建築で思考し、都市でつくる/Feedback』×モクチン企画『モクチンメソッド:都市を変える木賃アパート改修戦略』
1分の1の設計手法
藤村──それぞれのバックグラウンドはよくわかりました。それでは次に、みなさんにいまの自分たちの活動を少し俯瞰的に眺めていただきましょう。
辻──403dajibaとしての活動を6年続けてきましたが、いまだに新築のプロジェクトをやれていなくて、小さい規模の改修が多いのが現状です。それでも、少しずつできることは増えていて、いまようやく基礎を打ったり外装と向き合うようになってきて、浜松という都市から学んでいった結果として建築に近づいている感覚があります。それと同時に、建築の難しさを素朴に実感しています。実感できないと前に進めないのはY-GSA時代から同じですが、その延長で床から始まって、たとえば巾木の合理性や、板金技術に裏打ちされた雨仕舞い、木部と基礎との取り合いといった、基本的な納まりと向き合うことで、建築を構成する要素一つひとつの成り立ちについて考えています。それがどういう設計体系につながるかはわからないですが、日本の大工の技術との連続性は強く意識しています。
403は、小さなものをセルフビルドで粛々とつくっている印象が強いと思いますが、廃材を活用して手でつくるというようなプロジェクトは、じつは最初の数年しかほとんどやっていません。最近では浜松以外のプロジェクトも増え、着実に規模も大きくなっているので、今後はいわゆる請負型の仕事も経験して、自分たちの活動にフィードバックしていければと思っています。
藤村──なるほど。リノベーションの人たちがリスクをとって事業を起こして投資してそれを建築にするというモデルには、一方で限界があると思っていて、自分が投資できる範囲でやっているので、よほど収益が上がらないと建築の規模が限られてしまいます。1分の1でやるという戦略は小ささを前提としているので、小ささに意味を見出していかないと、それ自体が持続しないと思います。
連──ちょっといいですか。403はこういう問いかけをするといつも、「直接的に経験・体験したものからしか語れない、一歩一歩やれることが大きくなっていてそれを積み重ねていくことでしかわからない」というような素朴な返事が返ってきます。しかし、作品を見てもわかるように、素朴なわりにはある美学や感性に支えられたアウトプットを出している。さらに言うと、橋本さんの論考(「都市からの学びを歴史に見る」)ではブルネレスキやコーリン・ロウが参照されていることからわかるように、王道の建築史のなかに自分たちを位置付けようという意識が強くある。そういう意味で、例えば「タグ」という表現をとっていることに関してもっと戦略的なものとして語り、理論としての汎用性を訴えてもいいんじゃないでしょうか。藤村さんの質問には純粋な素朴論ではなく、そうした返答を期待したいです。
橋本──素朴に実践を繰り返すことでしか、やはりなにも見えてはこないのではないかと思います。もちろん、ただそれでいいと居直っているわけではなくて、そうした経験の積み重ねによって、事後的にふと思いもよらぬ建築的な枠組を発見することがあります。そのような理論と実践に血が通うような瞬間のために、真摯につくりながら学びたいと思っています。
藤村──フィードバックしながら漸次的にものをつくっていくやり方はいい方法だとは思いますが、飛躍を生まないのではないかと言われがちです。僕も「超線形設計プロセス」を提唱していたときに、全部明らかにしているのはいいけれど飛躍がないのではないかとよく言われました。
建築における方法論とビジョン
藤村──建築には、小さな問題を場当たり的にやっていくしかないという側面と、そもそも都市の木賃ストックをどうするのかといったような、いつか考えなければいけない大きな問題があります。どういうスキームで解いていくのか、それがわかっているのがこれからの建築家でしょう。
その話の流れで、連さんは木造賃貸アパートをいつまで扱う予定ですか。
連──今回の本のタイトルが「モクチンメソッド」なのですが、僕らは自分たちの活動がつねに「メソッド」として取り出せるかどうかを重要視してきました。本の最後のほうで「ビルディングタイポロジーの生態系」というテキストを書きましたが、木賃アパートのようにある時代に大量に供給され、社会構造の変化によっていまは機能不全を起こしているビルディングタイプは世界中たくさんあります。そういうものであれば、僕らが示したメソッドを水平展開していくことができるんじゃないかと思っています。それは僕らが直接やってもいいし、ほかの誰かがやってもいい。モクチン企画自体は組織を継続していくことを目的としていないので、ある段階まで木賃アパートの問題をやりきれた、ミッションを達成できたと感じたときには解散することが理想です。それに対して、403は建築的には美学があって面白いけれど、どこに向かおうとしているのかわかりにくいですよね。昔は「マテリアルの流動」というある種明確なテーマを掲げて活動していた時期もあったと思います。「建築で思考し、都市でつくる」、そのときの対象はなんですか。意識的に目的語を消しているのか、どうなんでしょう?
藤村──そう言うなら、連さんは「なにを」つくっていくのですか?
連──僕らは「つながりを育むまち」をつくるというビジョンを掲げています。投資家の孫泰蔵さんと社会起業家を支援するETIC.というNPOが共同で主催しているアクセラレータの3期生として事業プランを改善していくなかで、つねにビジョンをつくり、磨くことを求められました。その体験は新鮮でしたね。いまは明確なビジョンを掲げる建築家は意外といませんよね。建築家は基本的に成熟型なので、依頼が来た仕事に対して自分の思想を反映させていくことの積み重ねで、そこから少しずつ自分のビジョンや哲学を育てていく。最初から大きくビジョンを宣言することは避けられがちなのかもしれません。それに対して僕らは「つながりを育むまち」というビジョンをたて、そこに向かって最短距離でたどり着こうしています。
橋本──目的語の話ですね。言い換えればビジョンについてでしょうか。浜松をどうしたいか、これからどのようなものをつくっていきたいのかと、よく聞かれるのですが、いつもその質問自体に違和感を覚えます。これは、学者に「あなたが開発した技術はなにに使えるようになるのですか?」とか、映画監督や作家に「あなたがこの作品で伝えたいメッセージはなんですか?」と訊いているときに感じる違和感と似ています。現段階で結果が想像できるような射程のことをやりたいとは思っていません。
辻──ちょうど昨日、SFCの松川昌平さんとのシンポジウムで、キリンは首が長くなりたいという意志があったから首が長くなったのではなくて、最初に首が長いという形がまずあって結果的に淘汰されて残ったという話がありました。実践が先にありさえすれば、価値や意義は付加できるということです。その話はすごく共感できて、最初にビジョンを問わなくても、実践がまずあって、それを理論に置き換えていけばいいんだと思うようになりました。
話を戻すと、連くんの「つながりを育む」という言葉が、僕はこの本のなかで一番違和感がありました(笑)。 連くんは、人間性としてはドライなタイプに見えるので、「つながりを育む」という「みんなの家」のように誰もが共感可能な優しい言葉は、木造賃貸アパートという問題系から出てきたのではなくて、無理やり出してきたもののように感じました。なにを学んでフィードバックした結果このビジョンが出てきたのでしょうか。
連──木賃の改修に取り組むようになったのは、ブルースタジオの大島芳彦さんと出会って始めたものです。最初は特段興味の沸く対象ではありませんでしたが、木賃アパートの課題に取り組んでいくうちに、自分の知らない世界、社会がそこにあることに気がつきました。みなさんは、夜逃げしたあとの部屋とか見たことありますか? 木賃アパートという小さな窓口を通して、いままで知らなかった世界のリアルに触れることができるという感覚がありました。
そういう意味で、最近、僕らだけでなく木賃アパートをリノベーションしたプロジェクトが増えていますが、そうしたものと比べると、僕らはジャーナリズム的な視点が強いので、つくっているものにフェティッシュな感覚はありまりないと思います。403が浜松から学んできたように、僕らも木賃アパートのタイポロジーからいろんなことを、ある種ジャーナリズム的視点で学んできて、それに対して建築家としてなにができるのか、ということを考えてきました。「つながりを育む」というキーワードは、ありきたりな言葉かもしれませんが、木賃アパートを扱っていくなかで生まれたものです。自分のなかでは対象と誠実に向き合った結果出てきた言葉です。
質疑応答
藤村──それではこのへんで会場から質疑をいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
質問1──モクチン企画は「ビルディングタイポロジーの生態系」という方法論を展開されていますが、かつて都市とか建築のタイポロジーの議論が1960−70年代に盛んだった頃と、どのような方法論的な違いや社会的な意義の違いがあるのでしょうか。
連──当時のデザインサーベイがサーベイの側面に重きが置かれていたのに対して、僕らはどうやって実践に転化できるかというところをより重視しています。重視しているというより、いかにサーベイと実践を直結させるかといったほうがいいかもしれません。モクチン企画の場合は、タイポロジーに対する学びが、そのままタイポロジーをどうやって変えていくかにつながっています。また、インターネットをはじめとした新しい技術や想像力はこうした思考を一歩先に進めてくれます。
藤村──それはわかりますが、60−70年代当時も実践と方法論っていうのはつながっていたはずで、原広司さんも集落から学んだことを建築に落とし込んでいました。その違いというのは文脈的な違いだと思いますね、現在の文脈だからモクチンのような活動のかたちになるのだと。
質問2──冒頭で会場に学生が少ないというお話がありましたが、それは、ローカリティやバナキュラーがテーマとしてあるような403とモクチンの活動と現行の大学のステレオタイプな教育のあいだにギャップがあるからだと思います。地方学生からすれば大いに関心があると思いますが。
藤村──まさに実践と教育のギャップがすごく大きいという問題はありますね。たとえば、いま「表参道に2階建ての美術館を設計しなさい」という課題をやっている人たちにとっては、浜松の改修や木賃アパートの話を聞きに行っている場合ではない。だから今日は学生が少ないというような(笑)。でもそれは教育のほうが圧倒的にリアリティがなくて、更新していかなければいけない部分ですね。
質問3──一般的にリノベーションというと、ローカルビジネスとしての面白さやアイデアのつくり方の面白さ、DIY的な面白さが前面に出ることが多いですが、403とモクチンはそこで生まれるものの建築的・空間的な価値を見出そうとしている点が面白いと思いました。アレグザンダーもセルフビルド的なものづくりのあり方を推奨していますが、403も自分たちの手で、経済的な理由以外に建築的にやることの意味を見出そうとしていますよね。
彌田──僕たちも手を動かしてつくることもあるのでセルフビルドとも言えるのですが、セルフビルドゆえのラフさをよしとしているわけではありません。そのため施工を行なう場合は、自分に合わせたオリジナルの工法を考えなければいけません。つまり、それがディテールを考えるコンテクストになっていると言えます。通常のコンテクストとは異なるため、単純にこれまで見たことないディテールになっていることがあったりということもありますが、大工さんが培ってきた技術の蓄積だけではないコンテクストを持つことでより自由に建築を考えていきたいと思っています。
質問4──最終的に「つながりを育む街をつくる」ことになる木賃アパートの改修のあり方とはどのようなものなのでしょうか。
連──僕らはコミュニティ・デザイン的なことはやっていません。ではどういう意味でのつながりをつくろうとしているかというと、二つの意味があります。ひとつは物理的なつながり。木賃アパートと周辺環境の関係性を調整し、気持ちよくお互いの気配や、視線がさりげなく合うような人の関係性であったり、改修する際に既存のアパートが有してしまっている関係性を活かすことがそれにあたります。二つ目は時間のつながりです。「すでにそこに存在してしまっている」という事実をどのように受け止め都市を新陳代謝させていくか、そのための仕組みをつくろうとしています。
藤村──つなげることが本当の目的なのであれば、コミュニティの問題や合意形成の問題になってくると思いますよ。異なる意見をどう調整するかとか。
質問5──構造家の金田泰裕さんに403architecture [dajiba]の存在を教えてもらい、学生なのに(笑)、今日のイベントに来ました。ものづくり世代の特徴として、構造家と新しい関係を築いているということが挙げられると思いますが、403はプロジェクトのどの段階で構造家に頼みどのように進めているのですか。
橋本──《渥美の床》から《海老塚の段差》までの最初の1年間は全部自分たちで施工していたのですが、自分たちが3日くらいかけて組んだ下地を大工さんは3時間くらいで組めるので、さすがに専門性を積極的に入れていく必要があると実感しました。構造的な問題も、当初は具体的に感じられる重さや強さで判断できましたが、そこから一歩踏み込みたいと思っていたところで金田さんとは知り合いました。素朴に実感できるものと高度な専門性のハイブリットが必要だと思っています。
質問6──シンプルに、建築家として快楽を感じる瞬間はいつですか。
川瀬──僕らは基本的に改修をしているので、既存とのおさまりがいいと快楽を感じます。あと、ものができあがるまでの一連のプロセスに関わって完成したときに素朴に心に風が通るような感覚があります。
連──レム・コールハースの『S,M,L,XL』に「建築は全能性と無能性の危険な混合物である」という有名なフレーズがあります。すこし屈折した言い方になりますが、僕は全能性を志向する職能としての建築家に自分自信を重ね合わせようとする意識があるときにある種の快楽を感じているのだと思います。それは建築家として「都市を変えたい」という欲望にも通じていて、それが本のタイトルにも表われているのだと思います。
彌田──僕は、都市は自分だけではなくて過去を含めたいろんな人が一緒につくっているものだと思っていて、予期しない互いの重なり合いがあるから面白いのだと思います。なので、自分でつくったものが予想を超えた使われ方をされたときに快楽を感じます。
辻──僕は3人で議論しているときですかね、素朴に(笑)。最近とくに3人で揃う時間が減ってきましたし、打ち合わせでアイデアを練っている時間が貴重で、快楽です。
橋本──完成後に自分たちがやってきたことがなんだったかということが明らかになって、プロジェクトに名前がついたときです。そのとき、建築の歴史に参加したと感じます。実践と思考のフィードバックされた瞬間ですね。
藤村──403もモクチンも30歳前後で、理念と実践をつなげようとしています。自分の経験から30代は大学で教え始めたり、公共的なプロジェクトに突然呼ばれたり想像しないような他者との出会いがいろいろあり、作風も手法やビジョンも、どんどん変わっていきました。みなさんが今後どのように進化していくのか期待して見守っています。
[2017年10月23日、青山ブックセンター本店にて]