第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方

田村友一郎(アーティスト)+服部浩之(インディペンデント・キュレーター)+山城大督(美術家)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

YCAMから学ぶ運営方法

服部──美術館がいい建築になるかどうかは、やはり実際に使う人の存在も極めて重要だと思います。また、多様な使い方を考えることも大事だと思います。公立の美術館は役所のシステムに準じて人の労働のあり方が規定されてしまうことが多いのですが、役所のように8時半から5時半まで勤務するスタイルがほんとうに美術の現場に適合しているのか再考する必要があると思います。美術の現場には想像以上に多様な能力をもっている人が関わっており、柔軟さと流動性をある程度確保するべきだと考えています。

浅子──使う人が重要なのはわかります。では、どういう人材がいいのでしょうか。

服部──日本の美術館には、外国人や異なった言語を用いる人がほとんどいません。だけど、現在の世界の状況や現代芸術の創造性を尊重するなら、その土地に長いこと暮らす人から、日本語を話さないけれど異なった視点をもつ人まで、世代も能力も価値観も異なる多様な人が混在するかたちがおもしろいだろうなと思います。

山城──学芸員とは、美術の歴史を知っていて、文脈を読み解いたり、ある状況を編集したり、展覧会をつくることが得意な人たちだと思います。ですが、八戸市新美術館のような新しくできる美術館の場合は、グラフィック・デザインができる、あるいは映像編集ができる、空間がつくれるというように、誰かに頼むのではなくメディア・ツールを自分でつくれる人がいいと思います。

服部──アートの専門家と異なったスキルをもつスペシャリストの双方が入るのが理想ですよね。

山城──そうですね。とはいえ、学芸員の方はいらっしゃると思うので、ほかにテクニックをもった人がいたほうが、この場所の使い方を考えるのには、よりよいと思うんです。

服部──そういう意味では、YCAMがいい例になるのではないかと思います。

山城──YCAMは建築のハード面(設計=磯崎新、2003)がおもしろいだけでなく、運営チームの組み立て方がすごくいいんです。まだ全国的な評価を得てはいませんが、もっと評価されるべきだと考えています。

服部──ほんとうにそう思います。

山城──インターラボという運営チームのなかには、プログラマー、インハウスのデザイナー、建築を勉強した空間デザインができる技術者、映像記録のアーキビスト、照明家、舞台監督がいました。木工のできるスペースもありました。地方の一都市である山口には、展覧会や舞台などを準備するにあたって、専門的な技術をもっている人はそう多くはいません。そこでYCAMで内製化してしまおうということなんですね。僕が作家活動をしつつエデュケーターとして働いていたように、ラボに所属している人たち自身も作家が多いんです。展覧会をつくる際のサポートをするだけでなく、キュレーターやアーティストのアイデアに対してさまざまな提案をしてくれたりもするんです。

服部──YCAMのいいところは専門的な技術をもった人材を幅広く雇っている点です。

西澤──スタッフが入れ替わることもあるわけですよね。欠けた定員には前任者と同じスキルをもった人物が採用されるのでしょうか。

山城──当然ですが完全に同じ技量というわけにはいきません。個性は異なりますがうまく替わっていっているようです。

浅子佳英氏

浅子──みなさん常勤のスタッフなのですか。

山城──僕の場合は1年ごとに契約を更新する業務委託の形式でした。いまは業務体制がもう少し整って、5年契約ぐらいが多いようです。

西澤──やはり若いアーティストたちが多いのでしょうか。

山城──はい。

西澤──そこで働きながら自分のスキルを磨きつつ、展覧会がつくられる現場をリアルタイムで経験していくということなんですね。

服部──YCAMでは、正社員というあり方に固執しない、あるいはそこに価値を求めない人がスタッフに多くいたように思うのですが、それはアーティストのように自分の頭で考え行動し、仕事を生み出せる人材が集まってきているからかもしれません。ある程度の流動性を担保することは、結果として人材の新陳代謝を促しますし。
また、館に人を縛るのではなく、スタッフがなるべく複数の異なった仕事に関われることも大事だと思います。もちろん永年雇用を否定したいのではありません。ただ、ルールの遵守やそこにいることのみが重要とされるのではなく、さまざまな働き方の人が共存できる場が生まれることが重要だと思います。

山城──人材の流動性が高いことは、ネガティブな捉え方もできますけれども、YCAMではうまく機能していましたね。たとえば田村君がYCAMで作品をつくった際に制作のテクニカルなサポートをした人には、その後も手伝ってもらっていますよね。

田村──そうですね。YCAMでのプロジェクト以降、作品に2、3回関わってもらっています。あの時のことを思い起こせば、YCAMは夜遅くまで一緒に作業したりと大学のような雰囲気がありました。

山城──スタッフは24時間いることができるんですよね。

西澤──美術大学のような感じなんですね。さまざまな人材が出入りしていくから、YCAMで得た経験などがほかに引き継がれるでしょうし、また、ほかからも入ってきやすいのでしょうね。

浅子──常勤の人だけだと、硬直化してしまうおそれがありますよね。新しいことやおもしろいことをやりたい若い人が、次々と入って来る仕組みづくりが重要になりますね。


201801

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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