都市を変えるいくつもの戦術的方法論
──アイデア、スケール、情報工学

泉山塁威(東京大学/ソトノバ)+笠置秀紀(建築家)+竹内雄一郎(Wikitopia)

アートの役割、あるいはITと民主主義の臨界点

泉山──でも、都心だと市民の顔はほとんど見えないですね。地権者もその場所に住んでいなかったりして合意形成が難しい。ストリートは誰のためのものなのか、非常に見えづらく、決めにくい。住民が高齢化している地域では、ワークショップを開くと高齢者がたくさん集まるけれど、街で働いていたり遊びに来たりする多くの若い人はそのワークショップの存在すら知らない。こうした乖離はよくあります。

笠置──そうですね。僕もワークショップをよく行ないますが、世代間の格差や乖離は強く感じます。声の大きいステークホルダーやワークショップ慣れした意識の高い人達が多く集まり、本当に参加してほしい層になかなか届かない。ですから、僕はあらゆる社会システムからこぼれ落ちた声や課題を顕在化することがアーティストの役割のひとつだと思っています。アートはときに社会の凝り固まったものを突き破るようなイノベーションを起こす可能性もある。現に60年代の現代美術はタクティカル・アーバニズムに大きな影響を与えている。今後、もしかしたら都市計画の仕事もAIに取って代わるかもしれないけれど、社会の要請にもとづいたシステムには違いありません。社会の要請を超えた視点を都市に差し挟むのがアートの機能じゃないかなと思っています。

──市民の潜在的な声の拾い上げるのはITのひとつの可能性だと目されていましたね。2000年代には「Web2.0」に下支えされた新しいかたちの民主主義も唱えられました。

竹内──でも、単純にみんなが声を上げたら正解が出てくるだろうと思っても、実際はそうでもないわけですよね。例えばクラウドファンディングでアーバニズムの資金を募ろうとしても、多額の資金を集められるのはネットでバズるような、ある種のキャッチーさを持ったプロジェクトばかりです。マンハッタンの地下に派手な公園をつくる「The Lowline」というプロジェクトがあって、2012年にKickstarterのキャンペーンで一気に15万ドル以上の資金を集めて話題になりましたが、他方でクイーンズあたりの公園に清潔な水飲み場をつくろうなどといった地味なプロジェクトには、大した資金は集まらない。ほかにも、2010年にスウェーデンで創設され、その後多くの国に広まった海賊党は、ネット経由で誰でも政策を立案できる仕組みを採用したことで有名です。しかし幅広い市民の参加を引き出せなかったのか、集まる提案は少なく、その内容も瑣末なものや偏ったものが多かったと聞きます。2つの例に共通しているのは、ネットの力学のなかで浮かび上がってくるものが、必ずしも公共的価値の高いものだとは限らないということです。Facebookの「いいね!」のような簡単な投票システムを実装したからといって、それがそのまま公共的価値のあるアイデアを拾い上げるフィルターとしてうまく機能するというわけではない。

でもトランプが大統領選に当選したあたりから、ITに関する議論の流れがそうした現実に沿って変わり始めました。ネット社会のダイナミズムにはどんな性質があって、それがどんなバイアスを生むのか。現実の政治のプロセスや伝統的なシステムを、ITで置き換えようとしたときにどういった問題が起こりえるか。そのような議論が急速にクローズアップされています。Wikipediaのような成功したシステムの研究や類型化も進んでいて、これからはもう少し賢いシステム設計が行なえるのではないかという希望を抱いています。

また、さきほどAIについて指摘がありましたが、じつはAI的な都市へのアプローチは昔からあるんです。「シムシティ」というゲームがありますよね。あれはもともと、1960年代に出現したアーバン・ダイナミクスの研究に影響を受けています。アーバン・ダイナミクスは計算によって工場や兵站など多様な組織運営を効率的にオプティマイズ(最適化)するオペレーションズ・リサーチの手法を都市に適用したもので、要はビッグデータとAIによって都市運営の効率化を目指す「スマートシティ」と基本的には同じことが60年代から試みられていたわけです。でも僕が関心のあるITによる都市空間のつくりかたは、こうしたAI的なアプローチとは違います。AIによって都市の一側面、例えば交通や送電の効率を向上させることはたしかに可能かもしれないけど、都市のデザイン一般に拡大するのは無謀だと思いますね。

泉山──なるほど、面白いですね。シムシティって、一から街をつくるじゃないですか。既存の都市を書き換えていくシムシティはまだないですよね。

竹内──そうですね。一緒につくりますか(笑)。

制度(wiki)と場所(topia)を架橋する

──タクティカル・アーバニズムのような実践を活かすために、制度(wiki)と場所(topia)を接続する計画は、日本ではどのように考えられるでしょうか?

泉山──ビジョンの問題があると思いますが、ニューヨークの都市計画には、2007年にマイケル・ブルームバーグ市長が発表した「プラン・ニューヨーク(PlaNYC)」という長期計画のマニフェストがあるのですが、そこには「主要公園やオープンスペースを創設・改良する」というような大きな方針しか示されておらず、具体的にその公園をどうつくるかはPlaza Programなどで広場をつくる場所と人を公募し、各コミュニティが応募し、責任を持って運営していくわけです。一方、日本では都市計画マスタープランや、エリアマネジメントでは2000年代を中心に地域の「まちづくりガイドライン」というかたちでビジョンをつくっていたんですけれども、地域によってはあまり更新されなくなってきたり、新たにエリアマネジメントを行なうところはビジョンがなくなっているように思います。つまり、リーマンショックや震災以降、不確実性や社会変化が激しく、長期的なビジョンを描きにくくなり、プロジェクト先行になっている状況があると思います。

──行政は大きな絵だけを描いて、そのプロセスはコミュニティの自発性に委ねるモデルですよね。ですが日本の状況は「Short-term Action」が各地で起きていて、それが波紋のように広がっている。大きなビジョンを示すというより、その小さなアクションの集積がどんな結果を生み出すのかという期待が先行している印象です。

泉山──そうですね。この話をタクティカル・アーバニズムにつなげると、自分たちの望む街のあり方を表現してみる、まず試してみるといったアクションから、それに共感してくれる人が現われることで、それが街のビジョンに接続していくと思うのです。例えば「インスタ映え」が象徴していると思うのですけれども、その場の見映えがいいことは重要ですが、それだけだと本当にただのイベントになってしまう。ですから、アクションの際に利用者の意見や反応を引き出すなど、ビジョンを人々と共有するプロセスも重要です。そして「誰と」ビジョンを語るのかも。

笠置──20世紀初頭に自動車が普及した結果、交通のシステムが変わって都市や建築が変容したという経緯があります。同じように、ITの出現によって21世紀の都市計画がどのように変わるのかに興味があります。どちらかというとITが直接的に与える変化というより、ITによって生み出された環境によって、人々の考え方や物事の進め方が変わることです。たとえば公共空間の実験的な試みでは、公共工事のスペックがあるわけでもない。現行の法制度を踏まえつつも、どこまで、その枠を広げることができるかを臨機応変に試行錯誤していく状況が生まれます。ですから、プロジェクトそのものが学習の場になっていく。計画を直線的に進めるのではなく、ブリコラージュしながら非線形に進んでいくことに可能性を感じます。これからの都市的な計画というのは、そんな概念とともに変わっていくのではないでしょうか。

泉山──行政主導と民間主導の違いもあります。行政が前年度に社会実験の予算をとって、年度が始まってプロポーザルで実施する人が決まる場合と、民間やNPOが予算を提示して資金調達やプロポーザルを提示するアプローチがあり、前者では社会実験の実施そのものが目的化している例が見受けられます。この違いによって、つくられるものもぜんぜん変わってきますよね。

──「SHINJUKU STREET SEATS」は、「Parklet」という今ではグローバルになった共通フォーマットを、新宿というローカルな場所にインストールしたと見立てることができると思います。そうしたスケーラブルな解と局所解とのあいだで、笠置さんはどういった立ち位置を意識されていたのでしょうか。

笠置──具体的な材料の話をすると、和風の杉材や樹脂製のデッキ材を用いなかったのは、教育的、啓蒙的なねらいもありました。関係者のあいだでも「合板を使うのですか!?」という反応もありましたが、コンセプトや文脈を伝えるために、アメリカ西海岸っぽい材を選択しました。神戸に設置された「KOBEパークレット」や、大阪の「御堂筋パークレット」では樹脂製のデッキ材が使われていますが、仕様が一様に固まってしまうのはよくないと思って、新宿ではあえて普通の合板を使っています[fig.15]。公共空間は怪我や事故などにとても敏感なので、一般につるつるで丈夫な材が好まれます。しかし、その場の居心地や親密さのような感覚をつくりたいと思って、あえて雑につくることを意図しました。「プロでなくても、私にもつくれる」と思える設えにすることも狙いです。僕自身、ストリートファニチャーなど、つくられた感や誰かが用意した感があると、あんまり座りたくないんですね。異物をぶち込みたかったという気持ちもあります。

fig.15──「SHINJUKU STREET SEATS」(2017)

もう少し抽象的な話になると、「ミリメーター」がアートプロジェクトとして社会の外を志向しながら、都市を変えるアイデアを発信しているとしたら、「株式会社小さな都市計画」は社会のなかでローカルに泥臭く振る舞いながら、いかに社会の外の風を入れていくかという立ち位置なのかもしません。

泉山──「Parklet」の本来のコンセプトや歴史的背景を踏まえずに、咀嚼されないまま「パークレット」と呼ばれて使われている事例は、日本でも結構いろいろなところにありますよね。その点では新宿にいい場所ができたと思っています。一方で、日本独自のタクティカル・アーバニズムを考えるときに「日本らしさ」をどう捉えるべきかは、重要な論点だと思います。

笠置──そうなんですよね。「日本らしさ」といえば、じつは「畳を敷く」という案もあったんです。全面が畳になっていてゴロ寝ができるという[fig.16]。でも、ホームレス対策や吐瀉物の懸念があって、実現はしませんでした。

fig.16──「SHINJUKU STREET SEATS」ゴロ寝ができる案のスケッチ

──日本独自のタクティカル・アーバニズムのあり方が模索される一方で、ローカル・コンテクストに応じて、スケールを限定したWikitopiaのあり方があるとすれば、興味は募りますね。

竹内──ええ。ビジネス上の問題として、スケールできないとなかなか投資を受けられないというのはあります。ですがパブリックなところから出資されれば、スケーラビリティの話は置いておいて、限られたある街の課題を解決できるような質の高いサービスをつくるというのはありえると思います。

──Wikitopiaが課題を解決する方向に向かうのかどうかも課題ですよね。課題解決型ではなく、むしろ先ほどのバルーンのようにある種のエンターテインメント志向でもあれば、普遍性をもったあり方は想像できますよね。

竹内──うーん、その選択かどうかも難しいですよね。僕はモロゾフやドーリッシュの解決主義批判には同意するのですが、他方、全人類にとっての普遍的な最適解といったものの存在を信じるITの未熟さは、この分野の理想主義の裏返しでもあります。人間という存在にはコンテクストを超えた普遍性があると信じていて、だからこそ一部の発明、例えば民主主義の発明やポリオワクチンの発明には普遍的な価値があると信じている。そしてITには、それらと同じように普遍的な価値を持った発明を行なえる力があると信じているということです。僕自身カリフォルニアで育った影響もあるのかもしれませんが、モロゾフやドーリッシュの批判は理解しながらも、こうした理想主義を捨てるのは個人的に難しい。Wikitopiaについても、進め方についてまだ決まっていない部分も多いですが、基本的にはITの研究プロジェクトですから、どちらかと言えば普遍性を追い求めていく格好にはなると思います。もちろん、あまりに抽象的なレベルで全世界の人類は普遍的だと言うのは乱暴ですよね。どこに普遍性があるのかをきちんと検証していくことが正しい方途だと思います。ただこのバランスは難しいところです。

──人間の普遍性に立脚したITのあり方を、ブレイクダウンしてローカルや個人に寄り添わせていく。そんな視点の持ち方もありそうですね。局所的・狭小的でエフェメラルなアクションの魅力を、社会とどう関係させるか。言い換えれば「映え」と制度設計はいかに接続しえるのか、ここに情報工学が介入する可能性があるように思います。

笠置──土木学会デザイン賞のウェブサイトを見ると、そこに掲載されていた写真がものすごく地味で、いいなと思ったんですよ。建築の竣工写真と比べると川や緑しか写ってない写真が多く、オブジェクトが前面に出てきていない、これはすばらしいなと。いわば「インスタ映え」の反対ですね。写真に写らない環境が価値として評価されている。一方で土木分野ではタクティカル・アーバニズムも一例として、都市の隙間を活用していこうとしている。例えば、誰かの居場所だったベンチがインスタ映えするようになって、その人の居場所が奪われてしまったり。誰かにとって必要なパブリックスペースの陰の居場所がクレンジングされていく。それには少なからぬ危機感を抱きます。

泉山──先ほどニュースで見たのですが、回転寿司ならぬ「回転スイーツ」というものがあるそうです。これは魅力的な空間体験がないと商業店舗はネット通販に勝てないかららしいですね。そこで、インスタ映えする空間をわざわざ演出する──そんな背景があってのことです。場所の魅力は「映え」ないと注目されなくなっていますが、それが行き過ぎると場所の魅力を発見できなくなったり、本質が見えなくなってしまいます。

とはいえ、タクティカル・アーバニズムが急速に注目されているのは、SNSの効果だと思いますね。先述したように、オープンソースのガイドをPDFで公開・拡散して、「Park(ing) Day」が世界中で行なわれるようになったり、「Parklet」が各国に急速に普及したり。これらはSNSの恩恵だと思うのです。人々の共感や方法論をITが拡散していくことは、都市を変えていく手法としても重要です。一部の限られた人や専門家だけアクションするのではなく、一人ひとりの市民がマニュアルを手に「自分たちの街でもやってみたい」と思えること。ここにタクティカル・アーバニズムの醍醐味があると思っています。


[2018年1月16日、東京大学先端科学技術研究センターにて]


泉山塁威(いずみやま・るい)
1984年札幌市生まれ。東京大学先端科学技術研究センター助教、ソトノバ編集長、認定准都市プランナー、アーバンデザインセンター大宮(UDCO)ディレクター、全国エリアマネジメントネットワーク事務局、認定NPO法人日本都市計画家協会理事、NPO法人まちづくりデザインサポート事務局。明治大学大学院理工学研究科建築学専攻博士後期課程修了。エリアマネジメントやパブリックスペース利活用及び規制緩和制度、社会実験やアクティビティ調査、タクティカル・アーバニズムの研究及び実践に関わる。受賞=「黒石市こみせ再生提案競技・保存修理部門──現存する『こみせ』による歴史的町並みのストリートマネジメント優秀賞」ほか。共著=「市民が関わるパブリックスペースデザイン─姫路市における市民・行政・専門家の創造的連携─」(エクスナレッジ、2015)。

笠置秀紀(かさぎ・ひでのり)
1975年東京生まれ。建築家。ミリメーター共同代表。日本大学芸術学部美術学科住空間デザインコース修了。2000年、宮口明子とミリメーター設立。公共空間に関わるプロジェクトを多数発表。プロジェクト=「アーバンピクニックシリーズ」(2000)、「コインキャンピングTents24」(2005)、「アーツ前橋交流スペース」(2013)、「URBANING_U」(2017)、「清澄白河現在資料館」(2017)、「SHINJUKU STREET SEATS」(2017)ほか。

竹内雄一郎(たけうち・ゆういちろう)
1980年トロント生まれ。計算機科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所研究員、および科学技術振興機構さきがけ研究者。東京大学工学部卒業、同大学院新領域創成科学研究科博士課程修了、ハーヴァード大学デザイン大学院修士課程修了。情報工学と建築・都市デザインの境界領域の研究に従事。


201802

特集 戦術的アーバニズム、Wiki的都市──場所と非場所のタクティカル・アーバニズム


都市を変えるいくつもの戦術的方法論──アイデア、スケール、情報工学
シリコンバレーの解決主義
何かをハックすること
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