第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方

田村友一郎(アーティスト)+服部浩之(インディペンデント・キュレーター)+山城大督(美術家)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

教える−教えられることのさらなる展開へ

田村──人材に関しては、ローカルになりすぎてはいけないと思います。

西澤──それは先ほども服部さんが言われたことですね。よくわかるのですが、ではどうすればいいのかがわからない。
公立の美術館であれば、所在地の税金によってつくられるわけですから、当然地域ファーストでなければなりません。また、いまは東京ではなく地方のほうがおもしろいという風潮もあります。であれば、地方でおもしろいことができるはずだし、やったほうがいいという流れは自然だと思います。
だからといって、それだけでは十分ではないだろうとも考えているんです。ではどういう視点をもてばいいのか、あるいはどういう仕組みがあればいいのか。特定の地域だけにとどまらず、広く人材が集まり、かつ流動性のある場をどうすればつくれるのか。

服部──少し観客のことについて考えてみませんか。住民の税金で成立する公立美術館では、観客の「積極的な参加」を促すプログラムがどんどん増えていますよね。アーティストのもっている技術を学ぶワークショップだったり、多くの参加者の手を借りた参加型の作品制作だったり、かたちは多様です。難しいとか自分とは関係がないと毛嫌いされがちな現代美術へと興味を誘う手段としては有効な部分もあるかと思います。しかし、美術館やアーティストはなにかを提供する側で、観客はそれを受け取る側という一方通行の関係だけでよいのでしょうか。
発想を逆転させる必要があります。その土地のことは、地域の人たちのほうが知っているに決まっていますから、むしろそこに暮らす人たちから美術館スタッフやアーティストがなにかを教えてもらう場があってもいいと思います。もしかしたら、その交換や対話の場から、なにか新しい創造が生まれるかもしれない。

西澤──地元の人に街をガイドしてもらってリサーチするというように、「教える−教えられる」という立場が、場合によっては入れ替わることが、学びを共有することになると僕たちも考えているんです。

服部──実際、アーティスト・イン・レジデンスで作家が訪れたときに、僕がひとりでアテンドするより、長年住んでいる地元の人に協力してもらっていっしょに案内したほうが学ぶところが多かったですし、案内している人もとても楽しそうだったんですよね。誰かになにかを伝えることは、それ自体が創造的な行為ですし、そういう対話や交換にもっとリスペクトがあっていいと思います。案内することだけにとどまらず、もっと深い展開が可能だと考えています。

作品のアーカイブ、記録と収蔵について

西澤──八戸市新美術館の場合、特定のアーティストに作品を新しくつくってもらうだけではなく、リサーチしたことの研究成果であり作品であるようなものごとを展示していくことが、地域資源を育てていくことにつながると考えています。それはつまり、収蔵しにくく再現しづらい形態の作品が展示されることになる。
たとえば、ナデガタの《24 OUR TELEVISION》を美術館にまるごと収蔵することはできないですよね。青森のみなさんとつくっていったプロセスはどう記録するのか。もう一度展示をするとなった場合どうするのか。どこまでが作品でどこまでが記録なのか。このような形態の作品を、どのような判断基準をもってアーカイブするのかについては、いろいろな人が試行錯誤していると思います。
作品やキュレーションしたことをどうやって記録しアーカイブしていくのかについてみなさんはどうお考えでしょうか。

山城大督氏

山城──結論から言うと僕の場合は答えはまだ出ていません。作品の記録については個人制作の作品でもナデガタの作品でも10年ぐらいずっと追いかけてきたのですが、途中であきらめて、飽きたりもして、いまはもう飽きた後のような感じになっています(笑)。作品を記録することとはどういうことなのかを探るために作品制作をしていたというくらいの時期もありました。
どこかでなにかの出来事が起きて、いくら記録として残したとしても、そこに参加していなかった人にとっては自分とは関係のないことになってしまう。そのときのことをいくら話されても、疎外されている感じがして、他人の見た夢の話を聞くことと同じくらいおもしろくない。そこで、行為がすなわち映像に残すための行為であればいいのではないかとの考えから生まれたのが、《24 OUR TELEVISION》だったんです。行為されている瞬間そのものが記録されていくので、構造そのものが記録になるのではないかと試したのですが、それでも残らなかった。
僕たちがつくっているようなタイプの作品においては、三つのテーマがあると思うんです。ひとつは作品をいかに収蔵するか。もうひとつは活動をどう記録するか。そしてここ5年くらいは、残された記録が相互に刺激しあう状況が生まれたので、誰かに伝えてそれが自分たちの活動に返ってくるところまでを想定した、たんなる記録ではないPR的な映像の作成が求められている。当然文法は異なっていて、PRの場合、見たいと思っていない人、それに対して興味がない人にも見せなくてはなりません。記録の場合は、見たいと思っていない人には無視されてもいいものですし、アーカイブは全員のためではなくひとりだけでも興味をもってもらえればいい。いくつかの方法が乱立している状態だといえます。そのすべてをひとりでやろうとすると、とてもじゃないが無理だと思ったんですね。
そういう意味で言うと、新しくできる美術館には、全部やってほしいと思うんですよね。紙媒体での記録もするべきだし、映像も撮影するべきだし、それを発信し、さらにコレクションもする。もちろん条件が許せばですけどね。
作家としては美術館という場所で保管してもらえることは、すごくうれしいことだし、自分の作品が未来の人たちに見られたり、批評されることは、すごく楽しみなことです。そういう場所として美術館はすごく喜ばしい場所なんだけれども、美術館側が現代美術の収蔵方法について、よい方法を見出せていないので、議論をする場所もあまりありません。美術館の人たちは、作品というのは収蔵時と同じ状態がずっと続いていくものだという論理のもと収集について考えていると思うので、われわれとは噛み合わなくなっているんですよね。また、タイムベースド・メディア(time-based media)の保存修復に関する研究会が関西を中心に起こっているんですけど、そこでは美術館が作品を再制作、再展示することに重きを置いた議論がされているようですので、今日的な問題の先端にはまだたどりついていない状況です。

田村──どこの美術館でも作品収集の予算は限られていますから、なかなか難しい問題だと思っています。やはり作品がパッケージングされていないと収蔵することが難しいようですし、作品をパッケージングしたところで美術館側に受け入れる態勢があるかどうかはまた別の問題です。そういう事情もあって自分の作品が日本の美術館に収蔵されることに対して、なかなか能動的になれていないというのが現状です。といいつつも、どのように残していくかについては考えたいと思っています。ここ2年くらい自分の作品集をアーキビストの上崎千さんとつくっています。自分の過去の作品だけでなく、いま自分が住んでいる熱海の環境を取り込んで印刷物にしようとしているんですね。すでに僕が住んでいる場所を中心とした周囲20キロメートルの精巧な地形モデルを40センチ四方のコンクリートで制作しました[fig.6]。次はそれを印刷物にし、いずれはウェブにしていこうと考えています。上崎さんのほかに編集者や複数のデザイナー、複数の執筆者が関わってくれていますが、彼らが熱海を訪れたときには、記録としての写真を僕が撮っています。

fig.6──田村友一郎《仮)現在地/you are here》(作家蔵、2016)

西澤──記録であるはずの作品集が、それを超えて作品化しているんですね。

──毎回クリエイティブなドキュメントブックを発行しているACACの場合はどのような意図をもってアーカイブをしていたのでしょうか?

服部──多くのアート・センターはコレクションをもっていません。すなわち財産として残る作品をもたない。そうなると確実に残るものは、記録しかないんですね。アーティストの滞在制作や作品がどのようなものだったか残るように、ACACでは写真や映像で記録するとともに、学芸員が制作された作品についての分析や詳述を加え、将来美術史に位置づけられるようテキストを残しています。アーカイブとして貴重になるという意識がありましたし、多くの人がアクセスできれば財産になるのではないかと考え、ウェブで公開していくかたちをとったんですね。
もうひとつ始めてよかったなと思っているのが──こちらはウェブに公開することができていませんが──2011年から行なっているアーティストへのインタビューです。レジデンスに滞在したすべてのアーティストにいくつかの質問をしてテキストに起こし年報に掲載しています。美術館ではなくその場でなにかをつくっていくアート・センターならではのコレクションの仕方ではないかと思います。即効性はないのですが、継続し蓄積することで将来的にアート・センターというハコの存在意義を強固にするものだと思います。
一方で八戸市新美術館は美術館ですから、美術館としての財産のかたちがあると思います。無際限に寄贈を受け付けることは不可能ですし、作品をコレクションすることはすごく重要ですから、収蔵の方針は慎重な議論のうえで決定されるべきだと思います。また、展覧会で起こったことがなんだったのか、残していくべきことはなにかをその都度考えていくことも必要だと思います。そのときにアーティストの発想が生きてくるのではないか。たとえばアーティストとなにを残すかをいっしょに考えたり、展覧会やプロジェクトを通じてなにを財産として収蔵するかは、創造的な行為として思考を重ね実践されたらいいなと思います。


  1. 建築的アプローチによる制作
  2. それぞれのリサーチ手法
  3. YCAMから学ぶ運営方法
  4. 教える−教えられることのさらなる展開へ/作品のアーカイヴ、記録と収蔵について
  5. 美術(館)と公共性

201801

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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